12

 おでんを食べ終えその余韻が引いたころ、倉木さんはヒョットコのお面をフトコロにしまうと、人の悪そうな笑みを浮かべながらわずかに身を乗り出してきた。コタツの天板に組んだ腕をのせ、その上にアゴをのせ、ボクに視線を合わせた。

 なんだろう。まさか、マージャンの沼に引きずり込むつもりだろうか……?

「で、なにか悩みがあるんだって?」

「え?」

「赤彦から聞いてるよ」

「ええっ、倉木さん……あいつと、面識あるんですか?」

「ああ、もちろん。親せきだからね。遠い親せきだけど、家が近いからね。昔はよく、あそびに来てたよ。ヒーローごっこに付き合ったりしてね」

「なんか想像つかないな……あいつがヒーローごっこだなんて……。じゃなくて……、あいつそんなことヒトコトも……」

「ああ、わるいね。だましたみたいで」

「いえべつに……。でもなんで……?」

「頼まれたのさ」

「頼まれた?」

「ああ、『親友をこっそり元気づけてやってくれないか』ってね」

 な、なんだよ、あいつ……。こんな、まわりくどいことして……。くそ……ボクを泣かせる気か……?

「『そのためなら何をしてくれてもいい』ってね」

 気持ちは嬉しいけど後半は余計だな……。と、そこでボクの頭に閃光が走る。ああなんだ、そういうことか……。

「ということは、あの雪だるまも演出だったんですね?」

「だ、だからやめろよ……。雪だるまなんか知らねえって……。言ったろ? 存在、怪談とかオバケ系はダメなんだよ……」

 倉木さんはひとつ咳をして仕切りなおした。

「べつに特別なことはしてねえよ」

 ……じゃあ、あの雪だるま、いや、『だるめしあん』はなんだったんだろう?

「『最近元気がなくて、なにか悩みがあるようだ』とも言ってたぜ?」

 と言って倉木さんはニヤニヤと笑う。

「いや……べつに悩みなんて……」

「ホントかー?」

「うーん……悩みという悩みがあるわけじゃないですけど…………」

 ボクはそこで言葉に詰まる。

 倉木さんはただ黙ってボクを見ている。完全に「鳴くまで待とうホトトギスモード」だ。本当に悩みなんてなかった。トラブルはもちろん、親と衝突するとか、人間関係がうまくいかないとか、大学が嫌になったとか、そういうこともない。ただ不安なだけだ。漠然とした不安があるだけだ。

「不安なんです」

「将来がか?」

「はい。だけど……進路とかじゃなくて……」

 進路に悩むことはある。だけどそれはボクにとっては、ポジティブなものだった。いくつか好きになれそうな道があって、どこの道に進んでも前向きに取り組めそうな気がしている。

「……この社会でこれから、生きていけるのかなって……」

「……んん……? ……社会ね……」

 倉木さんは腕組みをしたまま背筋をのばすと、首をかしげながら両目を閉じた。

「すまん、もうちょい具体的に」

「ああすいません……えっと……」

「いいよ。あせらなくて」

 倉木さんはパチッと目を開いた。

「……世の中の風潮が怖いんです。攻撃的で。誹謗中傷とかはもちろんですけど……。他人を出し抜くことが普通になってきているというか……。社会のスピードに少しでも遅れた人は切り捨てられて、『それはその人が悪いのだから、同情したり助けたりするのは間違っている』みたいな空気を感じるというか……」

「うーん。気に……しなきゃいいんじゃね? 空気なら」

「いやでも……その、ほら、……じっさいに、弱い人を攻撃した人間を、ほめたたえたりする人もいるじゃないですか」

「いるか? そんなやつ?」

「怖い事件が起こったときとか」

「怖い事件?」

「殺人とか」

「……ああ」

「最近、多いじゃないですか」

「多いね、とち狂ったのが」

「そういう事件が起こったとき、ニュースやネットとかで、『論理さえ通ってれば人の命を奪っていい』みたいな論調になることあるじゃないですか……。ああいうのを聞いたり読んだりしてると、なんだか頭がおかしくなりそうで……。……それに………………」

 倉木さんは真剣な目をしたまま、うっすら微笑んだ。

「それに?」

「価値のある人間にならないと、誰かの役に立つ人間にならないと、生きていちゃいけないような気持ちになるんです」

 ボクの言葉を聞いて、倉木さんはこれでもかとミケンにしわを寄せて目を閉じた。しばらくすると倉木さんは、目を閉じたまま話しはじめた。

「そもそもな」

「はい」

「べつに存在らは、誰かのために生まれたわけじゃないよ」

「え、いや、そんなわけ……」

「だってよ、なんも言われなかったろ? この世に生まれるまえに」

「言われる……? 言われるって……誰にです?」

「そりゃあ、神さまとかだよ」

 と言って倉木さんは、目を開くと、急に裏声になった。

「『あなた今から生まれるわけだけどォ! かならず人の役に立ってくださいねっ!』」

 ……あれ……? 神さまは裏声でしゃべるものなんだっけ……?

「なーんて言われてねえだろ?」

 と、普通の声に戻って倉木さんは言った。

「まぁ確かに、言われた覚えはないですけど……」

「誰かの役に立ちたいって気持ちは、存在たちが『自分』で手に入れたものさ。『しなきゃいけない』だとか、そういうものじゃないんだよ。誰かに押し付けられるものじゃないし、それ以上に、誰かに押し付けるようなものじゃないのさ。もっとこう……パワフルなものだよ。熱い気持ちだ。魂から生まれるものだ。人に渡せるような薄っぺらなものじゃない。それにな――」

 倉木さんはそこで言葉を切り、目に力を込めた。

「『生きてる』ってことは、それだけで奇跡みてえなもんなんだよ」

「奇跡」

「ああそうだ。本当は、道筋たてて考えなきゃいけねぇようなことじゃねぇんだよ。奇跡に理由なんてあるわけねえからな」

「奇跡……よくわかりませんね。ボクも奇跡ってことですか……?」

「もちろんさ。日ざしがあったけえとか、布団があったけえとか、メシがうめえとか、そういうことを感じられるってだけで奇跡だよ。だけどみんな、それを忘れちまうんだよ」

「忘れる?」

「ああ。何十年と続いてるもんだから、奇跡に慣れちまうのさ」

「なるほど」

「今の世の中は、特にそうかもな」

「……というと?」

「そういう根っこの幸せを見失わせるように働いてる、そんな気がするね。便利で楽しい世の中ではあるんだ。けどね、それで自分を見失っちまったら元も子もない。だからたまに、根っこの幸せに目を向けてみるといいんじゃねえかな。と、存在は思うね」

 倉木さんは締めくくるようにそう言って、ニコッと笑った。

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裏ごし 倉井さとり @sasugari

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