2夜目のためのお話:残念な二人

 夕日が沈み、濃紺の夜空に星が輝き始めた。


 ランベルトは彼が所属する騎士団の詰め所にある団長室で書類を片付けていた。

 先週まで魔物討伐の遠征に出ていたため、処理する書類が山積みになっているのだ。


 眉間に皺を寄せて書類の確認をしているランベルトのもとを、若い男の騎士が訪ねてきた。

 栗色の長めの髪を頭の後ろで結わえて肩にかけ流しており、前髪から覗く目の色も髪と同じ栗色。

 やや垂れ目なこともあり、柔和な雰囲気のある男だ。

 

「団長、氷晶の賢者殿の調査書をお持ちしました」

「ありがとう。早くて助かるよ」


 彼の名はリーヌス・ガイスト。年齢は二十二歳で、ランベルトの副官を務めている。

 

 今日は朝一番にランベルトから元・氷晶の賢者ことエーファ・ヘルマンの過去を調べるよう命じられ、王都隅々を駆けまわって情報をかき集めてきたのだ。


「例の店は通りにあったか?」

「それが……団長から聞いた場所の近辺を探してみましたが、『カフェ銀月亭』の看板は見当たりませんでした」

「やはり認識阻害の魔法をかけている可能性があるな」

「ええ。あのお方がカフェを始めているのに、噂ひとつ聞かないなんておかしいですものね」


 なんせエーファ・ヘルマンは多くの者から惜しまれながら賢者と魔法兵団を辞したのだ。その衝撃的な退任の一件もさることながら、美しい容姿と珍しい色の髪を持つ彼女が平民区画の片隅でカフェを営んでいたらすぐに噂になるはずだ。

 

 ランベルトは手に持っていた書類を置くと、リーヌスから報告書を受け取った。

 

「既にご存知かもしれませんが、氷晶の賢者殿の父親は元ルントシュテット侯爵家の長男で、母親は平民です。駆け落ちした二人の間に生まれました」

「ああ、ヘルマンさんが魔法兵団の隊長に就任した際に聞いたことがある。……貴族の血が流れているから魔力が強いと」

 

 ランベルトは苦々しく顔を顰めた。彼が実際に聞いた話は、もっと醜悪な形をしていたのだ。


 この国では誰しもが生まれながらにして魔力を持ち、魔法を使うことができる。その中でも貴族は特に強い魔力を持っており、歴代の賢者は貴族出身の魔法使いが就任していた。


 ――しかしエーファ・ヘルマンが賢者に任命され、貴族の権威が揺らいだ。

 彼らは平民の賢者の誕生を認められず、大いに反発した。そしてエーファ・ヘルマンの出自を明かすと、ありもしない尾ひれをつけて吹聴してまわったのだ。


 エーファ・ヘルマンは貴族をたぶらかした娼婦の娘だとして彼女を蔑み、もしくは彼女の任務の邪魔までした。

 

 一方で平民は盛大に彼女を祝福した。この国にながらく横たわっていた力の均衡を彼女が崩して新しい時代を呼んだのは、多くの平民たちに希望を与えたのだ。

 

「――母親は彼女を生んで間もなく死去。父親と二人で暮らしていたが、十一歳の頃に元アーレンベルク公爵令嬢に父親と共に保護される……か。何があったんだ?」

「父親が流行り病で伏せており氷晶の賢者殿が医者を探していたところ、偶然通りかかった元アーレンベルク公爵令嬢が手を差し伸べたそうです」


 元アーレンベルク公爵令嬢ことメヒティルデ・フォン・アーレンベルクは、つい最近とある事件がきっかけで国外に追放された。

 公爵令嬢だった彼女は幼少期から王太子であるアンゼルム・フォン・リーツェルの婚約者だったが、アーレンベルク公爵夫妻が違法取引をはじめとした数々の犯罪に手を染めていたことが発覚し、婚約が白紙になる。


 そうして公爵家は没落。公爵夫妻は処刑された。

 メヒティルデもとある事件に加担していたとして、国外追放を言い渡された。

 

「……そのことがきっかけで――ヘルマンさんは『お嬢様狂』と呼ばれているんだったな」

「そうです。元アーレンベルク公爵令嬢に保護された氷晶の賢者殿は彼女に心酔してしまったそうで……彼女のためなら命をかけるほどの献身を発揮するようになりました」


 保護された当初のエーファは十一歳、メヒティルデは五歳。

 当時、幼いながらもすでに公爵令嬢としての威厳を持っていたメヒティルデは、エーファを自身の専属侍女として雇うことで彼女を保護したのだ。

 

 もともと平民だった彼女に貴族としての教養はなかったのだが、メヒティルデがつけた家庭教師らにしごかれてひと月で完璧に身につけたとのだと、当時アーレンベルク公爵家で働いていた使用人が証言した。

 

 不幸なことに父親は保護された後しばらくしてから息を引き取った。手厚い治療を受けたが、手遅れだったのだ。

 彼の死を忘れるためにも、エーファは勉学に没頭した。

 

「そういえば、彼女が魔法兵団に入ったのも元アーレンベルク公爵令嬢の命令だと聞いたことがあるな」

「はい。きっかけは元アーレンベルク公爵令嬢が魔法学院に入学するのについて行こうとしたため、強制的に入団させられたそうです」

「あのお方がそこまでするとは信じがたいが……」


 ランベルトの知るエーファ・ヘルマンは、にこやかだが淡々として素っ気ない人物だった。

 大抵の異性はランベルトに近づこうとして根掘り葉掘り聞いて来るのだが、エーファは違った。必要最低限の言葉だけ交わす彼女との仕事に、やりやすさを感じていたのだ。

 

「普段はそっけない方ですが、元アーレンベルク公爵令嬢のこととなると人が変わるそうです。以前は王宮内で元アーレンベルク公爵令嬢を見かける度に彼女につきまとっていたそうで……その度に部下たちに連れ戻されていました」

「……筋金入りの『お嬢様狂』か」

「ええ、見目がよく魔法の才もあるし人望もあるのに……盲目的に元アーレンベルク公爵令嬢につきまとう姿を見た者は、揃って残念な美女だと言っていました」

「たしかにまあ、あれだけ全て兼ね揃えているとそう思ってしまうな」

「あれ、なんだか既視感がするような……」


 リーヌスはじっと上司を見つめた。


 端正な顔立ちに、公爵家の次期当主という華やかな地位を持つ、全てを手にしているような男。

 しかし彼は生来の生真面目さが原因で、なかなか婚姻が成立しない。

 

 そんな彼は、巷では残念な貴公子と呼ばれているのだ。

 

「……似た者同士……」

「何か言ったか?」

「いいえ、なんでも」


 リーヌスは咳ばらいして誤魔化すのだった。


「ひとまず、今後も氷晶の賢者殿を見張っておいた方が良さそうですね。他の騎士団にも情報を共有しておきますか?」

「その必要はない。このことは極秘で進めておく」

「まあ、本当に事件を起こしたわけではないですもんね。様子見としましょう」

「ああ……今日はもう下がっていいぞ。私ももう帰るところだ」

「かしこまりました」

 

 リーヌスが部屋を出る音を聞きながら、ランベルトは窓の外を見遣る。

 空に浮かぶのは銀色の満月。その色は王都の一角でカフェを営んでいる、件の店主を彷彿とさせる。


「……私の責任は、私がとろう」

 

 ランベルトは立ち上がると、外套を羽織って部屋を出た。

 

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