第99話『北風強め』

 彼女には洗礼の後から、肩に記号が描かれているのが見えていたらしい。

 今も描かれた文字らしきものを読むことはできないが、それが子供を従えるためのものであろうことは、少し前から理解していたそうだ。


「おまえが隠していたのは、それか?」

「まぁ、そうだね」


 思いの外彼女が取り乱さなかったことで肩透かしを喰らった俺は、曖昧な返事をする。

 彼女は俺をジッと見つめめると先ほどから掴んだままの俺の尻尾を軽く握る。


「む」


 確かめるように何度か握った後、俺の尻尾は解放された。


「……なんで、尻尾を握るのかな」

「おまえが、よく嘘を吐くからだ」


 彼女は当たり前のようにそう言った。

 俺の尻尾は嘘発見器ポリグラフか何かだろうか。


 尋問を終えた竜人娘レンゲがまた、木片を握った。


「どうでも良さそうだね」


 『隷属』のくびきの話など聞かなかったような彼女の態度に、吐き捨てるような言葉が出た。


「……怖気付いているのか」


 彼女は静かにそう溢すと、手に持った木片を元の位置に置いた。

 そして、俺へと向き直る。


「コクヨウ。自分が言ったことも、忘れたのか」


 叱るような問いかけ。

 それと共に、大きな尻尾がゆらりと持ち上がる。


「折れなければ……生き残れば、勝ちだ。どれだけ叩きのめされようと、どれだけ無様だろうと、死ぬその時まで、わたしの誇りは傷付かない」


 そう言い切った彼女は、痙攣する左手で無理矢理に握り拳を作ってみせる。

 彼女がリハビリの様子を見られても、全く動じないのに納得がいった。


「あぁ、覚えてるよ」


 小さく頷きながら答えた。


 多分、彼女と初めての喧嘩をした後の話だろう。

 俺が言ったのとは微妙に違っている気もするが、自分なりに解釈した結果だろう。


「なら……いい」


 言いたい事を言った彼女はそっぽを向いて、リハビリを再開した。



 彼女の背中を見つめながら考える。


 俺にとっては生き残ることが全てだ。

 彼女は誇りを守る手段として、生き残ることを決めた。


 似ているようで、致命的に違う。

 俺が目的に据えている『生き残る事』を手段にしている彼女には、ひたすら生き残ることに固執する俺の在り方は酷く臆病で、滑稽に見えているに違いない。


 だが、そんな俺だからこそ、徹底的に陰湿で卑怯な手段を選ぶことができるのだろう。




◆◆◆◆




 時折、遠くから人の叫び声が聞こえる、月夜のリドウルビスを歩く。

 声が聞こえるのは聖剣機関の区画の方だった。


 治安が悪いと夜も寝ることなく活動する者ばかりだと思っていたが、それは思い違いだったらしい。

 限界まで困窮すると、騒ぐほどの体力も無く、光を灯す燃料さえ足りなくなるのだろう。


 そんな街の中央側、比較的経済的に余裕のある者が住む地区では、酒場が灯りを灯していた。



 俺は人に見つからないように気を張りながら、影と影の間を歩いていると、風が吹いた。

 何の変哲もない夜風に違和感を覚えると、それを吹かせた存在に気付いた。


「……ウェンか」


 小さく呟いて、通路の両側にある建物の壁を使って三角跳びを繰り返して上り、屋上に辿り着く。


「遅いわよ、ネチネチ」


 どうやら、ウェンは俺が来るまでずっと休まずに情報収集をしていたようだ。

 適当なところで切り上げて休めば良いのに、彼女の目元には隈が見えていた。


「なんか……怪我してる?」


 眠たげに欠伸を噛み殺したウェンは、俺の手元を見て指摘する。

 蟲の血液が付着したのを拭き取り忘れていたらしい。


 皮膚の表面が溶けて、他よりも赤くなっていた。


「……さっきまで、穴の中に潜っていたんだよ。ウェンは……危険だから穴には潜らない方が良いよ」

「あっそ」


 俺は洞穴の翁のことは話さずに警告すると、適当な返事が帰ってくる。

 興味を失ったウェンは、俺達が立っている建物の向いにある酒場を見下ろす。


 俺ではこの距離だと、たまに笑い声が小さく届くだけで、どのような話がされているかは分からない。

 気の感知を使って、中にいる者達が何人いて、どの位置にいるか把握はできるが、それだけだ。


 彼女はこの距離を保ったまま酒場の全ての人間の声が聞こえるらしい。

 もちろん、同時に全ての話を聞くことは出来ないらしいが、気になる単語を言葉にした人間に意識を集中させれば、その人物の会話内容が鮮明に聞き取れるそうだ。


 彼女は髪を耳に掛けながら、これまでの成果を語り出す。


「この街には大きめの組織が、二つあるらしいわよ」

「うん」


「片方は用心棒?みたいなことをやっていて、街の人同士のトラブルを解決する代わりにお金を貰っているみたいね」

「あぁ……そういうのか」


 前世のヤクザのようなことをやっているのか。

 そういえば、仕事上でのいざこざでヤクザの友人に相談したら、不思議なことに解決したけど、代わりに定期的にお金を要求されるようになった、みたいな話は聞いたことがある。


 市場では商人が護衛を引き連れているのを見たが、予想以上に治安の悪いこの街では、彼らは真っ当に雇われているのかもしれない。


 真っ当に雇われているのなら、彼らはヤクザというよりも傭兵というのが正しいだろう。どちらにせよ荒っぽい気質の者たちが多そうだ。


「酒場でトラブルを起こすのは大抵、こいつらね」


 ならヤクザだ。


「それで……もう一つは薬を売ってるみたいね。でも、何かを治すためのものじゃないわね。貰った薬を吸って、それで死んでる奴が居たわよ」


 彼女は自分が見たものが間違っているかのように、自信なく首を傾げる。

 なるほど、彼女の言う通り『体を治さない薬』というのは知らない人間からすると不可思議な存在だ。


 むしろ体を壊す薬なのに、買う人間はそれを喜んで使う。

 毒を騙されて買っている訳でも無く、それを使えば自分はダメになると自覚しているのに、制止を振り切って使うのだ。


 今世では里でウルテク女アンリが頻繁に使っていたせいで麻痺したが、初めてみる彼女からすれば、恐怖さえ覚えるのかもしれない。


 もちろん俺は使いたいとは思わない。


「薬か……普通の薬か、毒は売っているのかな?」

「薬は売っていたわよ。毒は……多分、売ってるとは思う」


 思う、か。酒場ではその話題に触れられることが無かったらしい。

 確かに表立って毒を売ることは無いだろう。


 薬物組織か、少しまずいな。

 蟲の血液を買い取る商人である、エルドリックは本業は別の業種であるものの、個人的に毒と薬を作り売っている。

 彼の手記に書いてあることが本当のことなら、彼の研究は技術的にも革新的なものらしい。おそらくはこれからも規模は大きくなっていく。


 組織からすれば、自身の権益が侵されるのは何よりも嫌うことだろう。


 彼自身が名のある商人であるのもあまり良くない。

 彼は、彼が作った薬を、彼が整備した流通経路を使って売ることができる。

 組織の入る隙間など無い。


 もしも彼自身が販売手段を持っていなければ、彼が製造、組織が流通を担当して住み分けもできたかもしれない。

 あまりにもエルドリック自身に旨味が無さすぎた。


 俺が薬物を売りつける組織の長であれば、最優先でエルドリックを拐って薬のレシピを手に入れるか、エルドリックを殺すかするだろう。


「……俺達のことは、噂が立っていたりはしない?」

「『孤児が集団で市場に来て買い物をした』って話を聞いたわよ。多分フィルス達のことでしょ?」


 俺は小さく頷く。


「大人は、いちいち子供なんて気にしてないってことでしょ。それにアンタもこそこそしてるから余計に見られることなんて無いし……他は?」

「聞きたいことはそのぐらい、かな……あ」


 俺は思い出したように懐を弄ると、銀貨を一枚取り出す。


「はい、これでお肉でも食べてね」

「あたし、野菜の方が好きなのよね。銀貨……結構儲けたみたいね」


 文句を言いながら受け取るウェン。

 短いながらも商人の丁稚をしていた彼女は、貨幣の価値を理解しているようだった。


 用を終えた俺は屋上の縁へと歩み寄る。


「……それと、休憩は好きにとって良いからね。食事も、もちろん睡眠も大事だよ」


 遠回しに彼女の隈のことを指摘すると、小さく俯いた。

 そうして、寒い時にするように自分の体を抱きしめる。


「言われなくても分かってるわよ。でも、上手く眠れない……だけよ」


 森の中ではむしろ寝つきが良い方だったから、その言葉は少し意外だった。

 おそらく、仲間の居るところでしかリラックス出来ないのだろう。


「なら、拠点に戻って休めば良いよ。ウェンが一番力を発揮できるやり方ですればいい」


 子供達の能力は代替の効かないものばかりだ。

 だからこそ、壊れないように安全に運用するのは当たり前だ。


 しかし、ウェンは疑うような表情のままだった。


「……あたしのこと、面倒だって思ってるでしょ」


 正に今、そう思った。


「あたし、どんどん弱くなってる!どんどんダメになってる!我慢してたけどっ、暗いところも怖いし、一人も怖いのよ。昨日なんて、夜が怖くて泣いてたのよ!あたし、こんなんじゃなかったのにっ」


 取り乱したようなウェンの瞳から、涙が伝う。


「こんなっ、使い物にならなくなったあたしなんて、嫌われる!」

「ウェン」


 睡眠不足がネガティブな思考を加速させているようだった。

 森での逃走の際に俺も陥った状態なので何となく気持ちは分かる。


「どうせ、あたしなんて!」

「ウェン」


 呼びかけながらウェンの肩を掴むと、彼女の動きが硬直する。

 彼女のトラウマを利用した形だ。


「……離しなさいよ……」

「ウェン、一つ言っておく」


 彼女が助けを求めるように、俺の方を見た。


「ウェンが弱くなったとかは少しも関係なく、俺はウェンのことがずっと大嫌いだったよ」


 彼女の涙が止まった。


「今もウェンに能力があるから使ってだけで、君と同じくらい盗み聞きができる子供がもう一人居れば間違いなく叩き出してたよ。良かったね、五人しか居なくて。でも残念だけど、今この瞬間はウェンしか出来ないことがあるんだ。だから面倒で仕方が無いけど、ウェンが一番力を発揮できるように俺は力を尽くしてる。強い弱いじゃない、使から使ってるんだよ。君に気を遣った覚えは無い。だから勝手に疑心暗鬼になって折れるのはやめてくれ。あと、君が嫌いだ」

「え」

「君が嫌いだ」



 一息に言いたいことを吐き捨てた俺は、さっさと屋上から飛び降りた。


 数秒が経って、強い風が吹いて背後を振り返れば、怒った顔のウェンがこちらに怒りの形相を向けて拳を振っている。


 耳の良くない俺には聞こえないが


『バカネチネチ!!』


 とでも言っているのだろう。




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第99話『北風強め』



 蛇尻尾嘘発見器ポリグラフは理論と実績に裏付けされた、信頼性の高い嘘の看破方法です。

 主人公は練習して、戦闘時には尻尾を使いこなしてはいますが、無意識の制御は苦手です。

 そのため握った状態で嘘を吐くと、緊張で微妙に筋肉に力が入ります。


 竜人娘レンゲはそれを察知していた、という訳ですね。

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