第10話 成井さんと謎の修行の成果

 翌日から1週間、成井さんは会社を休んだ。会社には体調が悪いと連絡があったらしい。霊魂が弱るというのは体調が悪いということなんだろうか。よくわからない。本当に体調が悪いのかもしれないし。

「主任〜どんだけ〜」

「なんもないから、まじで、黙れ」

 堀渕は相変わらず俺と成井さんのことを邪推してニヤニヤしてる。勘弁してほしい、本当に。

 でも成井さんがいなくなって、平穏が訪れていた。モニタの影を恐れなくていい。ふとした休憩時間を恐れなくていい。何か快適だった。でも、その快適さを少し物足りなく感じた。日常のときめきの欠如。ときめいていたというか慄いていたというかよくわからないけど、でも生活から少し緊張感がなくなったのも確かだ。緊張したいのかと言われるとそうでもない。平穏に仕事がしたい。

 そして鮎川さんは姿を見せなかった。何を食わせていたのか問い詰めたかったのに。


 俺は成井さんがいない間、成井さんのことを色々考えた。

 俺は成井さんの『見えない左眉』が気になっていた。それはどちらかというと日常をじわじわと侵食していく違和感で、得体のしれなさで、結果としてそれが恐怖的感覚をもたらした。よくわからないから怖い、というやつだ。

 でも仮面をつけた成井さんは、なんていうか奇麗で少しドキッとした。

 でも多分これは吊り橋効果というやつだ。ホラー映画に奇麗なお姉さんが出てくるのは恐怖のドキドキと同時に性的興奮を高めて混同しているんだと読んだ気がする。

 俺はその、セーテキコーフンを成井さんに覚えている?

 ないわ。やっぱ恐怖だ。恐怖一本だ。だって成井さんは混同するまでもなく恐怖を招く違和感そのものなんだもの。

 多分性的興奮というのはジェィソンに湧くんじゃなくてジェィソンのいないところでエロい格好をするお姉さんに湧くものだろうから。そうすると成井さんが仮に右側でエロい格好をしても左側で斧を振り上げている限り、そういう対象にはならないな。

 うん、そもそも興奮してない。恐怖でヒュッとなる。でもその恐怖がなくなれば、俺は成井さんが好きなんだろうか。


 いや、やっぱりないな。

 成井さんはいい人だ。でも、多分成井さんの『見えない左眉』が見えてしまうと、それはそれで成井さんに興味を失う予感がする。

 なんていうか、左眉がないところに中途半端な気持ち悪さ、得体のしれなさを感じていたのであって、それ以外の部分に興味をもっているわけではない。

 うん、なんていうか、俺は成井さんの欠けた部分にしか惹きつけられていないのかもしれない。その『左眉だけ見えない』っていう中途半端さ加減が妙に気になって、もやもやしていた、だけ。そして得体のしれなさから恐怖を感じていた、だけ。

 人を好きになるって、どこか強烈に惹かれるところがないといけないと思うんだ。好きっていうのは多分そういうことで、俺は成井さんはいい人だと思うけど、成井さんじゃないと駄目っていう部分はない。結局の所、『左眉だけ』っていうのが中途半端で気持ち悪くて、それがなければ特に気になるところもなくなる。

 自問自答。

 俺、成井さんが普通になって戻ってきたら、どう対応したらいいんだろう。興味が薄れる。もともとはさして興味はないんだから。そうすると無意識に冷たくなる、かもしれない。それはなにか、申し訳ない。

 だって基本的には俺の事情らしいから。

 一番悪いのは鮎川さんだと思うけど。


 そして1週間後に成井さんは変貌を遂げて帰ってきた。

 久しぶりに会った成井さんは……。


 左半分が欠けていた。


 どうしてこうなった!!!?

 俺は心のなかでそう叫び声を上げた。

 正確に言えば顔の正中線にそって右側は普通に存在しているけど、左側は何もなかった。透明だった。左腕も左足も。眉毛どころじゃなく。

 ええと!? これどうなってるの!?

 横から見ても断面図が見えるわけではなく、なにかもやもやした煙のようなものが覆っていた。これ、霊魂? 霊魂もれてるの?

 何がどうなったのかさっぱりわからない。俺はどう反応していいかわからず、口を開いてぽかんとしていた。

「あの、主任、どうでしょうか」

「……なんて言っていのかわからない」

「しゅーにーん、そのまま告っちゃえ」

 そしてハッとした。ここは会社だった。周りの視線がこれ以上無く生ぬるい。堀渕は口に石でも詰めておけばいいと思う。でも、どうすればこれ。

「ごめん、ちょっと冷静になれない。少し時間が欲しい」

「主任、へーたーれー」

「黙れ堀渕」

 モニタの半分から見えた成井さんはまるきりホラーだった。もやもやどころではない。くっきりはっきり明確にホラー。

 少し覗き込めば成井さんの右半分、何もない空間、モニタ。空間が断絶している。日常がすでに欠片もない。やばい、なんだこれ、なんだ、違和感っていうか、これもう違和感じゃない。違感だ。全然和してない。スターゲートが開いている。転位に失敗したのか。やばい、全然中途半端じゃなくてもやもやしない。ここまでぶっとんでると異界しかない。やばすぎて笑えてくる。なんだこれ、一周回って超面白い。これあれだ、笑えるホラーっていう奴。俺の好きなサム・ライニとかそういう。


 その翌日、成井さんは上半分がなかった。

 ちょっとまって、これ、どういう状況? 服は見える。ブラウスシャツにジャケット。でも首と両手がない。でも膝丈のスカートから両足は見えていた。なんだこれ、面白すぎる。腹どうなってるの? 脱がせたい。性的じゃない意味で。

 その翌日、今度はしましまだった。

 しましまって何。ええと、説明が、プクク、難しい。だるま落としわかるかな。だるまさんが6段くらいに輪切りになっててハンマーでスコンスコンと下から落としてくやつ。あれが一段飛ばしで透明になっている感じ。

 成井さんは頭の天辺から5センチくらいずつ姿が見えるところと見えないところが交互になっていた。額は透明で目の部分は体があって、鼻部分は透明で口部分は体があって。異界すぎる。もやもやなんて全然ない、明確に異界。

「主任、だいじょぶ?」

 堀渕が心配そうに俺を見る。成井さんもモニタの脇から心配そうに俺を見る。正確に言うと、目を含む上下5センチくらいのしましま帯状の頭部が心配そうに俺を見ている。

 俺の心臓はドキドキしっぱなしで、手には汗が握りっぱなし。動悸が激しくて倒れそう。そして実際倒れた。

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