「どなた?」

 若い、女の人の、声だった。よそ行きの声という感じだ。ガチガチにつくられた声。過剰にお上品めかした声。

「ああ、えっと、予約していたものです」

「……。ふふ、最近はブッソウですからねぇ。ごめんなさいね、いちおうお名前をいただけますぅ~?」

 と彼女は、こちらを挑発するかのように語尾をあげるのだった。

「……。こちらこそ失礼しました。原田。原田です」

「あぁ、原田さんですか。お待ちしておりました。もちろんです」

 バタンッ! とドアが勢いよく閉められ、ガチャガチャ聞こえて、今度こそドアが完璧に開かれた。

 ボクを出迎えてくれたのは小柄な女性だった。まず金髪が目についた。「ガッツリ染めてます」って感じで、なんだか痛々しい印象を受ける。

「おあがりよ」

 と彼女は言った。向けられる目つきが鋭いせいか、「上等だ」みたいなニュアンスを感じてしまう。

 彼女は真っ赤なドテラを着ていた。今は春だ。冬じゃなくて。なんでこんな格好をしているんだろう? 衣替えを忘れている……なんてことがあるだろうか?

「あ、はい、お、おじゃまします」

 玄関は、薄汚れていた。散らかっているとか掃除されていないとかじゃなく、これはただのイメージだ。やはり建物が老朽化しているせいだろう。

 靴を脱いで玄関にあがると、彼女が声をかけてきた。

「おお……? 外、雨ぇ、降ってるんですか?」

「はい? 雨? 降ってなかったと、思いますけど……?」

 ボクの返事に、彼女はきょとん顔をした。たぶんボクもだろう。きょとんだ。雨なんて降っていたっけ? もしかして、初対面だからとりあえず天気の話でもしておこう、みたいなことだろうか?

 その真意がわからなくて、ボクは彼女の表情をうかがった。彼女の視線は、ボクの手元に向けられていた。ボクは両手に懐中電灯を持っている。彼女はじっとそれを見ている。

「あ。懐中電灯か。傘かと思いました。う、ごめんなさい。最近、目が悪くて。……でも、なんで懐中電灯? それも、二本も?」

「……あ、え? いや、外、暗いので……」

「…………あっ、ですよねっ。夜だから、外、暗いですもんね。なるほどでした。それじゃあそれ……傘立て、じゃなかった、靴箱の上にでも置いててください。店内は、その、ほら、明るいですから」

 彼女は愛想よくそう言って、ひとつ歯軋りをした。かと思うと、慌ててその場でターンして、ゆっくりと歩き出した。ボクも慌てて懐中電灯を靴箱の上に置き、彼女のあとに続いた。

「……ぐ、うぐぐ……ふぅ、その、あれです、お席は廊下の、突き当りの部屋に……ぅぐ……ありますから……ぅぅ……ぐ……、……ふっ……」

 シャキシャキ歩いているふうだけど、彼女の頭は小刻みに痙攣していた。きっと笑いを堪えているんだ。何がそんなにおかしいんだ。まぁ、わかるよ。気持ちも。原理も。ボクは多少、心配性だとは思う。それがおかしいんだろうさ。でも、暗い場所で、明かりの灯るものを使う、それがそんなにおかしなことか? ただそれが「二倍」になっただけだろ? 「二を掛けた」、「掛ける二」、言い方はいろいろあるだろうけど、ようするに、つまりはそういうことだろう? そんなに笑わなくても、いいじゃないか……。

「……いやーお客さん、えーと、うん……なんか今日はわりと寒いですよね……? なので、声が震えてしまって、みっともなくてすいませんね……?」

 ボクは今まで生きてきて、ここまで見え透いたフォローを聞いたことがない。でも……これは気遣いで、優しさなんだ。だから……怒っちゃダメだ。怒っちゃいけないことだ。

「いえ……気にしないでください」

「……ふっ……! ……んぐぅ……! ……ふっ……ふっ……!」

 多少怒ってもいいのかもしれないとボクは思った。

「『ずいぶん寒がりみたいですね?』」

「す、すいません。というか、ごめんなさい。……いや、でも、たぶん存在は悪くないですよ?」

「え?」

「あ、着きましたよ」

 彼女の言葉にボクは顔をあげた。目の前にはフスマ。わりにきれいな普通のフスマ。でも、フスマのすきまからは白いモクモクが出ていた。

「え、まさか火事!? ダイジョブですかこれ!? とんでもないんじゃないですか!?」

 爆発したらボクはどうしよう!? どうしたらいい!? どうなるんだ実際!? ボクの体は爆発したらどうなるんだ!?

「うざ」

 ぼそりと声が聞こえた気がした。

「え?」

「へ?」

 ボクの「え?」に彼女は振り向き、きょとん顔をして、口は「へ?」のかたちのまま固まっている。

「今、何か言いました?」

「気のせいじゃないですか? お客さんの」

 彼女はうっすら微笑んで、視線をななめ下に向けた。

「それよりこのモクモクは何ですか? それになんだか……やけにひんやりというか、寒いというか……」

「まぁまぁ、それは見てもらったほうが早いッスよ」

 そう言って彼女は、フスマを横にスライドさせた。

 部屋のなかは端的に言って普通じゃなかった。いや、部屋じたいはありふれた六畳間だ。だけどこじんまりした部屋に、エアコンが三台も設置されていた。そしてそのどれもが、唸りをあげながら白い冷気を吐き出している……。

 部屋のまんなかにはコタツ。左右の壁には茶棚とタンス。部屋の奥の隅には、大きな雪だるまが鎮座している。

「ボクはこれをどう理解すればいいんだ……? というか寒すぎだろ……」

「そこのタンスの、上から二番目にドテラが入ってるから、それを着て」

 彼女は言って、まるで地平線の向こうを示すようにタンスを指さした。状況がまったく呑み込めないボクは半ば操られるように、彼女の指示にしたがった。タンスのなかには、布団でもかかえているように分厚いドテラが入っていた。真っ青で、彼女の赤いドテラとデザインが一緒みたいだ。ペアらしい。確かに着ると寒さはいくらかマシになったが、それでもぶるぶる震えるくらいには寒い。

「うーさむさむっ」

 彼女は声を震わせながらコタツにあたると、上目遣いでボクのことを見上げた。

「お座りよ。寒いでしょ?」

 上目遣いのまま彼女はニコッと微笑んだ。かわいい表情だと思うけど、元々の目つきが恐いせいかなんだか威圧感を受ける。

「あ、はい、わかりました。そうします」

 ボクは彼女の正面に座った。コタツはすごくあったかくて、本当にありがたくて、至福って感じがした。いや、でも、そもそもこんな寒い思いをしているのは、この部屋のエアコンのせいなんだから、ありがたいこともない……のか?

「ようこそ、いらっしゃいませ」

 突然彼女が言った。自信満々だぜ、って声だ。

「はじめましてだね。存在は『倉木さとこ』だ」

「ん? あ、はい、はじめまして。ボクは『原田タオル』です」

「タオル……? なんかアレだね。きれい好きそうな名前」

「よく名前はイジられますね」

「個性があっていいと思うよ、存在は」

「……。あの……もしかして一人称『存在』なんですか?」

 ボクの問いかけに倉木さんは、ハトが豆鉄砲を食ったとしか思えないような顔をした。

「……イチ、ニンショウ……? なんだいそれは? すまないけれど……ここは焼き鳥屋だよ。牛やら豚は専門外なんだ。牛や豚の珍しいところを食いたいならヨソに行くんだね」

 そして倉木さんは、困惑と呆れと慈愛と母性をまぜたように顔でボクのことを見た。どうやら、ふざけているわけじゃないみたいだ。本当に一人称が「存在」なんだ。

 本当に髪がマッキンキンだ。「ガッツリ脱色してます」って感じ。でもよく見ると、染めてから時間がたっているのか根元が黒くなっていた。髪型は「おかっぱボブ」で、前髪はきれいにパッツン切られている。「刀で斬りました」って感じだ。

「飲み物はホットでいいよね?」

「ですね」

 倉木さんの声も動きも表情もすごく元気そうではある。だけど、なんだか顔色が悪い。血行があんまりよくないのか顔は青白いし、目の下はクマで真っ黒だし 目は充血して血走っているし、不健康そうな感じを受ける。「とことん不摂生してます」って感じだ。

「ほうじ茶と緑茶とウーロン茶があるよ」

「じゃあ……紅茶で」

「……あ? お客さん大丈夫? 話聞いてた? もしかして脳卒中か?」

「……ん、あ、すみません。なんでしたっけ……?」

「ほうじ茶。緑茶。ウーロン茶」

「じゃあウーロン茶で」

「はーい」

 返事はしたものの、倉木さんはすぐには立ち上がらない。コタツから出るのが億劫なのかもしれない。目をぎゅっとつむって、少し俯いて頭を縦にゆらしている。その様子は、何らかのパワーをチャージしているかのようだった。コタツパワーだ。おそらくそれは、コタツパワーなんだ。

「よしっ」

 そう言って倉木さんは開眼した。彼女の黒目はマンガのキャラかっていうくらい小さかった。いわゆる三白眼ってやつだ。目つきが悪く感じるのは、きっとこれのせいなんだろう。

 倉木さんは立ち上がった。

「少々お待ちくださいね」

 裏声スレスレのよそ行き声でそう言うと、倉木さんは退出していった。

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