12夜目のためのお話:氷晶の賢者と氷結の王子
エーファは足を止めると、振り返ってオルガンを見遣る。
まだ選考会は終わっておらず、次の歌うたいが前に出て歌っていた。
「ヒルデさん、聖女に選ばれるといいな……」
できることなら結果が発表されるまで祈りの間にいたい。しかし今日ここに来た目的は別にあるのだ。
エーファにとって命と同じかそれ以上に大切なお嬢様を助けるため、味方と情報を集める。それが今のエーファにとって最優先事項だ。
そのはずなのに、今はヒルデのことが気になって仕方がなかった。
後ろ髪を引かれる思いで視線を前に戻すと、先を歩いているはずだったフリートヘルムもまた立ち止まっていた。
フリートヘルムは端正な顔立ちだがやや冷たい印象を受ける顔つきをしているため、彼と目が合った者は責められているように思い、委縮してしまう。
エーファは委縮こそしないが、彼に咎められているような気がして頬を膨らませた。
「ちゃんとついて来ているので怒らないでくださいよ~」
「怒ってなどいない」
「そんなにも怖い目つきで言われても説得力ないですぅ~」
「……相変わらず腹が立つ喋り方だな」
フリートヘルムは半眼になって睨みつける。その口調は怒りよりも、呆れが滲んでいた。
実はエーファとフリートヘルムは歴史が長い。
エーファはメヒティルデが六歳の頃から付き添いで一緒に王宮を訪ねており、アンゼルムやフリートヘルムと言葉を交わすこともあった。
一介の侍女、それも平民が王族と言葉を交わすなんて稀なことだが、アンゼルムが折に触れてエーファに話しかけるため、交流するようになったのだ。
交流とはいえフリートヘルムが一方的にエーファに敵対していたため、顔を合わせばお互いに冷気を放っており仲が悪かった。
ちなみに、その度にエーファはメヒティルデに窘められるため、ことさらフリートヘルムへの不満を募らせていた。
それから月日が流れ、エーファが魔法兵団に入団した。その後、フリートヘルムも魔法学院を卒業してすぐに魔法兵団に入る。
二人とも氷魔法に長けているが、この時もまだ二人の仲は険悪だった。険悪を通り越して最悪だったとも言える。
幾度となく衝突を繰り返した二人は、時に言い争い、時に喧嘩して周囲を氷漬けにするなどして、魔法兵団の団長をさんざん悩ませてハゲさせたのだった。
永遠に和解しないのではと周囲から囁かれていた二人だが、エーファの活躍ぶりと氷魔法の技術力の高さを目の当たりにしたフリートヘルムは、彼女を認めるようになった。
それからエーファが隊長に任命された後、フリートヘルムは彼女を補佐した。エーファもフリートヘルムの実力を認めており、副隊長に任命したのだった。
「……先ほど魔法をかけていたあの女性とは、知り合いなのか?」
「ええ、つい最近知り合ったばかりです。聖女を目指して毎日頑張って歌の練習をしているので、陰ながら応援しています」
「そうか……聖女に……」
フリートヘルムの口ぶりはどこか、ヒルデを気にしているように受け取れる。
エーファは、おやと首を傾げた。王族のフリートヘルムと、平民のヒルデが出会って交流をすることなど、なかなかないはずだ。
ましてやヒルデはどこかの貴族についているわけでも、元貴族でもない。それなのにフリートヘルムが彼女を気にかけているのは不自然だった。
「あれあれ? 誰にも靡かない氷結の王子が恋煩いですか?」
「~~っ! その呼び名を使うな!」
氷結の王子とは、フリートヘルムの二つ名だ。
兄のアンゼルムと同様に美貌に恵まれたフリートヘルムは婚約者がいないため令嬢たちから数々の猛攻を受けていたのだが、どれ一つとして相手にしない。
そんな彼を、氷魔法の使い手であることにかけあわせて氷結の王子と呼ぶようになったのだ。
「ヒルデさんとはどこで知り合ったんですか?」
「……毎年歌うたいとして参加しているから、たまたま覚えただけだ」
「ふぅ~ん? たまたまですか。それにしては、ヒルデさん以外の常連歌うたいたちのことは覚えていなさそうですが?」
「あ、あんたの従妹が毎年いるのは知っている」
「それは毎年聖女に選ばれて目立っているからでしょ?」
今までフリートヘルムの近くで見てきたからわかる。ヒルデは間違いなく、フリートヘルムにとって特別な存在だ。
そうでなければ、令嬢たちに想いを伝えられても素っ気なく躱していた人間が彼女に興味を示すはずがない。
おまけにヒルデにかけられている魔法はフリートヘルムが得意とする領域だ。
エーファは攻撃魔法が得意だが、フリートヘルムは防御が得意なため、お互いに補填して任務に就いていたのだ。戦闘の間だけだが、フリートヘルムに同様の魔法をかけてもらっていたことがあるからわかる。
「とにかく、時間がないのでさっさと移動するぞ」
「はいは~い。身分違いの恋は大変ですねぇ」
「……返事は一回でいい」
フリートヘルムはエーファより年下で二十歳だが大人びている。そんな生意気な年下に思わぬ可愛い一面があることを知ったエーファは、揶揄う材料を手にしてにんまりとするのだった。
*☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆*
エーファとフリートヘルムは、神殿の奥にある隠し部屋に入った。
部屋の中には何もない。部屋の背の高い場所に窓があるだけだ。
念のため部屋に入ってすぐに探知魔法をかけてみたが、部屋には防音魔法しかかけられていなかった。秘密の話をするにはお誂え向きの場所だ。
エーファはさっそく本題を切り出した。
「フリートヘルム殿下が次代の太陽の座を欲していると、人伝に聞きました。王太子殿下を慕っているあなたがそのような願いを持つなんて驚きましたよ。本気なのですか?」
「……ああ、本気だ。この国の未来を想うなら、あの人を国王にしてはならない」
フリートヘルムは苦虫を嚙み潰したような表情になる。
今もまだ兄のアンゼルムを慕っているのだろう。心の中に葛藤があるようだ。
「昔は……何でもできる兄上を慕っていた。だから、兄上が特別気にかけていたあんたが気に入らなかった」
「ええ、そうでしたね。おかげで喧嘩を吹っ掛けられているのに我慢しないといけないという理不尽で気が狂いそうでしたとも」
「……それは悪かったと思っている。あんたは王族に仕返しができないのに挑発してすまない」
「お嬢様に恩赦を出してくださったら許しますよ」
「調子に乗るな。それに、しれっと俺ではできない要求をするな」
融通が利かないが自身の過失を素直に認める点で、エーファはフリートヘルムを信用している。
貴族や王族が平民に対してそのような誠実な対応をしてくれることは滅多にない。だからエーファはフリートヘルムと何度も衝突していたが、彼を副隊長に任命した。
今日こうして会ったのも、相手が彼だからだ。他の人物なら警戒して、ハンスに代行してもらっていた。
「ともかく、兄上は完璧だと思ったが、それは技術も者も――そして人も、手に入れるためには手段を選ばないからだということに気づいたんだ」
完璧な王太子と思っていた兄が、実は全てを掌握しなければ気が済まない暴君予備軍だった。
そう気づいたきっかけは、皮肉にもメヒティルデが国外追放された事件――つい最近の事だ。
「誘拐事件のあった日、王宮の中で不審な魔法を感知して発信源を探ったら、兄上がいたんだ。隣には今の婚約者のユリア嬢もいた。二人は王宮の裏で、なぜか犯人たちと話をしていたんだ」
犯人たちは拘束されておらず、その事もまたフリートヘルムに疑念を抱かせた。
風魔法を応用して音を拾ったフリートヘルムは、驚くべき話を耳にした。
『――ええ、目撃者は全て口封じしました。奴らの家族を人質にとっているから、そう簡単に言わないでしょう。真実は永遠に沈黙し、アーレンベルク公爵令嬢は二度とこの地を踏めなくなります』
『ご苦労だった。彼女を追放した暁には、君たちには国外に亡命する手段と、亡命先で一生遊んで暮らせるほどの報酬を贈ろう』
しかしアンゼルムはその約束をした口で、忘却魔法を唱えた。魔法をかけられた犯人たちはその場に倒れ込み、控えていた護衛騎士たちに運ばれる。
『罪人に報酬を贈るわけがないだろう。私たちとの記憶を全て消して、今の話も含めて全て忘れさせた。代わりに、アーレンベルク公爵夫妻とその娘に依頼されてやったという記憶を作った。これで、裁判の時は上手く立ち回ってくれるはずだ』
『あのような下賤の者たちは、情報を売るかもしれないですものね』
ユリアはそう言うと、クスクスと笑った。
密かに話を聞いていたフリートヘルムは身震いした。
一連の事件は全て、裏でアンゼルムが糸を引いていたのだ。少しの罪悪感もなく、当たり前のように罪を犯していたのだ。
「翌日に行われた裁判では平気でメヒティルデ様に濡れ衣を着せて、国外追放していた。メヒティルデ様は王国が守るべき民で――これまで兄上と国のために妃教育に励んでこられたお方だというのに、少しも迷いがなかった。兄上は己の欲望を満たすためなら、この先も民に手をかけるかもしれないと危惧したんだ」
「……それでは、フリートヘルム殿下はお嬢様にかけられた冤罪を晴らすために証人になってくださるんですか?」
「ああ、このままあの人を放っておくわけにはいかない。兄上の本性に気づけなかった責任をとるつもりだ。そして、今回の事件で被害に遭っている民たちを助けたい」
「それでは一緒に、あのいけ好かない王太子に一泡吹かせましょう。今年の降星祭の夜はいつになく盛り上がりそうですね」
エーファはニッと笑った。
フリートヘルムが証人となるなら心強い。第二王子とはいえ、彼にも影響力がある。
「さて、話しも終わったことだし、帰りにもう一度祈りの間に寄って行こうかな。もしかしたら、聖女の選定会の結果が出ているかも~」
「裏口からすぐに帰った方がいい。うかうかしていると兄上に気づかれるぞ。見つかったら厄介だろう?」
「心配性だなぁ。変装しているから大丈夫ですよ~」
「髪の色を変えただけで誤魔化せると思うな。あの人なら気づくだろうし――いつもあんたの魔力を探知しているからわかるはずだ」
「うげっ、人の魔力を探知しているなんて気持ち悪い……」
「……メヒティルデ様に追跡魔法をかけていた方が、何を言っているんだ……?」
「私はお嬢様の身を案じてやっているんです! 悪質なつきまとい魔と一緒にされては困ります!」
「さあ、どうだろうか。傍から見たらどちらも同じように思えるが……」
「むむっ、全然違いますよ!」
同族嫌悪を疑われて遺憾なエーファなのだった。
「あと……隊長の座はまだ空けている。気が向いたらいつでも戻ってきたらいい。白銀の魔杖は今も、あんた以外を認めるつもりはないようだしな。なんやかんやで部隊のみんなも、あんたじゃないと隊長に認めたくないようだからな。俺はどうでもいいけど」
フリートヘルムはそう言ったきり、エーファに背を向けて部屋を後にした。
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