長い時間をかけパンケーキは解体され尽くされた。

「店員さん、すみません」

 赤彦は指先をぴんと伸ばしてきれいに挙手をした。

「はい、ありがとうございました。何か不備がございましたか?」

 ボクたちのもとに訪れた店員さんは、どこかふわふわしていた。輪郭があるようなないよな。奥行があるようなないような。顔も体格もはっきりしているはずなのに、年齢も、性別もまったく見当がつかない。しいてたとえるなら天使だ。男であるよりも、女であるよりも、子供であるよりも、老人であるよりも、まずだいいちに天使に近いような、そういう存在。かといって天使そのものでは絶対にありえない、そういう存在。

「コーヒーのおかわりをお願いします。それから、デザートにババロアを」

「ありがとうございました。ババロアは一つではありません」

「ああ失礼。では彼とおなじイチゴのババロアを。キミはどうする?」

「いや、ボクはコーヒーだけで」

「ありがとうございました。お二方、コーヒーを二倍に。お一方、イチゴのババロアのご注文をされる。確かに承りました。ありがとうございました。お客様のお時間を奪ってしまうことになりますが、ご理解いただけますと幸いです。ありがとうございました」

 と言い残し、店員さんはすたすたと店の奥へ向かった。その後ろ姿を目で追いながら赤彦は笑みを浮かべた。

「この店の接客はすばらしいな」

「そうか? 個性的だとは思うが……」

 コーヒーとババロアが運ばれてきて、赤彦はやっと話をはじめた。

「ある種のお告げがオレの体を縦に貫いた。と、そう考えてくれていい」

 赤彦の言葉は出し抜けだった。

「くれていい、と言われてもな……。イッタイゼンタイどういうことなんだ?」

「ごく簡単に言えば、今のキミは『全体的にまんべんなく燻ぶっている状態』であるらしい」

「なんだって……。ウソだろ? このボクが『全体的にまんべんなく燻ぶっている状態』だと? まさかそんなはず……。自分ではそんなこと感じないが……」

「それはそうさ。『全体的にまんべんなく燻ぶっている』のだから。自分では、いや、他人にだって気づけるわけがない。24時間、絶えまなくキミのことを観察でもしないかぎり。それこそ、お告げでもないかぎり、ね」

 ババロアがスプーンですくわれ、口という名のウロの中へ。簡単な咀嚼だけがあり、やけに大きく喉がごくりと鳴る。

「待ってくれよ赤彦。タイムだ。そもそも、なぜお前のところにボクに関するお告げが?」

「悲しいことを言うなよ、原田。オレたちは繋がっているだろ。集団的無意識なんてことじゃない。こうして実際に向かいあって、おなじ釜のメシを食っているんだ」

「ん、……お前の気持ちは嬉しいよ。おなじ釜のメシってのは、あまりに比喩的すぎるとは思うが……。ボクもお前とは気心を共有し合えているとは思う。しかし……お告げうんぬんというのは、少しだけ現実を超越しすぎているだろ?」

「そう難しく考えるなよ。実線で繋がるオレたちに、ほんの束の間、点線の回線がひらかれた。それだけのことじゃないか。ようするに、つまりはそういうことさ」

「なるほど……?」

「キミはくだんの焼き鳥屋に行くべきだよ。これは、お告げどうこうじゃなく、友人としての言葉だ。そこでの体験はきっと、キミの人生をひらいてくれる。はっきり言って、オレは確信しているんだよ。そこで焼き鳥を食いさえすれば、キミの人生はこれから好転していくだろうということをね」

 ボクはそこで、言葉に詰まってしまった。お告げというふわふわした話題と、赤彦の思いもよらぬ真剣さに、ボクの頭は完全にバグを起こしてしまっていた。

 桟敷赤彦は基本的に善性の人間だ。友人だということを抜きにしても。こいつは自分の周辺を明るくすることを人生の主眼に置いている。実際のところ、こいつの提案にのって、失敗したことも多い。だがその失敗は、するべき失敗を先取りしたものという気がしないでもない。感情面だけに限定するなら、こいつの勧める道は善性の道だ。こんなのは経験則でしかない。ただボクが彼を信頼しているというだけ。でもそれで充分じゃないか? 自分が信じる人間が信じる道を信じてみる。ようするに、つまりはそういうことなんだ。

「燻ぶり、か」

 ボクは言った。

「もしそうであるなら、ボクはそれを解消しなければならないな。あるいは今のボクは有毒な一酸化炭素を周囲に撒き散らしているのかもしれない」

 ボクの言葉を受け、赤彦は微笑む。

「なに、そこまで根詰めることはないさ。人は誰だってそうして生きているんだ。生まれてから死ぬまでのあいだ、オレたちは生まれた意味を探し求め、もがき悩みながら、絶えず燃えカスを放出する。だけれど微量なそれは、誰かのテンションをさげて健康を損ねることもあるだろうし、誰かの心に火を灯すかもしれない。だろ? ただ、オレが言いたいのはね。燻ぶりにも、良い燻ぶりと、そうではない燻ぶりがあるということさ。もし後者であるなら、風を送ってさっさと燃やしてしまうか、火を消して乾燥させて、未来を照らす灯火にしてしまうべきだろ? 大丈夫、心配いらないさ。きっとこれからよくなっていく。止まない雨はないし、明けない夜はないし、そして、焼けないパンもない。そうだろ?」

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