わたしたちに足りない眉毛
Tempp @ぷかぷか
第1話 成井さんの謎眉毛
季節外れの新入社員、
つまり突然退社した俺の部下のかわりに、秋の中頃という変な時期に入社してきたんだ。事情はさっぱりわからないけど、その部下は急ぎ実家に戻らないといけなくなったとかで退社したらしい。それすらも俺が聞いたのは退社の後で、最後に会った週末には何も言ってなかったのに月曜には部下の机は綺麗に片付けられていた。
ここは旅行代理店日本トラベル❘
成井さんは部内の同じ島の向かいの席に座っている。向かいと言っても机半分だけ平行にすれている。だから俺からはモニタで顔の左半分が隠れていた。
成井さんは肩甲骨くらいまでの長さの少しだけ茶色い髪をセンターで分けて、卵型の顔で、目は少し大きい奥二重なのかな。鼻は普通? それから口もなんとなく普通でピンクっぽい口紅をつけてる。どちらかというと健康的そうで、全体的には明るい印象の人。美人というほどでもないけどそこまでは印象に残らない人だと思う。モニタのわきからのぞく顔からも、そんなに目立つ感じではない。でも。
「❘
ニヤニヤと小さな声で隣からちょっかいを出すのは
俺は
「別に見てるわけじゃないよ」
「ウソウソ、絶対見てたって、バレバレだって」
「いや、だからそんなんじゃないから」
「村沢主任、何かありました?」
俺と堀渕のちょっとした言い合いに成井さんが席から立ち上がる。
うん、俺は成井さんのことを見ていてそれは確かで。でも別に堀渕が邪推しているように成井さんが好きだから見ているわけじゃなくて。その、なんていうか物凄く落ち着かないんだこの気持ち。成井さんが入社してからずっと。
俺は立ち上がってにこりと微笑む成井さんを見上げる。その顔は圧倒的な存在感をたたえている。だって。だって成井さんは。
左側の眉毛がないんだから。
成井さんの眉毛について。
俺は別に仕事が手に付かないほど気になるわけではない。まあ仕事中はモニタに隠れて見えないしさ。でも休憩中とか、ふとした瞬間に成井さんが立ち上がった時とかに見えるんだ。いや、『見えない』っていったほうが正確か。
そうすると思わず成井さんの『見えない左眉』に目を取られて、そこをまた堀渕に目撃される悪循環。成井さんは顔の右半分には眉毛がある。左半分には眉毛がない。なんで。何故だ。なんか、凄く気になる。もやもやする。
心の安定のために眉毛がない理由を色々考えてみた。例えば間違えて剃ったとか、生まれつき半分ないとか。それでさらに化粧品にアレルギーがあって眉毛を書けないとかさ。
でも成井さんのモニタからはみ出ている顔の右半分を見ていると、眉毛があるほうの眉は多分奇麗に整えられていて、茶色っぽい黒のアイブロウかなんかで奇麗に眉毛の端っこが描かれている。そうすると別にアレルギーとかじゃないんだよね。だから眉毛を書けないわけじゃないと思う。でも顔の右半分だけアレルギーっていうのはありえるのかな。
でも俺が1番気になっていることは、成井さんの左眉がないことに誰も突っ込まないことだ。
最初はTPO的なもので誰も指摘しないのかと思っていたんだ。でも最近はなんとなく、それは違う気がしている。
「成井さやかと申します。これからよろしくお願いいたします」
成井さんが入社の挨拶で顔を上げた時、俺はかなり動揺した。
だって想像してみたらわかるだろうけど、片方だけ眉毛がないって物凄いインパクトだよ。多分両眉ないほうがインパクトが薄い。
でもその時、他のみんなは誰も動揺していなかった、気がする。動転しすぎて周りに目を配ったりなんかしてなかったけどさ、他の人は平然としてた。俺は成井さんの存在しない左眉に目が釘付けになって、なんだかかなり挙動不審になった自覚がある。成井さんは俺のチームに配属されて、俺は主任として成井さんに仕事の説明とか簡単な指導をした。その時も成井さんの左眉が恐ろしく気になった。
だって眉毛がないんだよ? 片方だけ。なんで。なんでなの。
俺の心の叫びはなんとか心の底のほうに押し込めたけど、やっぱり挙動不審だった気がする。だからニヤニヤする堀渕に『一目惚れでしょ』とかつっこまれて、全然考えてなかったからそんなことはないと咄嗟に否定したけれど、多分あれで堀渕の中で確信になったんだ。そうすると下手に否定すると悪循環な気がしてスルーした。そしたらそっから部内の空気がなんだか生ぬるい。
でも誤解だからって言い張ってもやっぱりよけい色々邪推されそうだから、落ち着くまでは様子をみることにした。酷い災難だ。
いやそうじゃなくて成井さんの左眉の話。
みんな気がついてない気がする。そんなバカなことがあるのかな。だから同期に聞いてみた。
「あのさ、俺のチームの成井さんのことなんだけどさ」
「なになに? 成井さんがどうかした?」
期待に満ちた目線が降り注ぐ。こいつにも俺が成井さんが好きっていう噂が伝わってるのか、「お前もか。ゲンナリするわ」
「えっ何?」
でも親しい同期にしか聞けないのだ。下手に会社で上司や部下に聞くとパワハラになりかねないから。最近はポリコレめんどくさい。ちょっとだけ上の立場になれば身につまされる。
「成井さんの眉毛について」
「眉毛?」
同期は一瞬不審な顔をしてすぐにまたニヤニヤしはじめた。
「何お前眉毛フェチなの?」
ないのにフェチも何もなかろうもん。
「いや、そうじゃないんだけど、ちょっとお前にしか聞けなくてさ。成井さんの眉毛ってどう思う?」
「うーん? あんまりよく見てはないけど、普通な印象?」
「普通? 気になるところはない?」
「いやいや、気にしてるのは村沢だけっしょ」
何人かに聞いてみたけどだいたいの反応はこんな感じだった。つまり俺以外は成井さんの眉毛に違和感はないらしい。
でもそう考えるとますます変だよな。だって変だろ?
俺にだけ見えない眉毛ってことじゃないか。
例えばさ、仮に幽霊とかで俺だけが見える存在ってのはひょっとしたらあり得るのかもしれないけど、俺だけに『見えない』存在ってのはやっぱりおかしくないかな。おかしいよね。
あんまり気になってコンタクト作るついでに眼科に聞いてみたけど、例えば顔が覚えられないとか特定のものが認識できないっていう病気はあるけど、特定の人の眉毛だけ見えないっていう病気はないよって鼻で笑われた。まあそうだよね。
そんな日がしばらく経って、とうとう恐れていたイベントが発生した。成井さんの歓迎会だ。当然のように俺と成井さんは隣り合わせで席をセッティングされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます