エピローグ りるると、瑞香


 「ねぇむぅい」


 団子の串を、取り落としかけた。

 牡丹ぼたん祢禰ねねの手からそれを素早く奪い取り、傾いたその背に手を廻して姿勢を戻させた。みたらしのしずくが落ちるのを巧みに回避する。


 「ほら、起きてください。こんなとこで寝ちゃ駄目です」

 「うあ……じゃから、云うておるではないかあ。わしは、昼間は……」

 「おやかた、はま」


 柳太郎りゅうたろうが祢禰の左となりで団子を口いっぱいに頬張りながら、目を細め、くぐもった声を出す。


 「なに、いっへるんでふか。ぼくらにないしょで、あんなほほ、たくらんで」

 「企んでなどおらぬ。あれは、瑞香みづか遊楽ゆうらのために、じゃな……」

 「そうですよね。瑞香さんと先生のためですもんね。わたしたちは、そのための駒、捨て駒、ですもんね。あはは」


 串を皿に置き、手を拭きながら、牡丹は立っている。祢禰の横に、天頂高く背を伸ばし、仁王の如くに屹立している。その目が闇に沈んでいる。

 祢禰は目深く被った頭巾の隙間から牡丹の顔をちらと見上げ、はああと嘆息し、小さく縮こまった。


 「……わかった、わかった……今日は詫びに、好きなものを、なんでも購入こうてやる。確かに儂は、そう云うた。じゃが、な……儂がついて来る必要、なかったんじゃないかの……」

 「聴こえません」

 「……や、なんでもない……」


 団子屋の店先。

 遊楽は祢禰たちとひとつ離れた床几に、瑞香と並んで腰掛けている。瑞香は薄紅の着物に、濃紺の袴。牡丹とともに揃えた現今いまふうの装束に合わせて、今日は化粧もうっすらと載せている。

 二人ともに、ぜんざいの膳を膝に置いている。

 祢禰たちのやりとりに、瑞香は手を口に当てて笑った。しばらく肩を揺らしてから、胸いっぱいに息を吸い込む。

 日差しがあたたかい。

 今年の春は、いくぶん早いように感じられた。


 あの、後。

 牡丹と柳太郎の傷は、祢禰が回復させた。

 鬼の復活に伴う街の損害も小さくはなかったはずだが、瑞香がしばらく静養したのちに歩いた限りは、なにも旧来と変化がなかった。

 鬼灯亭ほおずきていも、同様である。瑞香が戻った時には設備ひとつ、破損してはいなかった。

 瑞香は遊楽にそのことを尋ねたが、訊かれた方はあいまいに微笑し、花神巫はなかんなぎは七人、店主マスターと、もうひとり。そう、意味の取れないことを云った。が、瑞香もそれ以上は訊かなかった。


 牡丹は遊楽に詰め寄り、もろもろの経緯をただした。柳太郎もそこに参加した。協議は大荒れとなったが、遊楽が敗れた。祢禰と共同で責めを負い、なにか旨いものを牡丹らに馳走するということとなったのである。

 柳太郎は果敢にも祢禰のところに捻じ込み、協議の結果を伝え、承諾を勝ち取って、鼻息あらく戻ってきた。

 瑞香はその間、ずっと顔を上げられずにいたが、牡丹も柳太郎も、瑞香に甘かった。それはおかしいと遊楽は指摘したが、黙殺された。

 瑞香さんも怒りなさいよ、と牡丹に云われたが、遊楽の腹に加えた打撃の感触をまだ覚えていたから、へへと、笑って誤魔化した。


 イーリス、菖蒲あやめの花神巫たちは、くだんの会議ののち、帰国した。祢禰は彼らの傷も回復せしめ、なにやら難しい会話をしたのちに、戻したのである。

 将来にわたって大国との間にいさかいが生じることが予想されたが、その際に霊的な干渉は行わないということが二国間で密かに取り決めされた。

 それは重要な成果であり、祢禰はその意味を識っている。が、遊楽にも誰にも、いまのところは告げてはいない。


 「……もし、わたしが」


 瑞香は表情を緩めたまま、手元の膳に目を落とし、小さく呟いた。


 「……いえ、沈丁花のあやかしが、わたしでなければ……他の誰か、だったら。如何どうしてました」

 「ん」

 

 遊楽ははやくも食べ終わり、顎に手を当て、品書きを眺めながら甘味の追加を検討している。


 「如何、とは」


 顔をあげないまま、遊楽は小さく声を出した。

 瑞香は眉を上げて遊楽に振り向いたが、ふ、と、笑った。

 そのまま、遊楽の横顔をっと眺めている。


 「瑞香君も、なにか頼め。足りぬだろう」

 「おなか、いっぱいです。お昼もたくさん頂いたし。美味しかった」

 「牛鍋か。俺は好かなかった。だが、瑞香君はもっと喰ったほうが」


 云いかけた遊楽の手に、瑞香のそれが、重ねられた。


 「……ありがとう、ございます」

 

 遊楽はようやく品書きから顔をあげ、瑞香に振り向いた。


 「なにが、だ」

 「……いいえ」


 と、その時。


 少し離れた距離から小さな悲鳴。

 ばけものだ、という声が聴こえた。

 すでに牡丹と柳太郎は走り出している。


 遊楽は声の方角を見遣って、嘆息した。


 「瑞香君、済まんが……」


 云いながら瑞香に振り向き、言葉を止めた。

 蒼い瞳、蒼い髪。

 切れ長の目を遊楽に向け、浮き上がった尾を振って、恐らく、そのあやかしにとっては最も柔らかな笑みを浮かべて見せた。


 「ええ、好いですよ。でもね、仕遂しとげたら、ね。そこの、物陰で……」


 立ちあがりかけて、屈んで。

 遊楽の頬に、瑞香は唇をつけ、囁いた。


 「先生の、くび。少し、すこうしでいいから。かじらせていただけませんか」



 <了>


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沈丁花は碧血を所望する〜神憑き文士の飼われあやかし〜 壱単位 @ichitan

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