9夜目のためのお話:神殿の片隅で

 ――雪雲が空を覆う冬の昼下がり。

 王都の中心地にある神殿の前に、一台の馬車が停まった。

 中から出てきたのは、騎士服に身を包んだランベルトと副官のリーヌスだ。


 二人は星降祭の会場であるこの神殿の下見に来た。当日の警備に向け、人員配置や作戦の準備をするためには実際に見て状態を把握しておかなければならない。


 大神官に挨拶を済ませた二人は、祈りの間の視察から始めることにした。


 祈りの間は神殿の中では一番広い場所となっており、そこに多くの信者たちが集めまり、女神様に祈りを捧げる。

 また、王族や高位貴族の結婚式の会場となることもあり、その晴れの日には花や蝋燭で美しく彩られる。

 

 今は大きなオルガンの前に数人の女性が集まり、歌を歌っている。

 

「聖歌隊が歌の練習をしていますね」

「そのようだな」

「今年は誰が聖女になるんでしょうねぇ」


 聖歌隊の歌うたいに選ばれた少女たちは、練習の最中だというのにランベルトとリーヌスをチラチラと窺っている。

 ランベルトもリーヌスも顔立ちが整っており、おまけに騎士という花形だ。どうしても気になってしまうのだろう。

 

「おや、ヒルデさんがいる」

「団長が名前で呼ぶなんて……もしかして、ついに恋人ができたんですか?」

「いや……彼女はカフェ銀月亭の常連客仲間だ」


 あれからヒルデは頻繁に店に来ており、何度か店で顔を合わせている。

 普段は商会の事務員をしているらしい。歌うたいになってからは練習の時間になると抜けさせてもらい、その代わり夜遅くまで仕事をして遅れを取り戻しているそうだ。

 

 ランベルトがヒルデに会釈をすると、周りの歌うたいたちが小さく声を上げて彼女に詰め寄った。その様子を、金髪の美しい髪を肩から流している少女がエーファよりやや濃い薄青色の目で一瞥するのだった。


「あそこにいるのは――三年連続聖女に選ばれるのではないかと噂されているルントシュテット侯爵令嬢ですね」

「初めて試験を受けた年からずっと彼女が選ばれ続けているな」

「今年もあの方なのですかねぇ」

 

 マクダレーナ・フォン・ルントシュテットはエーファの父方の従妹だ。年齢はメヒティルデと同じで、今年十八歳になる。

 彼女とは魔法学院の同級生だった。卒業した後は魔法研究所で働いているが、つい最近侯爵令息との婚約が発表されたから、もう研究所を辞めるだろうという噂が流れている。

 

 やや目尻が吊り上がっており、気が強そうな印象を受ける令嬢だ。社交界では、完璧主義で自分にも他人にも厳しい性格だと噂されている。


 ルントシュテット侯爵家は代々、氷魔法に長けた魔法使いを輩出してきた。そのため氷魔法の一族とも呼ばれている。

 マクダレーナも彼の兄も氷魔法を得意としているが、氷魔法の最高峰の魔法使いの座をエーファにとられてしまったため、彼らは長らく二番手となっているのだ。

 

 社交界では破門にした息子の子どもが出世したことを持ち出しては彼らを蔑む者もいた。その度にマクダレーナの兄は激高してエーファを罵るのだが、マクダレーナは沈黙を貫いた。


 彼女がエーファをどのように思っているのか。その真意は、誰も知らない。

 

「そう言えば、今年はもう一人の聖女候補がいましたね。まぁ……どう考えても王家に擦り寄ろうとする神殿側の忖度が入っているので、反対意見が多いようですけど」

 

 リーヌスの視線の先にいるのは、王太子の新しい婚約者のユリア・フォン・ケーラーだ。

 婚約者になるまで一度も歌うたいに選ばれなかった彼女が今年になっていきなり選出されたものだから、既に歌うたいたちや選ばれなかった候補者たちの間で不満が渦巻いているらしい。


「……似ているな」

「え、誰にです?」

「エーファさんに似ていないか?」

 

 ユリアの銀色を思わせる淡い薄氷の髪と目が、どことなくエーファを彷彿とさせる色彩だ。

 髪の結い上げ方も、にっこりと微笑む表情もよく似ている。

 

「たしかに似ていますね。……ところで、いつの間に氷晶の賢者様と名前で呼び合う仲になっているんですか?」

「この前、名前で呼んでもいいと言われたんだ」

「いつの間にか懐柔されてませんか?!」

「……探るにはある程度相手の警戒心を解いた方がいいだろう」

「ふ~ん、そうですか。楽しく見張りができているようで何よりですよ」

 

 胡乱げなリーヌスの眼差しに、ランベルトはそっと視線を逸らした。


 懐柔なんてされていない。ほど良い距離を保っているはずだ。

 彼女の相棒であるシリウスを撫でさせてもらえるようになってからは、いささか彼女に乗せられているような状況もなくはないが――。


 心の中で言いわけをしていると、不意に背後から人が近づく気配を察した。わずかに殺気のこもった、ピリピリとした気配だ。


 警戒したランベルトが剣の柄に手を触れてつつ振り返る。

 殺気を感じた方向は祈りの間の出入り口だった。そこに立っていたのは――王太子のアンゼルムだ。


 アンゼルムはランベルトの従弟だ。年は二十一歳で、ランベルトと年が近いものの、あまり交流はない。

 華やかでいつも笑みを湛えているアンゼルムにどことなく苦手意識があり、必要最低限しか話しかけていないのだ。

 

 スラリと背が高くしなやかな体躯のアンゼルムは、真っ白な上下に銀色のベストを合わせていた。

 ポケットチーフや耳につけているピアスやカフスボタンは、氷を彷彿とさせる薄青色。


 彼はゆっくりとランベルトたちに歩み寄る。

 王太子の登場に気づいた歌うたいたちが上げた黄色い声が、ランベルトの耳に届いた。

 

「ランベルト兄さん、久しぶりだね」

「ご無沙汰しております、王太子殿下」

「かしこまらないでよ。ところで、さっきエーファの名前が聞こえてきたんだけど――彼女と会ったの?」


 咄嗟に、彼にエーファの居場所を教えてはならないと思った。

 

 アンゼルムの声はいつも通り穏やかなのに、なぜか凄みを感じる。

 はっとして彼の緑色の目を見ると、いつもは宝石のように輝くその瞳に、昏い影が落ちていた。

 

 何かがおかしい。ランベルトの騎士としての本能が警鐘を打ち鳴らしている。

 

「……いえ。リーヌスと噂話をしていたところです」

「そうか……残念。エーファに会いたいな……」


 彼女の名前を口にするアンゼルムの表情は、恋焦がれる者に向けるそれだ。


 彼が婚約者の侍女だったエーファとどのような関係だったのかは知らないが、名前で呼ぶほど親しかったのかもしれない。

 しかし、何かが引っかかる。

 

 エーファ・ヘルマンに似た容姿の婚約者。

 エーファの居場所を聞いて来た時の凄みのある眼差し。

 そして、彼女との再会を切実に望む表情――。

 

「それでは、婚約者を迎えに来たから失礼するよ」


 手を振ってその場を後にするアンゼルムを、ランベルトとリーヌスは騎士式の礼をとって見送った。

 

「……さっきの王太子殿下の様子、なんだかおかしかったですね?」

「リーヌス、黙っていなさい。ここは耳が多いから、滅多なことを言うな」


 ランベルトも彼の異変が気になって仕方がないが、今は誰が何を聞いているのかわからない。なんせ神殿は王家と密な関係にあり、彼らの目や耳となっている者が大勢いるのだ。

 

(いったい、何があったのだろうか)

 

 ランベルトは棘のように心に引っかかる疑惑を抱えながら、神殿の下見を続けたのだった。

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