7
しばらく待っていると、ゴロゴロ、ガチャガチャ、という異音が聞こえてきた。それがだんだん近づいてくる。きっと配膳カートか何かなのだろう。音は部屋の目の前で止まり、フスマが横にスライドされた。
「ただいまー」
気の抜けたゆるい声で言い、倉木さんは部屋に入ってくる。左右の手にたくさんの皿を持って、涼しい顔をしている。すごい。なんか達人みたいだ。器用なのか馬力があるのかわからないけど、とにかくすごい。
コタツの上はたくさんの皿で埋め尽くされた。てっきり焼き鳥だけなのかと思っていたけど、ほかにもいろいろな料理があった。チキンをあえたサラダに、小ぶりな骨付き肉に、素揚げに、からあげに、スープに、中華風の和え物に、生ハムに、色とりどりの小さなおにぎりに、エトセトラ……。
たくさん種類があるけれど、それぞれの量は少ない。手間がかかるわけだ。こんなにコマゴマ小皿にわけるわけなんだから。
倉木さんはいったん部屋を出て、すぐ部屋に入ってきた。両手に箱を持っている。ドデカい箱。クーラーボックスだ。黒光りして、装甲車みたいにゴツい。クーラーボックスはコタツのとなりに置かれ、すぐに開かれた。中には氷がいっぱい入っていて、そこに三本のボトルが突き刺さっていた。
「あ、なんだ……。ウォッカ以外もあるんですね。よかった……」
「これぜんぶウォッカだよ?」
「ええ……」
「微妙に風味が違うんだよ。これなんか、フレーバーが加えてあるし」
「へぇ、ウォッカもいろいろなんですねぇ」
倉木さんはもとの位置に座ると、グラスを渡してくれた。倉木さんの手元にもおなじグラスがある。中身は空だ。倉木さんも飲むらしい。
視線。それを感じてボクは、手に持つグラスに視線を落とす。
透明なグラスの横には、デフォルメされたかわいい竜が描かれていた。やや寸胴で、炭のように真っ黒な体。薄目で見ると竜じゃなくナマズかウナギのように見える。
「酒はセルフでたのむよ。自分で好きにやってくれ」
正直そのほうが助かる。お酌をされると、ついつい飲みすぎてしまう。調子にのってしまう。見栄を張ってしまう。それになんとなく断りづらい。なにか相手の善意をむげにしているようで断りづらいのだ。
それぞれ手酌でウォッカをつぎ終えると、倉木さんがグラスをぬっと突き出してきた。
「それじゃあ、かんぱ~い!!」
「あはい。かんぱい」
ボクは恐る恐るグラスに口をつけ、ちょっぴりだけウォッカを口に含んだ。
「あ。うまい。甘くないけど甘い気がする。なんか……バニラみたいな風味がするような……?」
「お~味がわかるね。そう、バニラフレーバーだよ。うまいだろ~」
「ええ、なんかビックリしました。
ウォッカって、こんなにうまいものなんだ……。失礼な話だけど、今まではウォッカのことを「カクテルの素」くらいに思っていた……。でも違う。ウォッカはウォッカだ。そのまま飲んで、こんなに美味しくて飲みやすいものもあるんだ。
「ほらメシも食え。冷めないうちに」
「はい。いただきます!」
料理はどれもこれも美味しかった。どれも一度は食べたことのある料理ではあった。でも、ハシをつけるたびに驚きがあった。美味しさの驚きはもちろん、変わった味付け、食べ方、組み合わせがあって、ハシを進めるのがなんだか楽しかった。
「うまい! けど……これは、なんですか? やけにトロトロしてますが……?」
ハーブか何かにくるまれた正体不明の何かは、濃厚なバターのようになめらかで、ほのかに独特な辛みを感じた。エスニック料理のような味だ。
「ああ、それはレバーだよ」
「レバー、ですか……? ボク、レバーって大嫌いなんですけど、このレバーは好きですね。いや、大好きですよ!」
「それはよかった。食べやすいように、いろいろと香辛料をいれてるのさ」
「ほえ~」
焼き鳥には様々な種類があった。炭火焼きやスナギモに、カワにつくねにネギマに、ハツ、なんこつ、ぼんじり、せせりにふりそで……。食べ方もいろいろある。定番の塩やタレはもちろん、岩塩、七味唐辛子、すり潰した梅や果実……。
「この緑のやつはなんですか……?」
焼き鳥のなかの一本に、緑色のかたまりがのっている。
「もしかして……東北とかで食べる、ズンダですか……?」
「いやまさか……。ここはダンゴ屋じゃないよ……。これはワサビだよ」
「へー、ワサビで食べるんですね。でも、量がちょっと多すぎませんか……?」
ひとつの串に、ビー玉くらいのワサビがちょんちょんちょんと三つものっている。
「あまり辛くない品種だからね。大丈夫だよ」
ホントだろうか……。エヅラだけ見ると完全に罰ゲームという感じだけど……。いいさ。敵じゃない。ワサビなんて敵じゃないね。辛かろうと辛くなかろうと、呑み込んでやるまでだ。意を決してボクは焼き鳥にかぶりついた。
清らか。
まず心に浮かんだのは、言葉だった。清らか。
世の中に、こんなに清らかな焼き鳥があるなんて。いやそもそもボクは、焼き鳥に清らかさがあることを知らなかった。いや、存在の予期さえしていなかった。
癖のないさっぱりとした焼き鳥のうまみを、ワサビの風味が優しくさらっていく。あたかも、元から清らかな小川の水を、さらに清らかな流水が洗い流してゆくように。
ボクはこれまで、ワサビの風味をここまではっきりと感じたことがあったか? ない。ボクの認識する世界で、ワサビという存在が膨張をはじめる。そしてその過剰なイメージは即座に焼き鳥へと流入してゆくのだった。そしてある仮定が生まれる。ボクは天使になるだろう、という。ボクはおそらく、焼き鳥とワサビの結びつきをつかさどる天使になる。もしも誰かがボクに「ワサビって、いったい何のためにあるんでしょうね」と聞いてきたとしたら、ボクは迷わず言うだろう。「ワサビは焼き鳥のためにあるんですよ」、と。批判を恐れず、批判覚悟でボクは言う。ワサビは焼き鳥のためにある。ボクはこの点に関しては常識を捨てざるを得ない。
ボクは骨付きのもも肉に歯を立てた。ん……?
「うわっ……これ、すっごいしょっぱいですね……油もドギツイし……うまいにはうまいですけど……」
ほかの料理と比べると一段落ちるかな、というのが正直な感想だった。
「あー、これはね、この強めのウォッカといっしょにやると最高なんだよ……。肉をほおばったあとの……口のなかのたまらねぇやつをよ、ウォッカでやっつけてやんのさ。テキーラのショットみたいにね。……おいおい……そんなチマチマ食うやつがあるかよ……ガブっとイッキにいけよ。肉の圧を味わえ……口のなかをジューシーでいっぱいにするんだ……そうだ……イッキにほおばれ……そんで……ウォッカをちびっと……ちょっとずつ流し込め……ああそうだ、あせらず慎重にいけ……むせたら終わりだ。すべて台無し。むせたら死ぬくらいに思え……」
「……う、うますぎる……! 口のなか……祭りです。口のなかで祭りが起こってますよ! 何かを祝うお祭りが!」
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