9
お冷のおかげで酔いはすぐに治まっていった。そうして人心地ついたころ、
――ポスポス――、――トストス――、と、何かの音が聞こえてきた。
なんだろう、ボクは背筋をのばした。――ポスポス――、――トストス――、また音。まさかこれ、あれじゃないか、「ポルターガイスト現象」。誰もいないのに物がかってに動いたり、どこからともなく異音がしたりする、地味だけどかなり迷惑な怪奇現象。たぶんこれ、ポルターガイスト現象だ。
「お、きたきた」
倉木さんはそう言って、フスマの前に向かった。するとフスマがわずかに開き、暗闇の向こうから長い腕がすぅーーっとのびてきた。両手で土鍋を持っている。倉木さんはそれを受け取る。
「ありがとう板倉くん」
返事はなく、ふっ、と鼻で笑うような音だけが聞こえ、フスマが閉まる。鼻で笑うというと聞こえは悪いけど、ふんわりと優しい感じだった。すべてをつつみ込むような、優雅さ、親切さ、ていねいさ。
倉木さんは土鍋をコタツの上に置くと、うひょ~というような顔をしながらコタツに戻った。
――カチャ――
土鍋のフタが取られると、中からもわっと湯気が立ちのぼる。湯気がおさまると、かわりにいい匂いがしてくる。
――「ほぅら、鍋だよ~、うまいよ~」――
そうとしか言いあらわせない匂いが。
土鍋はまだぐつぐつと煮え立っていて、そのなかには、ゴロゴロとたくさんのツミレが入っていた。
倉木さんはツミレを食べはじめた。ハフハフ言いながら。
「うめ~」
幸せそうな顔で目をつむり、ため息が出るほど、ツミレは美味しいらしい。
ツミレはひとつひとつがかなり大きい。ゴルフボールくらいはあるだろうか。煮え立っていても、土鍋のなかは、ツミレがはっきり見えるくらいに澄んでいる。なのに、これでもかとダシの香りがする。なんかもう、食べなくてもわかる。素材の味を活かしているということが。
「食べたいの?」
ボクは驚いて顔をあげた。倉木さんはいつのまにかハシを止めていて、ボクのことを凝視していた。
「いえ、そ、そんな……。どうぞ、気にせず食べてください」
「エンリョすんなってえ」
倉木さんは、ツミレをいくつか小皿にとって渡してくれた。
「なんかすいません」
「ハフハフ」
と倉木さんは首を横にふった。
ボクはさっそくツミレにかじりついた。
……うん! 美味しい。なんか上品な味だ。なのに、えげつないくらい、うまみがギュッとしてる。ブラックホールだ。これ、ツミレのブラックホールだ……。
ツミレをすべて食べて満腹になったせいなのか、倉木さんの目はとろんといている。また、会話のなかの受け答えはあいまいかつ抽象的になり、意識レベルが大幅に低下しているように思われる。満腹による眠気、と――ボクは結論づけた。そしてボクの読みどおり、倉木さんは目をうつらうつらさせて、舟をこぐようにカックラカックラゆれだした。かと思うと、そのままコタツにひたいをガツンと打ちつけた。
「――痛ッ!? ……な、なにすんだよアンタ……!」
「いや! ボクじゃないですよ!」
「たすけて板倉くん! コイツとんでもねえよ!」
「待ってください! 無罪ですよ、ボクは!」
「存在のこと殴りやがった……しかも急に……。存在、いままで誰にもぶたれたことないのにっ……! アンタ、イカれてんのか……? それとも、根っからの悪人なの?」
倉木さんは身をすくませて、涙目になっていた。
ウソだろ……ボクのこと、本気で恐がってる……。
ボクは全力で説明した。身ぶり手ぶり表情に魂、出せるものすべて出して身の潔白を示した。三分くらいかけて。身を削るかのように。もしほかの第三者が望遠鏡で――壁をぶち抜くほどにイカれた性能の望遠鏡がこの世にあればの話だが――ボクのことを見ていたとしたら、あまりの真剣さに笑い転げていたに違いない。
「なんだよ~。だったら早くそう言えよー。ビックリすんだろ~? ま、うすうす冗談かな~とは思ってたけど! だはははは!」
カラカラと倉木さんは笑う。
「いやー、すいません。あはは、ボクも少し悪ノリしちゃいましたかね? あははは!」
ボクもおなじようにカラカラと笑う。
全然真剣なんかじゃありませんでしたよね? ちょっとした冗談のつもりだったんですよね? お互いそれをわかっていてのやり取りでしたよね? と、確認し合うような空虚で乾いた笑いが、しばらくのあいだ部屋を満たした。
「それにしても大丈夫ですか?」
ボクは倉木さんのおでこを見た。少しだけ赤くなっている。
「ああ、よかったよタンコブにならなくて……」
「それに……やたら目が赤いですけど……。あ、やっぱり、夜にやってる飲食店だし、忙しくて眠れないとかですか?」
「いや……違うよ。フガイナイけど完全にプライベートな問題でね。ちくしょう、メンボクナイぜ……客にこんな醜態さらすなんざ……。じつは今な、存在の私生活メチャクチャなんだよ……」
「と、というと……?」
「スマホでマージャンするのにハマっててね。それで最近ずっと寝不足なのさ。眠れないんだよ。ブルーライトってやつはすごいね……どんなに深呼吸したって寝れやしない。ブルーライトカットのシールとかメガネを買って、いろいろ対策はしてるんだがね……」
「はあ……なんか大変そうですね……?」
とは言ってみたもののボクにはよくわからない世界だ。ハマる人はとことんハマる、みたいなイメージはあるけど……。そんなに楽しいのだろうか?
「正直言って昔は、なんというのか、存在の勝手なイメージなんだけどね……、マージャンなんてやってるやつらはみんな、頭のおかしな連中なんだくらいに思っていたんだが……、今にしてみると、マージャンをしてないやつらのほうがどうかしてるって思うね。人生のほぼすべてを無駄にしてるよ。存在に言わせると」
ボクの目をじぃーっとのぞき込む倉木さんの目は、底なし沼のようにどろりと濁っていた。ボクは目をこするふりをして、そっと視線を外した。すると、コンセントに差さったスマホの充電ケーブルが目につく。
「もしかしてここって、倉木さんの自宅なんですか?」
ボクは思い付きを口にしていた。
倉木さんはポカンとして首をかしげた。
「あ、いや、なんとなくそんな気がして……。このお店、なんかもう、まんま家って感じがするし……」
倉木さんは愉快そうに笑いだした。
「うはははは。んなわけあるかよ。こんな油くせえところで寝てられるかって。ここはそういうコンセプトってだけさ。それに……この建物だってね、ボロアパート風なだけで、実際はそうじゃないんだ。ただの雑居ビルだよ。ほかにも店がたくさんあるんだぜ?」
「雑居ビルなんだ……」
「ところでタオルくん?」
「……は? え? あ、はい、なんですか?」
急に名前で呼ばれて、ボクは少し驚いてしまった。べつに嫌じゃないし、むしろ嬉しいくらいだけど……、さっきまで「お客さん」って呼んでたのに……名字とばして急に下の名前とか、距離の詰め方おかしいだろ……。
「酔いは落ち着いたかい?」
「はい。もうすっかり」
「まだ食べられる?」
「ん、はい、ぜんぜんいけます」
「シメがあるけど?」
「あ、いいですねぇ。ぜひお願いします」
ボクは「シメ」って言葉がなんだか好きだ。子どものころに憧れていたせいかもしれない。お酒が飲めるようになったら、シメのラーメンとか食べてみたいな、なんて思っていた記憶がある。だから今でも「シメ」という言葉に大人っぽさを感じてしまう。我ながら子どもみたいな話だと思うけど、ものの感じ方は変えられない。
「で、なんですか? シメの料理は?」
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