22夜目のためのお話:雪夜の奇跡

「ランベルト兄さん、その手をエーファから離せ」


 アンゼルムの低い声が、二人の耳に届いた。


「できません。今のエーファさんは一人で立っていられる状態ではありませんから――」

「御託はいい。触るなと言っているんだ。私のエーファから離れろ」

「王太子殿下、エーファさんはものではありません。民を守るべきはずのあなたが、どうしてそのようなことを仰るのですか」


 そう言い、ランベルトはしっかりとエーファを抱き寄せた。まるで、アンゼルムから庇うように。


 つい数日前は彼に抱きしめられるとソワソワとして居心地が悪かったが、今は違う。むしろ安心し、離れたくないとさえ思ってしまった。


 自分でも気づかぬうちに、ランベルトに寄りかかる。

 

 ランベルトはというと、ほんの少しだけ寄りかかられた重みに、柔らかく目を細めたのだった。

 

「以前、エーファを助けに来た時に勘づいていたが……やはりエーファに惚れているのか」

「それはこのような状態で答えられません。然るべき準備をしてから本人に伝えようと思っていますから」


 はっきりとした言葉ではないが、その答えはまるで、惚れていると認めるようなものだ。

 

 驚きに目を見開くエーファを、ランベルトが請うように見つめ返す。

 その真摯な眼差しを向けられると、胸の奥が軋むのを感じた。今までに抱いたことのない未知なる感情に、エーファはとくとくと心臓が駆け足になる。

 

 今は緊急事態だというのに、ランベルトにその続きを話してほしいと思ってしまった。

 

「……なるほど、つまりはエーファに惚れていると認めるのだな」

 

 アンゼルムは見つめ合う二人の姿に苛立ちを募らせる。

 ようやくメヒティルデを遠ざけてエーファの心を自分に向けられるとばかり思っていたのに、横から入ってきたランベルトに盗られてしまったのだ。それが腹立たしくてならない。

 

「すぐにお前も追放してやる。――いや、今度は処刑しようか。罪状は王太子の暗殺未遂がいいだろう。王位継承権があるお前は私に手をかけて王の座を奪おうとした――謀反の首謀者になるがいい」


 ランベルトの父親は現王の弟だ。そのためランベルトにも王位継承権がある。

 とはいえ、その順位ははるか遠いものだ。フリートヘルムと父親の次がようやくランベルトの順番なのだ。


 今までは無いに等しいものだと思っていたその継承権が、ここに来て悪用されるとは思ってもみなかった。

 

 エーファは足元に伸びきっている男たちに目を向けると、小さく唸った。

 王族以外の者が立ち入りできない場所で、王太子の護衛たちが床に倒れている。この状況を第三者が見た時、その者は間違いなく王太子の言葉を信じるだろう。

 

「ロシュフォール団長は今回の件に無関係です。巻き込まないでください」


 ますます雲行きが怪しくなっていることに、エーファは焦燥を感じる。もう誰かが自分のせいで傷つくのを見たくないのだ。

 

 そんなエーファの焦りが、アンゼルムの機嫌をよくした。

 彼女が自分の手に落ちてくるまであと一息。内心舌なめずりをしてエーファに微笑みかける。

 

「エーファ、君が私以外の人間に関心を寄せたらどうなるのか思い知ればいい。二度も喪失を経験すれば、さすがに学習するだろう?」


 猫なで声で、優しい口調で、エーファを追い詰める。

 いつも真っ直ぐにメヒティルデを想う彼女が折れる瞬間を、何年も待ち望んできた。


 ――これでようやく、手に入れられる。

 

 アンゼルムは魔法で小屋の窓を開けると、そこから赤い光を外に放った。騎士たちに緊急事態を知らせる合図だ。

 合図を見た騎士たちは、アンゼルムの身に何かが起こったのだと察して、駆けつけてくるようになっている。そうしてこの小屋に来た騎士たちに、ランベルトを拘束させる魂胆だ。

 

 エーファは真っ青になって、その様子を眺めた。


 自分のせいで、ランベルトが処刑されてしまう。


 エーファが弁明しようと、アンゼルムはきっと言葉巧みに人を騙して己の望む結果を手にするだろう。

 無実のランベルトの命が奪われてしまうことを思うと、全身から血の気が引いた。


(私が王太子殿下を魔法で攻撃したら、少しは誤魔化せる……?)


 ぎゅっと白銀の魔杖を握りしめる手に、ランベルトの手が触れる。

 

「エーファさん、そんな顔をしないでください。きっと何とかなります。なんせ私は、生真面目な騎士団長として良くも悪くも知られていますから。騎士や貴族の中には、私が謀反を企てるような人間ではないと反論してくれる者が現れるはずです」

「でも……」

「そう簡単に処刑されませんよ。……あなたに伝えたいことがあるので、絶対に戻ってきます」


 確信に満ちたランベルトの宣言に、アンゼルムが腹を抱えて笑った。

 

「生真面目な騎士団長は仲間を過信しているようだな。しかし人間は真実より己の利益を優先する生き物だ。お前が信用している者たちだって、王太子である私の言葉に流されるだろうよ。誰もが私の言葉を真実だと信じて疑っていないからね」

「――王太子殿下、これ以上の見苦しい言動は止した方がよろしくてよ。もっとも、望んでご自身の身を破滅させるなら止めませんわ」


 マクダレーナの声が聞こえてくるや否や、目の前に光の粒子を纏ったマクダレーナが現れた。

 転移魔法で魔力を大量に消費してしまったせいか、顔色が良くない。


「全く気付いていないようなので教えて差し上げますけど、ここでのやり取りは全て国民に筒抜けですわ」

「……なんだって?」

「王都と王宮内にわたくしが氷の結晶を作って、そこにここの映像と音声を流し込みましたのよ。媒介はエーファお姉様のイヤリングですわ。それは、かの魔道具大国カーセム=シンの魔道具師が作った記録魔法が付与された代物ですの」


 エーファはハッとしてイヤリングに触れる。集中して魔力を察知すると、微力だが魔力を感じられた。


(ただのアクセサリーだと思っていたのに……!)

 

 魔法使いは魔力に敏感だ。それにもかかわらず魔力を感じさせないように付与するなんて至難の業だろう。


 カーセム=シン王国はリーツェル王国から遥か東にある砂漠の国だ。

 魔法石が豊富に産出されるその国では魔道具の技術が高く、リーツェル王国を含む各国が彼らと交易を望んでいる、いわば今話題の国。

 各国がこぞってカーセム=シン王国との同盟を結びたがっているのだ。

 

「そのイヤリングは、カーセム=シンの新しい国王陛下がエーファお姉様の高い忠誠心を評価して下賜しましたの」

「……忠誠心? エーファはまだ、あの国王に会ったことがないはずだが?」

「カーセム=シンの国王陛下が評価されたのは、エーファお姉様が彼の方が最近婚約者に迎えた者に長らく忠誠を誓い、尽くしてきたことですわ」

「婚約者……まさか――」

 

 アンゼルムが答えに辿り着いたその時、小屋の扉が大きな音を立てて破られた。

 ひんやりとした冬の夜の空気と共に、粉雪が流れ込んでくる。


 外は雪が積もっており、月明かりが照らしている。

 その明かりを背に現れたのは、エーファの頼れる相棒のシリウス。

 シリウスの背には、異国の装束を着た男女がいる。

 一人は、この小屋に来る前に見かけた尊大な態度の青年だ。もう一人は、波打つ黒髪と知的な橄欖石ペリドットの目を持つ少女。


 この国から追放されたはずの、メヒティルデ・フォン・アーレンベルクだ。


「お嬢……様?」

「ええ、そうよ。遅くなったわね」


 メヒティルデは美しい笑みを浮かべる。


「ただいま、エーファ」


 エーファはランベルトの腕からすり抜けると、メヒティルデに抱きついた。

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