第98話『黄金の瞳』
深層の老人との邂逅を経た俺は、横穴を這いずって進む。
今更ながらに、蟲の群れとの戦闘での気の消費が響いて、強い頭痛と疲労を感じる。
気の消費は行き過ぎれば気絶する。
気の枯渇は戦闘中であれば致命的であるため、気の量の管理は必須だ。
「……はぁ」
横穴の中に作られた小部屋の中にゴロリと転がる。
これは元々存在しなかったが、
この小部屋から数々の横穴がさらに伸びており、ハブの役割を果たしている。
「真気か……」
肩の部分を触るが、そこからは何も感じ取れない。
これがあるだけで、俺は誰かに命令されれば死ぬことになる。
生まれた時から俺は誰かに使い捨てられる定めだった。
『隷属』の
理解は出来る。しかし納得は出来ない。
ここに俺の命を縛る首輪がある、という事実が狂おしい程に憎い。
「っ!!!」
強く握った拳を、地面に叩きつける。
そのまま掌を開いて、爪で岩肌を引っ掻く。
泣き出しそうなくらいの恐怖と、ドロドロと沸き立つ怒り。
「……ふざけるなよ。人の命をなんだと思っているんだ」
散々他人の命を利用して来たが、自分が利用される側に立つと、これ程までに屈辱的なものだとは思わなかった。
俺にこのような首輪を掛けた人物を、何がなんでもこの世界から取り除くと、今決めた。
その血も思想も、痕跡が一片も残らないように。
◆◆◆◆
「…………ぁ……寝ていたのか」
暗闇の中のため判断が出来ないが、数時間ほど眠っていただろうか。
意識が落ちる寸前まで感じていた怒りは少しだけ収まり、気の枯渇によって引き起こされていた頭痛も現在は消えている。
起き上がって胡座をかくと、太腿の辺りに冷たい感触が伝わる。
岩肌にしては滑らかな感触に、移動して自分が座っていたあたりを見下ろすと、金属的な光沢が見えた。
光が見えないので見た目からは判断することが出来ないが、指先の感触から人工的に加工された金属の板に思えた。
「なんで、こんなものが……いや、そうか」
街に蟲が現れない理由が分かった。
堅牢に見えた街の壁、あれは壁ではなく、金属で出来た半球の下半分なのだろう。そして、この黒い金属には蟲の酸を跳ね除ける性質があるのだと思う。
蟲は地面から潜り込もうにも街の地下を覆う金属板を溶かす事が出来ない。
これがこの街、リドウルビスが蟲に攻め込まれていない仕組みだろう。
まあ、もしかすると深層の翁が何かをしている可能性もあるが、少なくとも浅層の蟲に関してはこの予測が合っていると思う。
「……どうでも良いか。問題があれば、逃げれば良い」
俺はそう開き直ることにした。
どちらにせよ、初めに横穴を掘ったのは俺ではないし、この街が壊れても家も職も持たない俺は困らない。
地上へ続く穴の一つを選び、闇の中を這いずりながら進んだ。
「もう夜なのか」
地上へ出た頃には、月が高く昇っていた。
白亜の街並みは月の光によって青白く染められている。
そういえば、半日くらい洞穴に潜っていた事になるが、子供達は俺が居なくとも動けていただろうか。
エンには引き続き聖剣機関について探りを入れるように言っていたし、ウェンはこの街の組織について調べるように指示していた。
明日あたり、ウェンの進捗を確かめよう。
「うん?」
思索と共に拠点の中を歩いていると、
彼女は左手を使って木片を掴み上げる練習をしているようだった。
震える手でゆっくりと掴み、そしてクレーンのように持ち上げようとすると、木片が破裂する。
「……チッ」
明らかな失敗に舌打ちが漏れる。
指先に着いた木屑を擦り合わせて落とすと、また別の木片を手に取った。
見れば彼女の膝の上には降り積もった木屑があった。随分と熱心にやっていたらしい。勿論、既に与えられた仕事は片付けたのだろう。
彼女に割り振った横穴の補強は
また、木片が壊れて、彼女は舌を打った。
破片となった木片を握りしめた。その手が震えているのは怒りによるものか、痺れによるものかは判断が出来なかった。
今にも暴れそうな怒りと、叫び出しそうなもどかしさが
掌を開くと、塵となった木片がこぼれ落ちる。
彼女は瞼を閉じると、深く息を吐く。
「ふ……ぅ」
そして吐息と共に、あらゆるマイナスの感情も吐き出す。
僅かだが、苛立ちは小さくなる。
「……」
彼女は木片をまた手に取ると、チラリと背後に視線を向けてくる。
どうやら俺の存在には気付いていたようだ。
俺は柱の陰から出てくると、そのままリハビリの続きを行う彼女の隣に座った。間に空いた人一人分の距離が、今の俺に対する信用だ。
「……チッ」
手が震えて、また木片が壊れる。
俺が見ていても彼女の態度はまるで変わらなかった。
リハビリの経験が無い俺にはその心の内を理解できないが、今までは出来ていた事が出来なくなっているのを人に見られるのは嫌がるものだと思っていたが、彼女は違うのだろうか。
それとも、単に俺が人として見られていないだけだろうか。
「……」
頬杖をついて、彼女の手元を眺める。
しかし思考は洞穴の翁に対する疑問で一杯だった。
人ごとその寿命を喰らって半永久的に生きる事ができ、頭が無くとも活動できる生命力を持っている。
加えて、理解が及ばない力を持っている。
どうすれば、そうなれるか。
翁にもう一度会うという選択肢は初めから無い。
今回は偶々満腹の時だったから喰われずに済んだが、多分次は無い。
正直、洞穴に入るのも避けたい。
彼が不死身に見えるのはおそらく躰篭や仙器によるものだろうと予想は付いている。
しかし、寿命を食らうという力も、脳が無くとも会話ができる状態も、どのように付与を組み立てれば良いか現時点では想像も付かない。
これは、そもそも俺が『気』という力に対してあまりにも無知であるからだろう。
聖剣流剣術においては【剣気】として気を用いている。
洞穴の翁は『仙術』という気術と同系統の技術体系を知っていた。
それらを学ぶことが、俺には必要なのかもしれない。
そう言えば俺が習っている気術では、道具に意思を込めたものを仙器と呼んでいる。
偶然の一致とは思えない。
おそらく、『気術』は仙術から分岐した技術ではないだろうか。翁が気術の存在を知っていたのもそれで納得がいく。
「今は、正気か?」
「っ…………うん」
一瞬、挑発をされているのかと思ったが、俺がおかしくなった時のことを指摘しているのだと気づいた。
俺は彼女に改めて謝罪をしようと、向き直る。
「あの時は、本当にすまなかった」
「それは、もう聞いた」
彼女は鬱陶しそうに言った。少し苛立っている。
どうやら選択を間違えたらしい。
「今まで、どこに行っていたんだ?」
「……穴の中だよ。聖剣機関の剣士を見ていたよ……っ」
「それで?」
何故かおもむろに尻尾を掴まれた。
強く握っているわけでもなく、ただ持ち上げた感じなので痛みなどは無いが、彼女の意図を測りかねる。
「剣士は【剣気】という気術を使って剣を保護して蟲と戦っていたよ。【剣気】は蟲の血液から護るだけじゃなくて、単純に斬撃を強化する役割もしているみたいだったよ」
「……似たものを聖剣機関の支部長が使っていた。骨が切れないくらいの鋭さだった」
彼女が深い傷を負っていたのはそのせいだったか。
初めからから本気で戦っていれば良かったのに。
俺の表情から何かを察したのか、
「それで?」
「……それだけだよ……っ」
もう一度、逆撫でされて不快な刺激が走る。
月の薄い光の中で、金の瞳が爛々と俺を見据えている。
「他には何を見た」
「あ、あぁ。穴に入る前に、瓶を作って貰いに鍛冶屋に行った時に、仙器が売られていたんだよ。どうやらある程度以上の鍛冶師なら作れるみたいなんだ。『頑強』が付与された剣があった。多分、それだけだと蟲の血液の影響を受けるから【剣気】を纏わせて保護しているんだと思う」
「仙器……穴に潜ったのはそのせいか」
「もう離してくれな……いっ」
彼女は不機嫌な表情のまま、また尻尾を逆撫でする。
もうそろそろ鱗が剥がれそうだ。
「それで……穴の中で何を見た?」
何かを見たことを確信しているようだった。
俺が隠そうとしていたのは洞穴の翁と出会ったことだ。
それ自体は彼女に影響は無い。
しかし、俺達が『隷属』を刻まれていること、これを教えてしまえば彼女は怒りで取り乱すに違いないと思っていた。
だが、ここまで彼女が確信しているのなら、もう隠すのは無理だ。
「穴の中で蟲に囲まれた時に……」
俺はゆっくりと語り出す。
異形の翁が突然現れたこと。
それが蟲を操っていたこと。
翁に食われかけたこと。
そして、俺には……おそらく彼女にも『隷属』の
「……そうか」
全てを語り終えた後、彼女は俯いて地面を指の爪でなぞる。
何をしているのかと疑問に思ったが、途中から文字らしき記号を書いていることが分かった。いつの間に覚えたんだろうかと思ったが、彼女の書いている文字は俺が見たことのあるものでは無かった。
全てを書き終えた後、彼女はポツリと言った。
「これが、お前の肩に書いてある」
「……え?」
それは、
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第98話『黄金の瞳』
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