第3話 成井さんと謎デート
そして迎えた翌土曜日の朝。気が付いたら家で寝ていた。俺どうやって帰ったんだろう。軽く頭が痛い。二日酔いなんて久しぶりだ。
「この格好でいいのかな」
久しぶりに眺めた全身鏡に思わずそう呟く。返事はない。
何を着ていけばいいんだろ。女っけなんて全然なかったからろくな私服もない。一番まともそうな黒のセーターにジーンズに、それからグレーのジャケット。結局いつも着てるような無難なのに収まった。
その日はなんだか朝からドキドキしていた。
『デート』。デートってすごく久しぶりだ。
大学のころは少しだけ彼女がいたことはあったけど、就職してからはなんだかバタバタ忙しく、すっかり日常の要素からはアウトしていたのだ。というか俺はそもそもモテるタイプでもないし、出会いもなかったし。だから突然降ってわいた『デート』という出来事に少々混乱していた。相手が成井さんだとしても、久しぶりの女性との外出。
どうしたらいいんだ?
家を出るとピュゥと木枯らしがふいていた。もう11月だ。紅葉の時期は既に過ぎて、葉をだいぶん落とした街路樹は少し寒そうに灰色の幹を晒している。俺も首もとが開いたセーターが少し寒い。これから女の子と待ち合わせ。なんとなく落ち着かずにそわそわと視線をさまよわせて少しどきどきしながら映画館に向かうと、成井さんはすでにニコニコしながら待っていた。
その瞬間、俺は急に現実に引き戻された。『デート』というどこか甘い言葉に少し何かを期待していた気持ちがキュンと冷えた。肝とともに。にっこり笑う成井さんはやはり左眉がなかった。
首から下を眺める。ふわふわしたエンジ色っぽいワンピースに白っぽい長いカーディガン。普段の会社の真面目そうな装いとは違って女の子っぽい感じで、首から下だけだと意外性があって結構キュンと来るかもしれない。
でも顔を見ると。左眉がない。それは意外性という言葉では片付けられない異常な何か。その印象で全てが覆る。異界の扉が開いたような違和感がある。何故だか何か胃が気持ち悪い。ぞわぞわする。
さらに失敗を悟った。
少しぎこちなく挨拶して、売店でキャラメルポップコーンと2人分のドリンクを買って、レディーファーストだろうと思って半ば無意識に席を先に勧めたら、成井さんは2つ並びで予約した俺の1つ先の席、俺の右側に座ることになってしまったのだ。
俺の右側に座る成井さんが見せる顔は左側。映画が始まる前はまだ良くて、成井さんはこちらに顔を向けてポップコーンを摘みながら話をしていた。映画館は上映前でも少し薄暗くて、左眉は明るいスクリーンの反対側で影になる。でも上映開始を告げるブザーが鳴って館内が薄く陰り、スクリーンを向いた成井さんの顔には眉毛が……ない。
予告編が終わって『恐怖の毒々フライングキラー・ママ』が始まった。映画の中身は正直まあ、こういうタイトルにありがちな駄作だと思う。呪われた母親が空を飛びながら隣近所の家族を惨殺する話だ。そんなものより俺は別の恐怖に慄いていた。
暗い映画館のスクリーンから投射される光がチカチカと隣の成井さんの表皮を照らす。額と鼻の高いところ、見えない眉の起点とスクリーンを見つめる瞳とその下の膨らんだ頬、唇の先とそれに繋がる顎のラインが明るく光に照らされ、その他の部分は影に沈んでいて、普段より凹凸を感じる。
その影には濃淡があるけど、成井さんの表情が全く変わらない。場面によって小さく唇が開いたり目が瞬くことはあっても、眉毛がないせいか全く表情が変わらなかった。石像のように無表情に凍り付いた成井さんの表面で、目と口だけがたまに動いている。とても奇妙でこの世のものとは思えなくて、だんだんロボットのように思えてくる。
いつもはもう半分の右側だけ見ている分余計に、違和感が酷いのだ。少し心拍数が上がっている気がする。ドキドキしている。なんだろう、この気持ち。
怖い。ぞわぞわする。怖くて目が話せない。
俺はホラー映画を見るのと同じ視線で成井さんを見ていることに気が付いた。日常のすぐとなりにある非日常。少しの違和感。違和感に対する恐怖。成井さんは完成されたホラーだ。そしてその理由がわからない所こそ、まさにホラーだった。
映画が終わった後、カフェでお茶をした。
「村沢主任、今日はありがとうございました。とても面白かったです」
「うん、面白かったならよかった。ええと」
あの映画、面白かったか? うーん。
でも正直半分は成井さんを見ていた気はするから、俺が見逃した部分が面白かったのかもしれない。でもこれどうやって会話を展開すればいいんだ? わからない。すでに会話が噛み合わない気がする。そうだ、映画じゃなくて一般的なことなら。
「成井さんは休みの日は映画とか見に行くの?」
「ああ、私は家派で。映画館に来たのも随分久しぶりなんです」
「そう……そういえばニャトフリで見てるんだっけ」
「そうなんです。ホラー以外でもいろいろ見てて」
正直何を話したのかよく覚えていない。俺は手元のコーヒーと成井さんの顔に視線をいったりきたりさせて精神力を試していた。成井さんの顔は異界だ。異界の門だ。顔の右側の眉毛はとても良く動いた。多分連動して左眉も同じように動いているのだと思う。それを想像する。そうだとすると結構表情が豊かな人だとは思うんだ。でも完全には想像できなくて。それほどまでに存在しない左眉の存在感は激しくて。その左眉がない部分で何かすべてが異界な感じ。暗黒面に落ちている感じがする。
でも多分ここに違和感を持つのは俺だけなのだ。何故俺は成井さんの左眉が見えないんだろう。
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