第9話
なんとか暮らせるほどの角度に戻った蒼宮では、誰もが美洲稚を青龍陛下の妃として歓迎した。
龍最強の青龍陛下とその妃との、運命を変える恋のお話は、恋愛至上主義の女官や武将たちによって、長く熱く語り伝えられることになる。
「なんか、恥ずかしかったですね」
華燭の儀を済ませ正式に妃となった美洲稚は、式典で披露された自分たちを題材にした演劇を思い出して、夫となった天慈宝にそうこぼした。
世界の危機に立ち向かう劇中の美洲稚は、女だてらに勇敢で、敵にも屈さず堂々と美しい。
ただの恋の泉の精霊だった自分が、そんなに大層に祭り上げられてよいのだろうかと、不安が濃い。
何しろ、天慈宝といったら初対面で、恋ごときが世を救うことなどあるはずがないと言い切っていた人(龍)だ。
もしかすると、本心ではあんな劇にされて不快かもしれない。
すると、寝台で隣に座っていた
「……美洲稚、その、一度だけ正直に言おうと思う。そう何度も俺はこういうことは言えん」
「は、はい」
「初めてお前に会ったときは、恋ごとき、などと言ったし思ったものだが。
涅璃珪は恋をきっかけに正道から転がり落ちた。俺は、恋のために命を捨てようとした。恐ろしいものだな、恋とは。恋ごときと言ったあの言葉は、訂正する。恋は、恋する者を動かす凄まじい力だ。尊く、美しくだが浅ましいものだ。俺は恋のために命を捨てようとしたが、恋のために何としてでも生きて戻ろうとも思った」
「あ、天慈宝様」
「今でもやはり、恋ごときが世界を救うことはないと思う。だが恋は人を救う。俺たちの恋は、俺たちを救った」
あまりの真っ直ぐな言葉に、美洲稚は思わず天慈宝の胸元に顔を突っ込んだ。
抱きついた形になったと思ったが、仕方ない。今、ここが一番、美洲稚の安心できる場所だ。
そのはずだ。
けれど、軽々と夫の膝に抱き上げられた美洲稚は、何の防御もできないまま、下から見つめられることになった。
濃青の目に、淡い紅を落とした白い目が、重なる。
「あの瞬間。美洲稚の心が俺への恋に染まった瞬間こそ、俺の生涯で目にする最も美しい光景だろう。ずっと、出来うる限り長く、共にいて欲しい、美洲稚。俺の、恋の精霊」
「天慈宝様、わ、私も、お慕いしています。きっと、あの旅の頃から」
「そうか」
天慈宝が、珍しく相好を崩して微笑むから、美洲稚はすっかりのぼせてしまった。美しすぎる夫も困りものだ。
にわかに懐かしいあの恋の泉に帰りたくなった。
離れたくはないのに、逃げたくなる。矛盾するおかしな衝動に駆られる、これが恋だと知った今ならば、恋の願い事をしにくる娘たちにももう少し優しくできるかもしれない。そう思ったが、すでにあの泉は別の精霊が任されている。
もう美洲稚は、恋の泉の精霊ではない。
「美洲稚、俺の膝の上で考え事とはやはり肝が据わってるな」
「こ、これはその、もういっぱいいっぱいで、現実逃避というか…」
わたわたしても、騒いでも、注がれる眼差しは青く優しく。
そして、容赦がない。
「いっぱいいっぱいになるには早過ぎる」
ぐいと大きな両手で頭を固定されて、ついに
「天慈宝さ……」
あいしてる。
続くはずだった言葉は、口づけに溶けた。
青龍陛下の恋の精霊 ちぐ・日室千種 @ChiguHimu
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