おまけ そして、千五百年後
「
午後の最初の授業が歴史だというのは、だいぶ運が悪いのではないかと思う。
それは、昼食後の眠気に勝てる科目があるかと問われると難しいのだけれど。でも、歴史なんて役に立つとは思えないし、興味もないし。先生の声はこもって聞き取りづらい上に、文章の繋がりが曖昧で頭に入って来ない。
「野蛮な、いや、良くないな、これは
今やっているのが、魁とかいう何千年だか何百年前だかの王朝なのも良くない。もっと面白そうな時代はほかにありそうなものなのに。なぜ魁王朝があまり知られていないのか、という話を前回の授業でやった気もするけれど、何しろこの先生の話だから覚えていられない。
「独特な風習といえば、
周囲から聞こえる、紙が触れ合うさざなみのような音に遅れないよう、慌てて該当のページを開く。
そこに掲載されているのは、花模様の彫刻が見事な木箱だった。彫刻だけでなく、蓋と本体が隙間なくぴったりと嵌るようになっているようなのも、たぶん優れた技術なのだろう。実際、偉い人の持ち物だったらしく、注釈には泰の宮殿跡から出土、とある。
先生は、例によって独り言のようなぼそぼそとした調子で続けている。
「この中には、少なくとも三人以上の乳歯が入っていた。遊牧民族特有の、何らかの儀式的意味合い──つまりは呪術というか
歯、と聞いて教室に静かなざわめきが起きる。確かに、気持ち悪さや不気味さはあるけれど──
(乳歯なら、普通に抜けるものだし。拷問とかで引っこ抜いたんじゃないなら、まあ?)
眠気と、授業への身の入らなさが口を緩ませる。頭に浮かんだことを、そのまま垂れ流してしまう。
「単に、歯が抜けた記念を取っておいたんじゃなくて? 昔の人なら三人きょうだいくらい普通でしょ」
話しかけた隣の席の子は、顔を顰めて目を逸らした。なぜ──と思ってから気付く。今は休み時間ではなくて、授業中。しかも、思った以上に声が響いてしまった。
恐る恐る教壇を見やると、先生の冷ややかな目が突き刺さる。憐みと蔑みに満ちた眼差しが、雄弁に語っていた。
──そんなはずはないだろう。愚か者め。
授業のふんわりと
教室中の注目を受けてしまった恥ずかしさ。無言の叱責の居たたまれなさに、慌てて顔を伏せて教科書に没頭している振りをする。
すると、反省の態度アリと思ってもらえたのか、授業は何ごともなかったように再開された。
「──ちょっと、脱線してしまったんだけれども。では、泰の武帝の改革について──」
幸か不幸か眠気は綺麗さっぱり飛んだけれど、先生の声が分かりづらいのは依然として変わらない。だから、手持ち
何百年だかを経て、輪郭をぼやけさせた石像。色褪せた、それでも細やかな刺繍の豪奢なものだと分かる衣装。重たげな金細工。錆びた
どれも、授業中の暇潰しに眺めるのでなければ、博物館のガラスケースに収まっているのを横目で通り過ぎるていどのもの。歴史的価値はあるのだろうけど、見ても面白いとは思えない。ただ──
(どんな人たちだったのかなあ)
抜けた乳歯を記念に取っておく、なんて卑近な発想をしたからか、ふと気になってしまう。
食べるものも着るものもまったく違う古代の人々が、何に笑い、何に怒り、何に悲しんだのか。知識のない身には、想像も及ばないのだけれど。
彼ら彼女らが生きて死んで、営みを続けて──紡がれた気の遠くなるような長い道の果て、積み重ねられた時代の層の一番上に自分がいる、というのは興味深くて面白くて。果てしなさに覚える目眩も、どこか心地良い気がした。
* * *
本話をもって完結です。翠薇の復讐の物語にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。ご意見ご感想、レビューなどいただけますと、今後の励みと参考になります。どうぞよろしくお願いいたします。
魁国史后妃伝 ~その女、天地に仇を為す~ 悠井すみれ @Veilchen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます