第15話はしゃぎすぎて失敗しました

 それから数時間、私たちは服飾師や服屋が多い下町をみっちりと歩き回った。




 服屋の前でお互いに似合いそうな服を冷やかして。


 魚屋の前で朝獲れだという大物のマグロに驚いて。


 宝石商の前で高価な宝石の額面に目を回して。


 料理屋でお昼ごはんを食べて。


 クレープ屋の屋台でクレープを食べて。


 果物屋でリンゴとイチゴとオレンジを買って食べて。


 肉屋で焼きたてのソーセージを齧って。


 玩具屋でデッカいテディベアを買って。



 

 気がついたときには、もうだいぶ日が傾きかけていた。


 私たちは今、王都下町の広場にあるベンチに腰掛け、つい衝動買いしてしまったテディベアのデカさに辟易しながら項垂れていた。




「……しまった、今の今までお買い物が楽しすぎて目的を忘れてた……」

「はい……申し訳ございません、従者の私まですっかり楽しんでしまって……」




 ミス・フレッシュことソフィが申し訳無さそうに言ってくるので、私はその倍以上も申し訳なく思いながら首を振った。




「いや、私が悪いよ、ソフィ。だって今までの人生で楽しくお買い物とかしたことなかったし。そもそも食べ物以外のものをお金出して買ったことなんて今日が初めてだし。浮かれるのも当たり前だよ」

「お、奥様、恐れながら……今までどうやって生きてきたんですか……?」

「まぁ、人には色んな人がいるってことだよ。ソフィは革靴の革を煮た味とか知らないでしょ?」

「た、大概の人が知らないと思いますけど……!」




 ソフィが怯えたような表情で私を見た。


 あのいよいよ空腹が極まったときに食べた革靴の革の味、それはもう二度と思い出したくないほどの壮絶な味だったことを思い出しながら、私は嘆息した。




「それなりに服屋も回ったけど、なんか予想通り、普通の服ばっかりだったね」

「まぁ、奥様の理想がどういうふうなものかわからないですが、そうでしたね……」

「うーん、なんというかなぁ、奇抜で、なおかつ笑える衣装がいいんだよなぁ」




 私は愚痴っぽく言い張った。




「なんかなぁ、普通の貴族令嬢みたいな格好しても面白くないんだよなぁ。目立って、奇抜で、なおかつなんかクスッと笑えるというか……この間の白鳥の湖、面白かったでしょ?」

「は、はい……。……うふっ、ふ、不意打ちはおやめください奥様、思い出したらまた笑いが……うふふふ……!」

「そうそう、それだよ」




 私はソフィの顔を指差しながら説明した。




「そう、そのひと笑いがほしいの。別に普通に着飾るだけでも目は惹くと思うんだけど、その笑いがないと意味ないんだよなぁ」




 遠い目をしながらの私の言葉に、ソフィが笑いを引っ込めて私を見つめた。




「アデル様、なんかあんまり笑ったところを見たことがないからさ。あんな綺麗な顔してるんだから、どうせならいつも笑ってた方がより素敵に見えると思うんだよね。それなのになんか眉間に皺寄せちゃってさ。いつもいつもなにか気負ってるような顔して……」




 そう、私の旦那様には笑顔が足りない。


 契約結婚してそろそろ一月、私が気になっているのはそのことである。




 愛のない偽りの結婚とはいいつつも、関係性上は立派に夫婦なのだから、どうせならもっと会話したいし、笑い合いたい。


 ウチは貧乏ではあったけれど、それ故というかそれなのにというか、思い返せば今までの人生で笑顔のないシーンはそれほどなかった。


 それなのに、経済的に比べ物にならないぐらい豊かであるアデル様が、いつも何かを懸念してるような重苦しい表情をしているというのもおかしな話だと思う。


 まぁ、メレディア伯爵というから、ドサンピン貴族である我がリンプライト男爵家とは背負っているものの大きさが違うのかもしれないけれど、それにしたって、である。




 はーぁ、とため息をつくと、さっきの笑い声とは違う声で、ふふふ、とソフィが笑った。




「奥様、なかなかスルドイお方ですね」

「へ?」

「そうかぁ、そこにお気づきになりましたか。その通り、旦那様――いえ、アデル様は、いつの頃からか笑わないお方になってしまいましたものね」




 ソフィの言葉に、私は目を丸くした。


 ソフィは私の顔から視線を外し、既に夕方になりつつある空を見上げた。




「私の母がメイドとしてアデル様のご両親にお仕えしていたときのアデル様は、それはそれは表情豊かな方だったそうです。よく笑い、よく怒り、よく驚き、そして何よりもよく泣く――そんなお方だったと聞いております」

「あ、やっぱり小さい頃は泣き虫だったんだ」

「えぇ。十歩以上歩けば必ず転んで、その度にべそを掻くほどの泣き虫だったそうです」




 なんだか容易に想像つくなぁ、と私とソフィは顔を見合わせて笑ってしまった。


 ひとしきり笑った後、ソフィが続きを話し始めた。




「しかし、全てが一変したのが、アデル様が12歳のとき――あの頃、この国で流行った流行り病によって、アデル様は優しかったお父上とお母上を同時に亡くされてしまった」




 流行り病。そう言えば、私が子供の頃にそんな事があったように思う。


 あのとき、辺境である我が男爵領はそれほど影響はなかったそうだが、王都に近い領地ではそれはそれは多くの人が生命を落としたそうだ。




「それからです、アデル様が笑わなくなったのは。ご両親を失った悲しみに加えて、強大な貴族家であるメレディア家の当主の座を若くして継がねばならなくなった重責――最初はメレディア一族の長である曾曾御祖母様のご助力も多分にあったようですが……それにしても、ですよね」

「そ、その曾曾御祖母様、ホントに実在してるんだ……作り話かと思ってた……」

「えぇ、もちろん。齢数百歳だと言うのにお若い方ですよ。お若いというより、外見は幼いというか……」




 なんだろう、メレディア一族にはエルフの血でも入っているのだろうか。それとも魔族の方だろうか。


 まぁアデル様があれだけの美形なのだから、エルフの血が入っていると言われればそれはそれで納得なのだけれど。


 そんな私の妄想を無視して、ソフィは空を見上げた。




「アデル様が笑ったところを見たの、私自身も久しぶりです。奥様――いえ、グレイス様が、アデル様を笑顔にしてくださった」




 不意に、ソフィがそんな事を言って、私は妄想を引っ込めた。


 ソフィは虚を突かれたような表情をしているのであろう私の顔をじーっと見つめた後、うふっ、という感じで、笑った。




「私はだからグレイス様のことが好きですし、もっと派手に着飾ってアデル様を笑顔にさせてあげたいという、グレイス様のお考えも素敵だと思うんです。そうですよね、人間、どうせ生きるなら笑顔であった方がいいですものね――」




 なんだか、急に褒められて、私の方もドギマギしてしまった。


 思わず「おっ、おう……」と気後れして頷くと、私を見つめるソフィの笑みがますます深まった。


 しばらく、何が面白いのか知らないけれど、実に面白そうに私を見つめたソフィが、急にベンチから立ち上がった。




「あーあ、長くお話したら喉が乾いちゃいました。グレイス様、なにかお飲みになりますか?」

「うん? ……あぁ、そう言えば長く歩いたから少し喉が乾いたかも……」

「この近くに美味しい果汁ジュースを売ってくれる店があるのを知ってますので、私が買ってきます。グレイス様はお待ちになっててください」




 言うが早いか、ソフィはこれぞ「ミス・フレッシュ」という足取りで王都の石畳を架けていってしまった。


 その後姿を目で追いながら――私は急に、なんだか自分が物凄く老けてしまったかのような感覚に陥り、がっくりと項垂れた。




 確か、ソフィは十七歳。私より二歳年下であるだけなのに、何なのだろう、あのフレッシュ感は。


 彼女と一緒にいるのは楽しいのだけれど、ふとあんな風に圧倒的なフレッシュ感を出されると、なんだか自分が老婆になってしまったような感じがするのだ。


 元気っていいなぁ、若いっていいなぁ……自分だってそんなに歳を取っていないはずなのに、なんだか物凄く老けた気がするのである。




 はぁ、とため息を吐いて、私は石畳を見つめた。


 帰りの馬車の時間までは、あと約二時間、というところだろうか。


 それまでに私の求める「お飾りの妻」をプロデュースしてくれる人の発見など、おそらく時間的に無理だろう。


 


 今後、しばらくは王都通いが続きそうだなぁ――。


 私がそんな思いとともに、再びため息を吐こうとした、その瞬間だった。




 なんだか、異様な気配をつむじの辺りに感じた私は――反射的にため息を飲み込んで顔を上げ。


 


 そして、目の前を通り過ぎてゆこうとする人物を見て――目をひん剥いた。



◆◆◆



ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


ただいまこの作品が恋愛ジャンル週間ランキングにランクインしております。

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