第5話 成井さんと謎仮装
バッグに荷物を詰めて靴を履く。
1泊2日。着替えを適当に1日分。いつもの出張と違って私服でいい。営業先ではあるけれど、今日はプレ公開の一般利用者として行くんだから。下手にスーツだとそれはそれで不自然。テーマパークなんだから。
それに行くとどうせすぐに着替えることになる。
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今度は映画の時とは違ってドキドキは全然しなかった。前回の反省もある。それに仕事だ。
でも待ち合わせ場所に現れた成井さんは多分そうじゃなくて、期待に目を膨らませているみたいな、そんな風にキラキラしてた。右側は。でも左側はやっぱり眉毛がなくて、表情がない。目は右目と同じ形に動いているけど全然違って見えた。いうなれば極寒、コキュートス。地獄の最下層の嘆きの川で、俺はすでに氷漬け。
部長が気を利かせて取ったグリーン席。特急で1時間弱、そこから送迎バスで15分でたどり着くのが夢と欲望の国。グリーン席は進行方向左側の2列シートでほっとした。窓際を勧めたら成井さんの席は俺の左側になるからね。
これはデートじゃなくて仕事だ。私服を着ていても純然たる仕事だ。成井さんは若草色のTシャツに紺のジーンズ、黄色のパーカーを羽織っていた。この間とまた雰囲気が違ってパステルカラーで明るい感じ。そもそも右側の成井さんは明るい。
俺はこれから行くテーマパークの説明を始めた。これはあくまで仕事だから調査目的がある。成井さんはテーマパークのメインターゲットである女性として、ツアーを組むのにどこが売りになるか、顧客満足度を上げるにはどうするかを考える。だから思うままに楽しんでもらえればいい。
俺は客観的に施設の把握が仕事だ。何がどこにあって、ツアーを組むに当たってはどんな動線が必要で。それぞれのアトラクションの所要時間とか混み具合、物販や飲食の感じを確認。
「そんなわけで成井さんは楽しんでもらえたらいいからさ」
「主任、申し訳有りません。反省しました。お仕事ですもんね。うかれてないで私も良く見ます。もちろん楽しんで」
「うん、ああ、あと感想とかは適宜言ってもらえると参考になるから」
「わかりました! ちょっと恥ずかしいけど」
成井さんの右顔はニコッと笑った。左顔は少し影になってたから、僕をじわりと見つめる瞳に気づいてはいたけど気にしないことにした。
そうして辿り着きましたるは噂の新規開店のテーマパーク『プリンセスガーデン』。奇麗なハコモノ感が溢れている。
豪華な白い入場ゲートにチケットに通せば、キャストが丁寧なお辞儀をした。俺は成井さんの右手側でエスコートする。普通は利腕だから反対だろうけど、左が利き腕と押し通す。成井さんは恥ずかしそうに俺の左肘にそっと手を置いた。正直成井さんの右隣に居続ける限りは俺の心の負担が少し軽い。Fly High。
気は進まないけどこういう場所だから仕方がない。
まるで結婚式のウェデングロードを歩くように白の代理石を踏みしめながら色とりどりの花壇の間を通って城に到着。このまま結婚式の父親のように成井さんを送り出して帰りたい。そんなことを思いながらチェックカウンターの前に立つ。
ここで今日1日の仮装を決めて、着替えとメイクをする。
「へぇ、メイクもフリーパスに含まれるんだ」
「友達の結婚式で頼むと数万円かかったりしちゃいますから、凄くお得です」
「そんなにかかるんだ」
当然ながら入場料金には着替代も含まれる。
貸出ドレスには保険がかけられていると極秘資料にあった。だから故意に汚すとかじゃない限り、多少汚れても請求されない。雑に使って欲しくないからあえて言わないけど、旅行代理店には客が汚した場合に備えて保険の存在をこっそり教えてもらっている。そうじゃないと安心してツアーが組めないし、ツアーに保険は含まれるけど内容と保険料が若干変わってくるから。
ゲストは最初に中央の城で衣装を選ぶ。
衣装はノートパッドに一覧になっていて、ジャンル、大まかなデザイン、色と絞っていく。アクセサリも選べて、アバターに表示されるから、着る前に大体の雰囲気が分かる寸法だ。フリーで選ぶこともてきるけど、膨大な量だから人によってはいつまでも決まらなくて、この入り口で1日が潰れるかもしれない。
オープン時には予めオンラインでドレスの閲覧と予約ができるようになるらしい。
頭の中でツアーのキャッチコピーを考える。
好きな服を着れるというのは女性に対する集客効果が高いんだと思う。そういえば前に鮎川さんが誰かの結婚式の時にレンタルしても買うのと同じくらいの値段がするとかブツブツ言ってたな。
「村沢主任、これ面白そうです」
「どれ?」
俺は成井さんが決めたらそれに合わせて適当に決めようと思ってた。成井さんが開いたページにはペアプランと書かれている。シンデレラと王子、ウェンディとピーターパンというようにテーマに沿ったセット服が並んでいる。
「正直白タイツもピーターパンの半ズボンも勘弁して欲しい」
「そうですねえ」
「あ、これどうかな」
俺が見つけたのは『仮面舞踏会』セット。
どこかダークな感じの大人びた衣装のセットで、白タイツや半ズボンより余程マシに見えた。それになにより。
「成井さんがもしよければ」
「仮面舞踏会? ドレスも奇麗だしいいですよ」
「ありがとう。それでお互いの仮面はお互いが選ぶというのはどうかな」
「それ面白そうですね。わかりました」
タキシードも小物もキャストにお任せ依頼して仮面を選ぶ。オンラインで選べば成井さんのキャストが用意して成井さんに渡してくれる。
なるべく眉が隠せるものをと思ったけど、だいたいどれも目元が覆われていて、どれを選んでも大丈夫そうだ。よかった。
パラパラとめくって良さそうなのを用意してもらうことにした。
にこりと楽しそうに笑う成井さんと別れて試着室に向かう。Fly High。
仮面だけ秘密にお互いが選んぶ。なんだかそれは少しだけ秘密っぽくてわくわくした。エスコートというのは女性の片側しか見えないいいシステムだと思う。でも俺は、そもそも眉毛が見えなければ向かい合ってても全然いい。
簡単に髪をセットしてもらい、豪華な宮殿のような、エンジ色に統一された待合室に案内される。部屋の中では何人かの男性が退屈そうに欠伸をこぼしていた。
目の前に置かれた小さなプレートから好きに選べるフリードリンク制になっている。新聞や男性向けの雑誌がたくさん並ぶコーナーがある。手持ち無沙汰な時間を潰すためのものだ。
テーマパークツアーはリピーターも多い。
男性とペアの場合はお金を出すのは男性だから、もう少し男性の好感度があがるオプショナルかある方がいいのかな。モニタ意見としてそんなことを考えていると、思ったほど時間をかけず成井さんは現れた。
そしてその姿に俺はかなりの衝撃を受けた。
成井さんは、なんていうか奇麗だった。
シンデレラの履きそうなキラキラとした靴。この部屋に似合う深いグリーンを主体にしたベロアの滑らかなスカートから連なる細身のドレス。首元の豪奢なジュエリーは、イミテーションだろうけど少し暗い室内でシャンデリアの光をキラキラと照り返していた。そして恐る恐る顔を視界に入れる。成井さんは髪を結い上げいつもより豪奢なメイクをして、まるで別人だった。そして顔の左半分を三日月型の仮面が覆っていた。
見えない左眉が見えない。
何を言っているのか自分でもよくわからないけど、それだけで物凄く印象が違う。顔の右側が全部見えている分、余計に普通の人みたいだ。しかも成井さんは化粧映えする顔なのかもしれない。にこにこした目元にドレスに合わせた薄い緑のラメが散りばめられていて、赤紫っぽい紅をさした唇が光を反射してつやつやと色っぽかった。思わずごくりと喉が鳴った。
「さすが村沢主任です。この仮面かっこいいですね。私が選んだの普通すぎますよね」
「いや、そんなことは全然」
成井さんが選んだのはバタフライ型のオーソドックスな目元を覆う仮面。奇をてらいすぎてるのよりはこういうシンプルなのがいい。顔全体を覆うのもあったけど、息苦しそうだし。
改めて成井さんを見つめる。普通だ。いや、仮面舞踏会スタイルって普通じゃないんだろうけどさ。その仮面の月の裏側に異界がすっぽり隠れてた。存在はするとしても、夜の帳が下りるまでは月は昇らない。太陽が俺にニコリと笑いかける。今までとのギャップで思わずそう感じた。
とはいえここは仕事で来てるんだ。急ぎ残りのコーヒーを飲み干して、正式に成井さんの左側に立って恭しくエスコートした。そしてすぐに後悔した。
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