3夜目のためのお話:ビロードのリボンに込める思いは

 ランベルトが事務仕事を片付けていた頃、エーファは今夜の開店に向けてケーキを焼いていた。


 今夜はレアチーズケーキとチョコレートブラウニーとキャロットケーキだ。レアチーズケーキは昨夜から仕込んでおり、型から取り出して切り分けるだけ。


 シリウスはカウンターの外――客席の窓辺に置かれている植木鉢の近くで丸くなって寝ている。


「前日に下準備をしていると、手早く準備できるからいいね」

「ガウッ」

「シリウスもそう思う? じゃあ、明日はカヌレを出すことにして、暇な時に下ごしらえしておこうかな」

「ガウガウッ!」


 賢い相棒が賛成してくれて上機嫌のエーファは、鼻歌交じりでキャロットケーキの材料を揃える。

 

 手始めに薄力粉をふるってボウルに入れた。粉雪のように降り注ぐ様子を見ていると、昨夜店に来たランベルトの表情が脳裏に浮かぶ。


 生真面目な騎士団長は、あの美しい紫水晶の目に警戒心を宿していた。

 彼は王国の平和を守る騎士――ひいては、王族の番犬だ。王族の庭で彼らを狙う者を捕らえることもまた、彼の仕事である。

 

「ロシュフォール団長、今日も来ると思う?」

「ガウッ」

「うん……もしかすると、私の計画に気づいているかもしれないね。露骨に言い過ぎたかなぁ」


 エーファは肩をすくめると、ニンジンをすりおろした。しょりしょりと削られていくニンジンの先が小さくなると手を止め、オーブンからあらかじめ焼いていたクルミを取り出して砕く。

 

「もしもロシュフォール団長が邪魔をしても、絶対に計画を変えないよ。だって、一日でも早くお嬢様を助け出したいんだから」

「クゥーン……」

「大丈夫、無茶なことはしないから安心して?」


 シリウスは目をしょぼしょぼさせ、植木鉢を見上げた。木の枝に吊り下げられた水晶細工の飾りが、店の中を照らす魔導ランタンの光を受けてキラリと輝く。

 

「降星祭で女神様に祈るだけなんて、私には無理だよ。お嬢様が私を助けてくれたように、今度は私がお嬢様を助けるんだから」


 だから彼女は、降星祭の日の夜に王太子のアンゼルムに復讐する。厳密に言うと、彼と彼の新しい婚約者であるユリア・フォン・ケーラーに。

 二人はメヒティルデとの婚約が白紙になった後、すぐに婚約を結び直したのだ。おおよそ、メヒティルデという婚約者がいながら、伯爵令嬢のユリアと恋仲だったのだろう。


「お嬢様を蔑ろにするだけでは飽き足らず、利用するだけ利用した後は濡れ衣まで着せて捨てるなんて……絶対に――許さない……!」


 エーファはやや荒々しく生地を作る。生地を流し込んだ焼き型を、ボスンボスンと音を立てて空気を抜いた。

 

 ごく一部の者にしか知られていないが、メヒティルデは両親の罪を明るみに出すためにアンゼルムと手を組んで奔走していた。

 それにもかかわらずアンゼルムは、メヒティルデが元アーレンベルク公爵夫妻と共にユリアの誘拐事件に加担していたと主張したのだ。ユリアに嫉妬したメヒティルデが彼らに手を貸したと主張して――。


「真実は、私が全て明らかにしてやる」


 エーファは胸元から銀色のペンダントロケットを取り出した。それはエーファが初めて得た給料で買ったものだ。


 中に描かれているのは、五歳の頃のメヒティルデの肖像の描き写し。エーファにとって一生忘れられない、宝物のような思い出をしまっているのだ。

 

     *☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆* 

 

 エーファは平民の家に生まれた。

 

 父親は元貴族、母親は平民。

 二人は駆け落ちして実家から縁を切られていたため、生れてから一度も祖父母や親戚に会ったことはない。

 

 母親はエーファを生んだ後、産後の肥立ちが悪くこの世を去ってしまった。

 遺された父親はエーファが寂しがらないよう惜しみなく愛情を注いで育ててくれた。

 

 カフェ銀月亭は、エーファの両親が生前に営んでいたカフェだった。エーファは魔法兵団で稼いだお金でここを買い戻したのだ。


 もともとこのカフェは母親がきりもりしており、父親はその常連客だった。

 出会いのきっかけは、父親が魔法兵団で働いていた頃のこと。遠征帰りでクタクタのところ深夜に魔物が王都に出現して駆り出された父親たち魔法使いに、母親がお礼としてお菓子を振舞ったことがきっかけだった。


 父親は、母親に一目惚れしたらしい。女神のように優しい笑顔を向けられ、心臓を射抜かれたそうだ。

 実際には胃袋も掴まれていたのだと、当時をしる常連客仲間たちが笑って教えてくれた。


 駆け落ち後、父親は魔法兵団を辞めてカフェで一緒に働くようになった。父親は元貴族だったのにも関わらず、瞬く間に料理の腕を磨いたそうだ。

 

 母親の死後、エーファと父親は貧しいながらも穏やかな生活を送っていた。父親は子育てしながらカフェをきりもりし、エーファはその手伝いをしていた。

 今エーファがカフェで出しているお菓子のレシピは、母親から父親、そしてエーファに受け継がれたものだ。

 

 平和な日常は、エーファが十一歳になる年に一変した。父親が病を患ってしまったのだ。

 町医者に頼ったが、父親の状態はよくならなかった。そこでエーファは決心して、父親の実家を頼ることにした。

 

 家名は知っていた。大人たちが噂しているのを聞いたことがあったのだ。


 きっと助けてくれるに違いない。なんせ家族の危機なのだから。

 幼いエーファは希望を胸にルントシュテット侯爵家の門を叩いた。

 

 しかし現実は甘くなく、ルントシュテット侯爵家の当主はエーファに顔も見せず、使用人を使って彼女を追い払った。

 絶縁した他人を助ける義理はないと、バッサリと言い捨てたのだ。

 

 途方に暮れたエーファは、王都の貴族区画をトボトボと歩いて帰っていた。平民らしい質素な身なりに、整った顔と珍しい銀色の髪が目立ち、周囲にいる貴族たちから不躾な視線を浴びせられた。


 すっかり弱って泣き出しそうになったエーファの目の前に、豪奢な馬車が停まった。その中から出て来たのがメヒティルデ――たった五歳の公爵令嬢だった。


 メヒティルデは波打つ艶やかな黒髪と橄欖石ペリドットの如く輝く目を持つ、美しい人形のような少女だった。

 

「ここは平民が来るような場所ではないわ」

「……すみません」


 自分よりうんと小さな子どもなのに、エーファは彼女の凛とした声と容赦のない言葉に委縮して縮こまった。


「責めているわけではなくてよ。ここにいる理由が知りたいだけなの。教えてちょうだい」


 そう言い、メヒティルデはポケットからハンカチを取り出すと、エーファに手渡す。

 ハンカチを受け取ったエーファは、ポツリポツリと事の次第を話した。最後には涙声になって上手く話せていなかったというのに、メヒティルデは最後まで聞いてくれたのだ。


 やや沈黙したのち、メヒティルデはエーファの手を取った。

 

「――あなた、私の侍女になりなさい」

「でも……、私は父の看病をしないといけないので……」

「父親も一緒で構わないわ。使わない部屋が余って困っているもの。そこで治療を受けるといいわ。専属の医師をつけてあげる」


 エーファは天の助けだと思い、メヒティルデの提案を承諾した。

 

 それから父娘二人でアーレンベルク公爵家の離れにある使用人寮に住まわせてもらい、父親は手厚い看病を受けた。

 

 しかし父親は治療が間に合わず、衰弱した体は日に日に弱っていった。

 もう長くはないと医者から聞いたメヒティルデはエーファに無理やり休暇を与え、最後は二人きりの時間を過ごさせたのだ。


     *☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆*  


 ケーキを全て作り終えたエーファはパチンと指を鳴らし、店全体に魔法をかける。


「お嬢様、もうしばらくお待ちください」

 

 カウンターに置いている木箱から水晶細工の飾りを一つ取り出すと、窓辺に置いてある鉢植えの枝歩み寄る。

 願いを込めつつ、ビロードのリボンを丁寧に結んだ。


 背後でカランと鈴が鳴る音がした。振り向くと、なぜか怪物の石像ガーゴイルの如く眦を釣り上げたランベルトがいるではないか。


「わあ、ロシュフォール団長。約束通り、今日も来てくれたんですね。――ところで、どうしてそんな怖い顔をしているんですか?」

「表の看板についている、あの杖……」


 ランベルトはワナワナと肩を震わせている。

 

「あー、あれは白銀の魔杖です。ちょうどいい置き場がなかったのであそこにつけました」

「け、賢者の証になんてことを!」


 静かな冬の夜。王都の片隅で、騎士団長のランベルト・フォン・ロシュフォールの声が響き渡ったのだった。

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