第4話 成井さんとの謎出張辞令
翌週月曜。社内の空気は前週よりさらに温かった。
「主任、結局どうだったんすか」
「どうにもなってない。映画見て帰った」
「え? でも告ったんですよね?」
「告ってないし。そういう関係でもないし」
でもその説明はなんとなく、特に堀渕には通らない気がしてきた。さっきから成井さんの右顔とチラチラ目があう。先週までと違って明らかに意識されている感じがする。プラスの方向で。
うん、ええと。悪い気分じゃない、右顔だけだと。異性に好意的な視線向けられるのって、なんだか久しぶりだし。
よく考えると成井さんは結構いい人だ。
仕事も真面目だし人当りはいいし。すごい美人っていうわけじゃないけど温かみのある顔だと思う、右側は。
でも俺にはサブリミナル効果のようにすっかりくっきり映画館の成井さんの左側が脳裏に刻み付けられていた。成井さんって2人いるんじゃないかっていう気すらする。このモニタの脇から覗く成井さんと、モニタに隠れた得体の知れない成井さん。でも2人は同じ人で、人格が2つあるわけでも全然ない。
その2人の成井さんは俺の中で上手く一致しなくて、気持ちが落ち着かない。風邪の引き始めみたいな妙な違和感がある。
「主任、皆わかってるから照れなくても大丈夫っすよ」
なんだこの微笑ましいものを見るような視線は。
「照れてないし。てかなんだその皆わかってるって」
「だって主任、飲み会の時ずっと成井さんガン見してたじゃないっすか。みんな知ってるから。あれで違うとか無理すぎっしょ」
飲み会? ……記憶が定かじゃないが、暗黒面に落ちた気がする。名伏しがたい何ものかに暗い海に引きずり込まれているようないやな感じ。
でも多分、この流れに下手に逆らっても掘淵が引っ掻き回すだけの泥沼で、暴れたら底無し沼のようにもっと沈みそうな気がするから波を乗り切るまで大人しくしておくしかないような、そんな強度の予感だ。
どうしよう。とりあえず仕事しよう仕事。春休みの学生に向けたキャンペーンツアー。人気の観光地のリサーチだ。
「おい村沢、ちょっと来い」
そう思っていたら部長に呼ばれた。
「何でしょう」
「❘
「ええ、春休みにオープンですよね」
丁度今、調べてたところだ。
隣の三春夜市に今度新しく大人向けのテーマパークができる。メインは大人向けのファンタジー。イメージとしては日光江戸村だろうか。リアルなお城や中世の街並みの中でお姫様や魔女なんかのなりたい仮装すると、キャストがそのように扱ってくれるらしい。俺が最初に浮かんだのは「エロなしイメクラ」なんだけど。
「それでさ、ちょっと伝手があってプレオープンのチケットが2枚あるんだよ。行ってきてくれない?」
「え。それは是非。業務ってことでいいんですよね?」
「うん。成井さんと2人で」
ピキリと世界が割れた気がした。左右に。
「ちょ、ちょっと待ってください、さすがにそれは」
「ホテルは部屋別々にとるからさ」
「いやそれは当たり前っていうか、堀渕と行きます」
「男2人で行くより男女でいったほうが雰囲気わかるだろ、女性向けなんだから」
「それなら成井さんと鮎川さんでいくべきでしょう?」
「鮎川はこういう普通のところいかないだろ。新規オープンのテーマパークの周辺のB級グルメスポットとか心霊情報とかいらないから」
うちのチームの最後の1人、
鮎川さんの作るB級食い倒れツアーやら心霊スポット巡りツアーとかは局所的な人気が高くて、申し込みはそれほど多くなくても経費がかからないぶん利益率が高い。だから部内の人はみんな鮎川さんを自由にさせている。
「それに成井と鮎川が行ってもつまらないじゃないか、俺が」
「俺がってなんですか、俺がって」
「成井といい仲なんだろ?」
「ち・が・い・ま・す。それに成井さん、男と2人で泊りがけとか無理でしょう」
「業務命令なんでそういうことで」
「いや本当に待ってください」
「おーい堀渕ー。あとよろしくー」
「いや部長、ちょ、ま」
ニヤニヤする堀渕に無理やり席に連れ戻されると成井さんが俺に頭を下げた。
「あの、出張よろしくお願いします」
え、ちょっとまって。なんで成井さん俺より早く知ってるの。堀渕がニヤニヤしている。
「おのれ諮ったな」
「主任、業務命令~」
ニヤニヤ。ニヤニヤニヤ。
いや違う。堀渕だけじゃない。全員か。この部の全員が敵か。みんな暗黒面に落ちたのか。この会社は社内恋愛に理解がありすぎる。
主観的な俺にとっては確定したのは1泊2日のホラーツアーだ。奇麗に直立して頭を下げた成井さんの左眉のない目の光が、それを如実に物語っていた。
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