19夜目のためのお話:招待状

 降星祭まで、残すこと二日となった。

 聖女に選ばれたヒルデは歌の練習に忙しそうだが、ちょくちょくと店に顔を出してくれる。

 緊張するときはエーファが作るショコラを飲みたくなるそうで、いつも嬉しそうに飲んでくれる。


 常連宣言したマクダレーナもたまに遊びに来るものの、こちらはかなり多忙のようで、頻度は低めだ。

 風の噂――フリートヘルムから聞く話によると、マクダレーナは次期当主になると宣言した翌日からさっそく行動に移したらしい。今は次期当主の座を巡り、父親や兄と対立しているそうだ。

 幸にも傍系の家門はマクダレーナ側についてくれたらしく、今は彼らと手を組んでいるところらしい。


 どうやら長男――マクダレーナの兄が次期当主になるのは不安だったようだ。

 彼は氷魔法の腕前はごく平凡だがプライドが高く、自分より魔力が高い従弟たちに当たり散らしていたのだ。

 

 一方でマクダレーナは完璧主義で不平不満を零す前に己を磨いており、その姿に好意を持てた。

 おかげ今のマクダレーナは後継者教育を受けられるようになった。


 後継者としての資格を手に入れた彼女は、魔法を使用した決闘で兄に勝てば当主の座を譲られることになっている。

 そのため今は絶賛特訓中らしい。


 そしてフリートヘルムもまた時おり顔を見せており、やって来てはヒルデに話しかけていた。

 彼女と楽しそうに話すものの、二人の間には壁がある。


 フリートヘルムから聞いた話によると、彼は幼い頃にお忍びで出掛けた時にヒルデと会い、その時に惹かれたらしい。

 しばらくは全く会っていなかったが、彼女との思い出がずっと心の中にあり、忘れられなかったそうだ。

 そんなある日、彼女が歌うたいとなり毎年歌を披露していたため、密かにその様子を見守っていたらしい。


 フリートヘルムこそヒルデの探していた「あの子」なのだろう。

 そう直感したエーファだが、彼がなかなかそのことをヒルデに打ち明けないからやきもきしている。


「――ああ、もうこんな時間。開店しよう」


 エーファはパチンと指を鳴らし、雲や星を模したランプに明かりを灯す。

 今日のケーキはりんごのミルフィーユと艶やかな光沢が美しいオペラとキャロットケーキ。

 

 リンゴのミルフィーユにはサクサクのパイ生地の間に、シナモンで煮込んだリンゴとカスタードを挟んでいる。リンゴの仄かな酸味とシナモンのスパイシーさが、甘いカスタードに深みを加えてくれる一品だ。


「今日はどのケーキが人気かな?」

 

 うきうきとした声でシリウスに話しかける。

 シリウスはコテンと首を傾げるのだった。まるで、食べてみないとわからないとでも言いたげだ。 


 上機嫌のエーファはカウンターに置いている木箱から水晶細工の飾りを一つ取り出すと、軽やかな足取りで窓辺に置いてある鉢植えに歩み寄った。

 木には既に二十二個の水晶細工が飾られており、ランプの光を受けて美しく輝いている。


「すっかり降星祭らしい装いになってきたね。あっという間だったなぁ」

 

 つい最近までは緑色の面積が広かったのに、今では水晶細工を結ぶ場所を探さなければならないほど、緑色の面積が少なくなっている。

 時間の速さに驚くと同時に、寂しさを感じた。この木を外に出して女神に捧げる頃には、エーファとここ数日で仲良くなった人たちとの関係は一変するだろう。

 これから取ろうとしている行動がどのような結末を運んでくるのかはわからない。しかし彼らとは今のように会うことはできないだろう。

 

「あれだけ早く来てほしいと思っていた降星祭なのに、今はそうでもないんだよねぇ……」

 

 願いと複雑な想いを胸に、ビロードのリボンを枝に結んだ。


 カランと扉につけられている鈴の音が聞こえ、ハッと顔を上げる。

 見ると、店内に入ってきたランベルトがシリウスの歓迎を受けて彼を撫でているところだった。


 シリウスはすっかりランベルトに懐いているようで、彼の喜びと歓迎がエーファの心に流れ込んでくる。まるで甘える仔犬のようだ。

 

 基本的に人懐っこいシリウスだが、今まではエーファ以外の人間にここまで甘えなかった。

 きっとランベルトに心を許しているのだろう。

 

 ――使い魔は主人が信頼している人物に心を許す。

 ふと頭の中に浮かんだ言説があったが、頭の中から追い出した。


「いらっしゃいませ。今日は早いですね」

「……明日から休みなく警備が始まるので、今日は早めに上がったんです」

「いよいよ降星祭ですものね」

「ええ、――その木も見事に飾り付けられましたね。女神様の目に留まることを祈ります」


 彼は気づいていないのだろうか。女神にこの飾り付けた木を捧げる対価として、叶えてもらいたい願いの内容を。

 

 王太子に復讐し、お嬢様を連れ戻すこと。

 エーファの願いは、ただそれだけなのだ。


「じゃあ、明日と明後日は来られないんですね」

「ええ……すみません。毎日来たかったのですが、二日も空けてしまいます」


 この店に来るのは義務ではないというのに、この生真面目な騎士団長は珍しく眉尻を下げてしおらしそうにする。

 

「ひと晩中ずっと警備するなんて大変ですね。頑張ってください」

「ありがとうございます。祭りの翌日は一番に店を訪ねます」


 果たして自分は、騒動を起こした翌日もまたケーキを焼くことができるのだろうか。

 ほぼ不可能だろうと、頭のどこかではわかっている。

 

 しかしそれをランベルトに悟らせるわけにもいかず、曖昧に笑って返事を誤魔化した。

 

「今日のケーキはりんごのミルフィーユとオペラとキャロットケーキですよ。どれがいいですか?」

「それでは、キャロットケーキを。飲み物はホットワインをお願いします」

「かしこまりました」

 

 ランベルトはゆっくりと味わうようにキャロットケーキを堪能した。

 いつも丁寧に味わって食べる彼だが、今日は特にそうしているように感じられた。

 

「ヒルデさん、今日も来ませんねぇ。聖女の仕事で忙しいのかな?」


 もう三日は店に来ていない。

 ポツリと呟いた言葉に、ランベルトはケーキを口元に運ぶ手を止めた。


「……ヒルデさんのことが気になるんですね?」

「ええ、会えないと寂しいです」

「寂しい、ですか……」

 

 ランベルトの声はどことなく嬉しそうだ。

 怪訝そうな顔になるエーファに、彼は微笑みかける。

 

「会えないと寂しくなるほど、大切なご友人ができたんですね。良かった」

「――っ!」

 

 自分でも気づいていなかった心の変化を言い当てられてしまい、息を呑む。


 ランベルトが言う通り、エーファにとってヒルデは気の置けない友人のような存在となっていた。

 今までメヒティルデ以外の人物をここまで恋しがることなんてなかったのだ。

 

「せっかくですので、ヒルデさんの歌を聞きに行ってあげてはいかがですか?」

「み、店があるから……無理だと思います……」

「そうですか。残念ですが、しかたがありませんね。――それでは、エーファさんにとって素晴らしい祝祭日になりますように」

「……ありがとうございます。ロシュフォール団長も、良い祝祭日をお過ごしください」

 

 ランベルトは驚きに目を見開いたが、すぐに柔らかく眇めた。

 

「ええ、きっと良い祝祭日になると思います。氷晶の賢者殿が祈ってくれたおかげで」

「元、ですけどね」

 

 前からわかっていたことだが、当日は彼には会えない。

 いや、明日から全く会えなくなるのかもしれないのだ。


(今がもう、お別れの時なんだね……)

 

 エーファは寂しさを抱えたまま、店を出るランベルトを見送った。


     *☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆* 


「さて、誰も来なくて暇だなぁ」


 ランベルトが帰ると、店内が一気に物寂しくなった。

 ため息をつき、閑古鳥が鳴いている店内を見渡す。

 今までは何とも思わなかったのに、今はやたら店内が広すぎるように思えた。

 

「……明日のメニューでも考えようかな」


 戸棚の中から一冊のぶ厚い本を取り出す。この布張りの赤い表紙の本は、父親がエーファに残してくれたレシピ本だ。

 彼が妻から聞いたレシピや自分で見つけたレシピを書き残してくれていたのだ。

 

 パラパラとページを捲っていると、フリートヘルムの魔力の気配を感じ取る。


 いったいどうしたのだろうかと首を捻っていると、カウンターを挟んで客席側に光の粒子が現れ、その中心にフリートヘルムとマクダレーナが現れた。

 フリートヘルムの転移魔法で来たようだが、二人とも深刻そうな顔つきだ。どうやら、ケーキを食べに来たわけではないらしい。

 

「いらっしゃいませ。二人でくるなんて珍しいですね」

「エーファお姉様、緊急事態ですわ。――ヒルデさんが失踪しましたの。今日いきなり練習を休まれていて――」

「いきなり練習を休んだ……?」


 マクダレーナの話によると、ヒルデが無断欠席したらしい。

 いつも真面目に練習に取り組んでいる彼女のことだから、きっと体調が悪くて休んだのではないかと囁かれていた。


 心配したマクダレーナが彼女の家に見まいに行くと、室内には争った形跡があり、あちこちに物が散らばっていたらしい。


「床にこの手紙がありましたわ。……これはエーファお姉様宛てでしたの」


 マクダレーナはコートのポケットからワイン色の封筒を取り出し、エーファに手渡した。


 ――差出人はアンゼルムだ。

 封を切ると、中から冬の植物が描かれた美しいカードが出てくる。

 

 しかしそのカードに書かれている内容は、とても醜かった。

 ヒルデを返してほしければ、指定した場所に一人で来いと書かれているのだ。


「……今すぐ店を閉じて、助けに行きます」

「待て、どう考えても罠だろう。俺も一緒に行く」


 フリートヘルムは気が立っており、彼から零れ出た魔力が室内の温度を下げている。

 大切なヒルデを誘拐され、怒りが渦巻いているのだろう。


「いいえ。犯人を刺激してはいけないので、私が行きます」

「一人で行くなんて止めろ。むしろ身の安全を考えればここに残って――」

「私のせいで巻き込まれたヒルデさんを見捨てられませんから。そんなことをしたら後で後悔しますし――それに、お嬢様と再会した時に顔向けできません」

「……はぁ、俺がどう言っても聞くつもりがなさそうだ。相変わらず頑固過ぎて困る」


 フリートヘルムは仰々しく溜息をついた。

 今までもエーファの頑固さに振り回されていたようだ。彼の苦労が偲ばれる。


「まあ、犯人は指定した場所に一人で来いと言っただけなので、近寄ることに関しては言及していません」

「……近くで援護しろということか」

「強制はしませんよ。なんせ隊長でもなく氷晶の賢者でもない私が王子殿下に指図なんてできませんから」


 すると、フリートヘルムはニヤリと不敵に笑った。


「ああ、そうだな。俺の意思で行くから問題ないだろう」

「それでは、わたくしも自分の意思でヒルデさんを助けに行きますわ。大切な友人を誘拐されたのですから、容赦しなくてよ」

 

 マクダレーナはそう言うと、珍しく肩をいからせて店を飛び出した。

 彼女なりに作戦があるようだ。

 

「ヒルデさん、すぐに助けますから……もう少しお待ちください」


 エーファは白銀の魔杖を手に取ると、転移魔法の呪文を唱えた。


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