いそばひ居るよ  〜いたずら難隠人〜

加須 千花

悪戯するぞー! おー!

 ありてる花橘はなたちばな


 上枝ほつえにもち


 なかにいかるが


 下枝しづえにひめを


 ははらくをらに


 ちちらくをらに


 いそばひるよ  いかるがとひめと





 昔からずっと立っている花橘に、

 上の枝にはトリモチを引きかけ、

 中の枝には斑鳩いかるが

 下の枝にはヒメ鳥をおとりにしかけ、

 お前たちの母を取るとも知らず、

 父を取るとも知らず、遊びたわむれているよ。斑鳩とヒメ鳥が。




 万葉集  作者未詳  巻第十三 3239番より抜粋




   *   *   *



 上毛野君かみつけののきみの難隠人ななひと、六歳。


 将来は上毛野君かみつけののきみを継ぐ事が約束された、偉い、とっても偉い若さまである。


 ただ、実の母父おもちち黄泉よみ渡りしていて、難隠人ななひとは養子だ。

 と言っても、難隠人ななひとの身体に流れる上毛野君かみつけののきみの血は直系であり、濃い。

 加え、たった一人の息子だ。


 難隠人ななひとが偉い、とっても偉い若さまな事に、変わりはないのである。



 





 壬子みずのえねの年。(772年)


 三月の早朝。



 自分と同じ六歳の浄足きよたりを従え、難隠人ななひとは、ぷーらぷーら、と広い屋敷をほっつき歩く。


「ほーつえにー、もち引き掛けぇ〜……。」


 そこらへんの草を引きちぎり(庭は手入れが良くされているので、実は花菖蒲はなしょうぶの草である。)ぐーる、ぐーる、と回しながら歩く。


難隠人ななひとさまぁ……。博士はかせの勉強のお時間ですぅぅ……。」


 浄足きよたりは、綺麗な母刀自ははとじ(母親の尊称)に良く似た、可愛らしい顔をくしゃっと歪めて、べそべそ泣いているのだが、難隠人ななひとは取り合わない。


「けーっ。知るかよ。勉強なんて退屈だいっ。」

難隠人ななひとさまぁ。あとで叱られますぅ。」

「こちたみっ(うるせっ)。ばーか、ばーか、私が主人だ。浄足きよたりは黙ってついてくれば良いんだよ。命令だ。」

「うう……。」


 浄足きよたりはがっくりとうなだれる。


「お。」


 たくさんの馬のひづめの音が聞こえた。

 衛士えじたちが、群馬郡くるまのこほりの朝の見廻りを終え、帰ってきたのだろう。

 難隠人ななひとは、見つかったら面倒だ、と、さっと浄足きよたり襟首えりくびをひっつかみ、


「ぐえっ。」


 と浄足きよたりが声をあげるのもかまわず、近くのやぶに引き込んだ。

 しばらくうかがうと、よく通るおのこの声が、


古志加こじか!」


 とおみなの名前を呼ばった。


「ひゃい!」


 古志加こじかはなんとも間抜けな声を出した。

 藪に隠れた難隠人ななひとは、ぷっ、と吹き出す。


「変な声! あーあ、古志加こじかが女官の日はまだかな。」


 古志加こじか、十六歳。

 普段は衛士だが、十日に一回、難隠人付きの女官として務めている。

 なかなか骨のある奴だし、剣だって体術だってできるし、遊び相手として、難隠人のお気に入りだった。

 ……美人だし。

 近くに行くと良い匂いがするし。

 乳房大きいし。


「今から板鼻郷いたはなのさとに行くぞ、墓参りだ。」

「うん!」


 古志加は上司の、いつもムスッと怖い顔をしてる三虎みとらと話している。

 ちなみに三虎は、浄足きよたり叔父おじだ。

 古志加が遠慮がちに喋る。


「あの、今から山吹やまぶき色の衣に着替えても?」

「はぁ? わざわざ時間を作ってやってるんだぞ。オレは、大川おおかわさまの、そばを、離れたくない! すぐ行くぞ。」

「はい……。」


 古志加と三虎は行ってしまった。

 衛士たちも、さっさとうまやに引き上げたので、難隠人は藪から出て、膝の土を、ぱん、ぱん、と払う。


「ちぇ。つまんね……。」


 そう、つまらないのだ。

 お気に入りの女官は、今日は衛士でいない。

 乳母ちおもも、いない。


 ずっと、産まれた時から一緒だった、たおやかで美しい乳母ちおも

 日佐留売ひさるめ

 浄足きよたり母刀自ははとじ

 今は、緑兒みどりこ(赤ちゃん)の出産の為、生家せいかに帰っている。無事に元気な緑兒みどりこを産んだ、と文はきたが。


 ……さみしい。

 早く上毛野君かみつけののきみの屋敷に帰ってきてほしい。


 難隠人の実の母父おもちちは、すでに黄泉だ。顔も知らない……。

 難隠人が母と頼れるのは、日佐留売ひさるめだけなのだ……。


 ……顔が見たい。会いたい。ぎゅってしてほしい。


「けっ。」


 私は泣いたりするもんか!

 今日も元気に悪戯いたずらするぞ!


浄足きよたり、さっそく罠の確認にいくぞ!」


 さっき、簀子すのこ(廊下)に、嫌がる浄足を叱咤しながら、一緒に紐を張っておいた。

 その紐を歩いた人がぷつっと切ると、横から団子だんごを刺した木の枝が、その人めがけて飛び出すという寸法だ。

 上手く団子がその人にくっついて、腰を抜かすほど驚けば、成功だ。


 颯爽と難隠人が浄足を振り返ると、浄足が、


「あわあわあわあわ。」


 と何故か顔を真っ青にして、慌てている。


「ん?」


 とつぶやいた難隠人に、上から影が落ちた。


(やべっ!)


 と逃げる体勢をとったところで、背後に立った大人に、むんず、と耳たぶをつままれた。


「いててて!」

「難隠人さま。良くもやってくれましたね……。」


 ふしゅうぅぅぅ、と怒りの吐息を吐く鬼の形相ぎょうそうおみなは、浄足の祖母にして、この屋敷の女官を取り仕切る女嬬にょじゅのなかでも、一番えらい鎌売かまめだ。

 後ろには、えぐえぐ泣いた女官、寒水売さむみずめが、団子がささった枝を手に持ってる。

 ざっと見た限り、蘇比そび色の衣に、取れない団子の残骸ざんがいはない。


「あ、団子、上手くくっつかなかったか。これは改良が必要だな!」

「あほ──────!」


 鎌売が怒鳴った。


「こっち来なさい! 勉強さぼって、変な悪戯して! お尻を叩きますからね! まったく、難隠人ななひとさま、将来は上野国かみつけののくに大領たいりょうにおなりあそばす身の上なのを、ご自覚なさいませ!」

「け───っ、ぺっ、ぺっ、ぺっ、鎌売かまめなんて嫌いだ。いくらでも脱走して、いくらでも悪戯してやる! 誰も私を止められるものか!」

浄足きよたりっ! お前がついていながら、このていたらく!!」

「びえええ〜ん、申し訳ありません、おばあさま……。びええええ……。」




   *   *   *




 戊午つちのえうまの年。(778年)


 十二歳になった浄足きよたりは、


「……で、オレも、穎人かいひとさまも───その頃はまだ、大人の名前でなかったから、本当は難隠人ななひとさまって呼んでたんだけど───、穎人かいひとさまも、鎌売かまめにお尻をパンパン叩かれたよ。

 今からは想像つかないかもしれないけど、そんな六歳だったんだよ、穎人かいひとさまは……。」


 上毛野君かみつけののきみの屋敷でくつろぎながら、同母妹いろもである多知波奈売たちばなめに、話をきかせていた。

 ちょうど、多知波奈売たちばなめも六歳で、穎人かいひとさまの六歳の頃が知りたい、と言ったからだ。


「まったく。それぐらいにしろ。」


 今ではすっかり落ち着いた十二歳の穎人かいひとさまが、苦り切った顔をする。


「ははは。あの頃、オレは一番の被害者ですよ。沢山泣かされて、つきあいでお尻を腫らしました。

 これくらい、言わせてもらいますよ。」


 浄足きよたりは澄まして、にっこりと笑う。


「ちっ。」


 穎人かいひとさまは舌打ちし、目をつぶった。

 もうどうとでも言え、という態度だ。





 ……今なら、浄足きよたりは、こう、ちくっとあるじに言うこともできる。

 でも、六歳の当時は、


「止めましょう。」


 と言いながら、強引に止める事はできず、真っ赤な顔をしてぷるぷる震えながら、難隠人さまのあとをついてまわる事しかできなかった。

 難隠人さまは、ふとした時に、深い哀しみを瞳に浮かべるわらはだった。それを、どうにかしてあげたくて、でも、どうにもできず、いつも、浄足はモヤモヤした思いを抱え、難隠人さまに強くでれなかったのだ。

 今ならわかる。

 浄足はこう言いたかったのだ。


 ───オレがいるじゃないか!

 オレがいつも、傍にいるのに、それでも寂しいのか?!

 オレがいるだけじゃ駄目なのか?!


 まあ、幼かったので、当時は言葉にできなかった……。







「まあ。ほほほ。」


 母刀自、日佐留売ひさるめが優美に笑う。

 母刀自は、いつでも綺麗だ。浄足の自慢である。

 女官の福益売ふくますめも笑う。


「それでも、あたしは、穎人かいひとさまが大好きですよ!」


 多知波奈売たちばなめが大きな声をだした。


「おっ、オレの味方はお前だけだな。」


 穎人かいひとさまが、六歳の多知波奈売たちばなめを見て、にっこり笑う。

 浄足の同母妹いろもは、わらはらしい、ふっくらとした満開の微笑みを見せる。

 浄足は、穎人さまの笑顔に、落ち着きと、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎにふさわしい風格の片鱗を見る。


 今は穏やかだ……。


 あとは、穎人さまのお父上と、その従者──あのいつもムッとした顔の叔父が、無事にの地から帰ってくれば良い。

 あの叔父から作り方を教わった、宇万良うまらの練り香油こうゆ、浄足が仕込んだ今年の分は、良い出来だ。

 早く、あの従者としては尊敬できる叔父に、この腕前を自慢したい。



 待ってるから。

 早く、帰ってこいよ、三虎。







      ───完───

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