8夜目のためのお話:銀のゴブレットとヤドリギの飾り
「そういえば、ヒルデさんは今年の降星祭の歌うたいなんですよ」
「そうでしたか、ヒルデさん、試験合格おめでとうございます。当日は我々騎士団がみなさまの安全をお守りしますのでご安心して女神様に歌を捧げてください」
「はいっ! よろしくお願いします」
「私は神殿の内部を担当することになっているので、ヒルデさんの歌を聞けそうです」
降星祭の日の夜は王族がみな神殿に揃うため、いつも以上に警備が厳しくなる。騎士も魔法使いも動員されるのだ。
(ロシュフォール団長は神殿の内部にいるのかぁ……。どうにかして、外に誘導できるといいんだけど)
エーファはランベルトの話を聞きながら、当日の警備について考えを巡らせた。
もしも戦闘が始まってしまったら、ランベルトは厄介な存在だ。彼は騎士でありながらも高等魔法の心得がある。
彼とは何度か一緒に魔物討伐作戦に参加しているため、戦い方の特性は把握しているのだ。
通常なら騎士たちは魔法使いの後方支援を頼りにしている。魔物が持つ魔法特性や魔法の攻撃による状態異常を回避する術を持ち合わせていないためだ。
しかしランベルトは自身に魔法防御をかけて戦うことができるため、先陣を切って魔物と戦うことができる。
問題はもうひとつある。それはかつての同僚である魔法使いたちだ。
彼らならエーファの魔法に対抗できるだろう。魔法を防御されては困る。
とはいえ魔法以外の戦闘は不利だ。一応は侍女として働いていた時にハンスから護身術として体術を習ったが、圧倒的に敵が多い中で戦うのは難しい。
(さて、どうしたものかな……)
当日までに教会へ行き、魔術式を床に描けば、あの一帯を自分の魔法に有利な土地にできるかもしれない。そうすれば、彼らの身動きを封じると目的を達成できる――。
木べらでホットワインを混ぜながら、物騒な作戦を思い描く。彼女の脳内とは裏腹に、甘く芳しい香りが辺りに立ち込める。
エーファは小さく溜息をつく。
いずれにせよ、今は作戦を立てるには情報が足りない。もっとロシュフォール団長から話を聞き出さないといけないのだ。
悩む彼女をよそに、沸騰したワインを抱えた鍋がカタカタと動き始める。
エーファは火を止めると、出来立てのホットワインを銀のゴブレットに注いだ。
ゴブレットの飲み口にはブドウの意匠が施されており、豪奢ではないが品の良い雰囲気がある。
このゴブレットはエーファが職人に作らせたものだ。カフェ銀月亭の食器は基本的にはエーファの両親が選んだものだが、これはエーファが店を始めるにあたり追加した。
ゴブレットを作ってくれたのは、かつてエーファの父親が一人できりもりしていた頃の常連客だった金細工職人の男だ。
エーファの父親と仲の良かったその男は、度々エーファたちの家に招待されて一緒に夕食をとっていた。その度にエーファの父親は彼のためにホットワインを作っていたのだった。
カフェ銀月亭で作っているホットワインのレシピもまた、父親から受け継いだものだ。彼はいつも友のためにホットワインを作っていたが、決して自分は飲まなかった。
『たまには飲んだらどうだ?』
『いいや、酒はエーファが成人した時の楽しみにとっておくんだ』
幼い頃、二人がそう話しているのを何度か聞いたことがある。それはお決まりな会話になっていたため、エーファはなんとなくその話を聞いてたのだった。
しかしエーファが成人した年の誕生日の夜、金細工職人が数年ぶりに訪ねて来て、彼女に両手で持つほどの大きさの木箱を手渡した。
中には銀のゴブレットが三つ入っていた。それらはエーファの父親が生前に注文していたものらしい。
彼はエーファが成人を迎えた日に二人で祝い酒を飲むために、とっておきの盃を用意していたのだ。
『ゴブレットの一つはエーファ――お前のだ。もう一つはあいつで、最後の一つはエーファの母さんの墓に供えるためのものだと言っていたよ。一緒にエーファの成人を祝うつもりだったんだとさ』
金細工職人の男が言うには、ゴブレットの意匠はエーファの父親が考えたらしい。
数年の時を経て父親の愛情を受け取ったエーファは、胸の中に溢れるいくつもの思いに言葉を失い、今にも泣きそうな顔で立ち尽くした。
公爵家の侍女としての教育に忙殺されて父親を失った悲しみに蓋をしていたつもりでいたが、やはり心のどこかで彼に会いたいと思っていたのだ。
その後、金細工職人の男に頼んで同じ意匠でゴブレットを作ってもらった。
父親が作ってくれた意匠のゴブレットを見せに置くと、彼が見守ってくれるような気がしたのだ。
「ロシュフォール団長、ホットワインができましたよ。冷める前に飲んでくださいね」
「ああ、ありがとうございます」
シリウスの美しい毛並みを撫でてうっとりとしていたランベルトだが、エーファに声をかけられると瞬時にキリリとした表情を取り繕う。この生真面目な騎士団長様は、相当モフモフがお好きなようだ。
「ロシュフォール団長は使い魔を呼ばないんですか? 契約を結べそうなほど魔力が潤沢にあるように見えますけど……」
「そうしたいのはやまやまなのですが……魔獣は私が近づくと怯えて逃げるか防衛本能が働いて攻撃してくるので、契約どころではないんです」
「強者の気配を察知してしまうんですね……」
人間のエーファですらランベルトの放つ強者然とした威圧にピリピリとした緊張を感じ取ることがあったくらいだ。魔獣たちにしてみれば耐えがたいほどのものだろう。
「シリウスは物怖じしない性格なので、モフモフ不足の時はいつでも撫でてあげてください」
「ガウッ!」
「牛肉をくれるなら肉球を触ってもいいととシリウスが言っています」
「に、肉球を……わかった。明日にでも持って来よう」
普段は生真面目だが、肉球の誘惑にあっさりと陥落したようだ。
ランベルトがやけに神妙な顔で頷くものだから、エーファとヒルデはこらえきれずに笑ってしまった。
「――あら、もうこんな時間」
ヒルデは壁にかけられている時計を見遣ると、慌てて立ち上がる。
時計の針はもう夜の九時を指していた。
「夜も深まって来たのでお気をつけてお帰りください。――そうだ。ロシュフォール団長、ヒルデさんを送ってください」
「わかりました。最近の王都は治安が安定しているとはいえ、このような時間に女性が一人で歩くのは危険ですから」
ランベルトは残りのホットワインを一気に飲み干すと、外套を羽織る。
一方で、ヒルデはそわそわと落ち着きがなく、表情は気まずそうにしている。
騎士団長、それも公爵家の令息であるランベルトに平民の自分が送ってもらうのは気が引けるのだ。
「送ってもらうなんて悪いです。一人でも大丈夫ですので――」
「ちょうど私も帰るところですのでお気になさらず。明日も朝から仕事がありますから」
「わ、わかりました……」
ランベルトが扉を開けて促すと、ヒルデは観念して頷いた。
二人を見送ろうと一緒に外に出たエーファは、看板に見慣れない飾りが下げられているのを見つけた。
銀色の葉と水晶のように透明な実を持つヤドリギでできた環の飾りだ。
リーツェル王国では星降祭の期間にこの飾りを魔除けとして扉の近くに飾る風習がある。中でも氷の精霊の加護を受けた銀色のヤドリギは悪い魔法から守ってくれるとも言われており、大変重宝されているのだ。
「あれ、いつの間にこんな飾りがかけられていたんだろ?」
「……私が来た時にかけました。ここにあった白銀の魔杖を取り外して看板のデザインが物足りなくなったと思っていたので、取り寄せました」
「もうっ、勝手に人の店の看板を改造するなんて重罪ですよ! 綺麗だからありがたくいただきますけど!」
ヤドリギの透明な実をちょんと指先でつつくエーファを、ランベルトはもの言いたげな眼差しで見つめた。
「ずっと言おうと思っていたのですが――夜に一人で店にいるのは危険ではありませんか?」
「――っ!」
予想外の言葉に、すぐには返事をできなかった。まさか気遣いの言葉をかけられるとは思ってもみなかったのだ。
この国の民なら誰もが、元賢者のエーファなら自分の身を自分で守れると思っているだろう。なぜなら彼女はこの国最高峰の氷の魔法使いなのだから。
「シリウスがいるから一人じゃありませんよ。それに、私は泥棒ごときに打ちのめされるような人間ではないですし」
「たしかに、元賢者であるあなたに勝てる者はそうそういないでしょうが……必ずしも安全というわけではありませんので。……すみません、出過ぎたことを言ってしまいましたね」
ランベルトの言葉に悪意も嘘もなかった。彼は真にエーファを心配してくれているようだ。
父親が銀のゴブレットを作りエーファの成長を見守ってくれていたように、ランベルトはヤドリギの飾りを用意してエーファの安全を願ってくれている。しかしランベルトの思いやりは、エーファにとって不要なもの。彼を利用して復讐を遂げようとする彼女にとって、そうであるべきものなのだ。
エーファの胸に黒く重たい靄がかかる。
どうか私を気にかけないでほしいと、心の中で叫んだ。勝手に私の心の中に入り込んで、揺さぶりをかけないでくれと。
そんな感情を押しやり、無理やり笑顔を作る。
「……ロシュフォール団長ってお父さんみたい」
「こんなに大きな娘がいる年ではありませんよ」
「そもそも妻がいないじゃですか」
「うっ……いつかは迎えられるはずです」
「人の心配をしていないで、ご自身の結婚の心配をしてくださいよ」
「……できる限りの手を尽くしています」
「もっと頑張ってください」
バッサリと切り捨てるエーファに、ランベルトは言葉を詰まらせるのだった。
二人を見送ったエーファは、はたとヤドリギの環に目を留める。
「こんなもの、贈らないでよ。親切にされると調子が狂っちゃうからさ……」
しかし飾りを外すことはなく、そのまま店内に戻った。
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