しばらく待っていると、ゴロゴロ、ガチャガチャ、という異音が聞こえてきた。それがだんだん近づいてくる。きっと配膳カートか何かなのだろう。音は部屋の目の前で止まり、フスマが横にスライドされた。

「ただいまー」

 気の抜けたゆるい声で言い、倉木さんは部屋に入ってくる。左右の手にたくさんの皿を持って、涼しい顔をしている。すごい。なんか達人みたいだ。器用なのか馬力があるのかわからないけど、とにかくすごい。

 コタツの上はたくさんの皿で埋め尽くされた。てっきり焼き鳥だけなのかと思っていたけど、ほかにもいろいろな料理があった。チキンをあえたサラダに、小ぶりな骨付き肉に、素揚げに、からあげに、スープに、中華風の和え物に、生ハムに、色とりどりの小さなおにぎりに、エトセトラ……。

 たくさん種類があるけれど、それぞれの量は少ない。手間がかかるわけだ。こんなにコマゴマ小皿にわけるわけなんだから。

 倉木さんはいったん部屋を出て、すぐ部屋に入ってきた。両手に箱を持っている。ドデカい箱。クーラーボックスだ。黒光りして、装甲車みたいにゴツい。クーラーボックスはコタツのとなりに置かれ、すぐに開かれた。中には氷がいっぱい入っていて、そこに三本のボトルが突き刺さっていた。

「あ、なんだ……。ウォッカ以外もあるんですね。よかった……」

「これぜんぶウォッカだよ?」

「ええ……」

「微妙に風味が違うんだよ。これなんか、フレーバーが加えてあるし」

「へぇ、ウォッカもいろいろなんですねぇ」

 倉木さんはもとの位置に座ると、グラスを渡してくれた。倉木さんの手元にもおなじグラスがある。中身は空だ。倉木さんも飲むらしい。

 視線。それを感じてボクは、手に持つグラスに視線を落とす。

 透明なグラスの横には、デフォルメされたかわいい竜が描かれていた。やや寸胴で、炭のように真っ黒な体。薄目で見ると竜じゃなくナマズかウナギのように見える。

「酒はセルフでたのむよ。自分で好きにやってくれ」

 正直そのほうが助かる。お酌をされると、ついつい飲みすぎてしまう。調子にのってしまう。見栄を張ってしまう。それになんとなく断りづらい。なにか相手の善意をむげにしているようで断りづらいのだ。

 それぞれ手酌でウォッカをつぎ終えると、倉木さんがグラスをぬっと突き出してきた。

「それじゃあ、かんぱ~い!!」

「あはい。かんぱい」

 ボクは恐る恐るグラスに口をつけ、ちょっぴりだけウォッカを口に含んだ。

「あ。うまい。甘くないけど甘い気がする。なんか……バニラみたいな風味がするような……?」

「お~味がわかるね。そう、バニラフレーバーだよ。うまいだろ~」

「ええ、なんかビックリしました。

 ウォッカって、こんなにうまいものなんだ……。失礼な話だけど、今まではウォッカのことを「カクテルの素」くらいに思っていた……。でも違う。ウォッカはウォッカだ。そのまま飲んで、こんなに美味しくて飲みやすいものもあるんだ。

「ほらメシも食え。冷めないうちに」

「はい。いただきます!」

 料理はどれもこれも美味しかった。どれも一度は食べたことのある料理ではあった。でも、ハシをつけるたびに驚きがあった。美味しさの驚きはもちろん、変わった味付け、食べ方、組み合わせがあって、ハシを進めるのがなんだか楽しかった。


「うまい! けど……これは、なんですか? やけにトロトロしてますが……?」

 ハーブか何かにくるまれた正体不明の何かは、濃厚なバターのようになめらかで、ほのかに独特な辛みを感じた。エスニック料理のような味だ。

「ああ、それはレバーだよ」

「レバー、ですか……? ボク、レバーって大嫌いなんですけど、このレバーは好きですね。いや、大好きですよ!」

「それはよかった。食べやすいように、いろいろと香辛料をいれてるのさ」

「ほえ~」


 焼き鳥には様々な種類があった。炭火焼きやスナギモに、カワにつくねにネギマに、ハツ、なんこつ、ぼんじり、せせりにふりそで……。食べ方もいろいろある。定番の塩やタレはもちろん、岩塩、七味唐辛子、すり潰した梅や果実……。

「この緑のやつはなんですか……?」

 焼き鳥のなかの一本に、緑色のかたまりがのっている。

「もしかして……東北とかで食べる、ズンダですか……?」

「いやまさか……。ここはダンゴ屋じゃないよ……。これはワサビだよ」

「へー、ワサビで食べるんですね。でも、量がちょっと多すぎませんか……?」

 ひとつの串に、ビー玉くらいのワサビがちょんちょんちょんと三つものっている。

「あまり辛くない品種だからね。大丈夫だよ」

 ホントだろうか……。エヅラだけ見ると完全に罰ゲームという感じだけど……。いいさ。敵じゃない。ワサビなんて敵じゃないね。辛かろうと辛くなかろうと、呑み込んでやるまでだ。意を決してボクは焼き鳥にかぶりついた。

 清らか。

 まず心に浮かんだのは、言葉だった。清らか。

 世の中に、こんなに清らかな焼き鳥があるなんて。いやそもそもボクは、焼き鳥に清らかさがあることを知らなかった。いや、存在の予期さえしていなかった。

 癖のないさっぱりとした焼き鳥のうまみを、ワサビの風味が優しくさらっていく。あたかも、元から清らかな小川の水を、さらに清らかな流水が洗い流してゆくように。

 ボクはこれまで、ワサビの風味をここまではっきりと感じたことがあったか? ない。ボクの認識する世界で、ワサビという存在が膨張をはじめる。そしてその過剰なイメージは即座に焼き鳥へと流入してゆくのだった。そしてある仮定が生まれる。ボクは天使になるだろう、という。ボクはおそらく、焼き鳥とワサビの結びつきをつかさどる天使になる。もしも誰かがボクに「ワサビって、いったい何のためにあるんでしょうね」と聞いてきたとしたら、ボクは迷わず言うだろう。「ワサビは焼き鳥のためにあるんですよ」、と。批判を恐れず、批判覚悟でボクは言う。ワサビは焼き鳥のためにある。ボクはこの点に関しては常識を捨てざるを得ない。


 ボクは骨付きのもも肉に歯を立てた。ん……?

「うわっ……これ、すっごいしょっぱいですね……油もドギツイし……うまいにはうまいですけど……」

 ほかの料理と比べると一段落ちるかな、というのが正直な感想だった。

「あー、これはね、この強めのウォッカといっしょにやると最高なんだよ……。肉をほおばったあとの……口のなかのたまらねぇやつをよ、ウォッカでやっつけてやんのさ。テキーラのショットみたいにね。……おいおい……そんなチマチマ食うやつがあるかよ……ガブっとイッキにいけよ。肉の圧を味わえ……口のなかをジューシーでいっぱいにするんだ……そうだ……イッキにほおばれ……そんで……ウォッカをちびっと……ちょっとずつ流し込め……ああそうだ、あせらず慎重にいけ……むせたら終わりだ。すべて台無し。むせたら死ぬくらいに思え……」

「……う、うますぎる……! 口のなか……祭りです。口のなかで祭りが起こってますよ! 何かを祝うお祭りが!」

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