第2話

 案の定、連れてこられた美洲稚をちらと見て、青龍はくゎっと大口を開けて欠伸をしてから、わざとらしい息をついた。


 それはもう、恐ろしいほどに美しい男だ。

 美洲稚はちんまりと玉座の前で控えながら、ちらちらとその顔を観察した。なにしろ、よってたかって今風の宮廷衣装を着せ付けられ、髪も複雑な形に結い上げられた。その額には重たい金の飾りが垂れていて、いい感じに美洲稚の視線を隠してくれるのだ。


 流れ落ちる滝水のように真っ直ぐな青銀の髪、蒼穹の向こうに横たわる夜のような濃青の目。一見優しげな優美な眉は、欠伸をしたとき以外はずっと鋭角を描いているが、睫も頬も鼻筋も唇も、どこも完璧すぎて、作り物めいている。

 けれど彼が背に追う彼の霊力は、天から落ちる瀑布の飛沫のごとき銀白に輝き、生き生きと燃え盛っているのだ。


 冷にして烈。これがそうか、と美洲稚は納得した。


「恋ごときで、世を救えるはずがない」


 声すら、美しい。慈雨を浴びるような心地よさだ。

 美洲稚はひっそりと、聞き入った。


「俺は何度もそう言ったぞ。一体お前たちの思考はどうなってる? 恋愛至上主義が高じて頭の中身が溶けて崩れたか? 土地付きの精霊を無理矢理連れてくるなど、野蛮極まりない。何を考えてる? 何も考えてないのだろう。今すぐに、戻してこい」


「陛下、われらとて色惚けした陛下を一度は見てみたいというだけでこんなことをしているわけではありません。事実、陛下はあの桃色の源に近寄ることはできていない」


「おい、今、しれっと無礼なことを言ったな」


「陛下が近づけなければ、他のどなたも近づけませんし、近づけたとしてもあれほどの力の噴出を抑える力が足りないと、先日中央での会議でそう結論付けられたと伺っております。陛下が、あのおかしな力に近づけなくては、この世は救われないのです。そこへ、かの霊亀様の予言ですよ。やれることはすべてやらなければ」


 この武将殿は、意外と陛下とは近しいのかもしれない。

 遠慮や躊躇なく、ずけずけと意見を言っている。それにつれて、青龍の眉間の縦皺がぐぐっと深くなる。

 怒っている。


 ここは天下の青龍陛下のやや私的な謁見の間だそうだ。蒼宮の最上階にある。

 輿ごと転移して連れて来られてそう教えられ、もはや気絶することもできず人形のように言いなりになっていた美洲稚は、主従の言い合いを片耳に入れながら、青龍に同情していた。


 そうですよね~。


 恋とは、しごく私的なものだ。人それぞれ、感じ方も考え方も違うだろう。

 一般に恋は激情であり、尊いものであり、人を変化させる力を持つ。だが己の恋とこの世の危機を勝手に結びつけられては、戸惑うのも当然だ。


 でも、美洲稚は知っている。

 誰でも、恋をすると帯びる霊力の色が変わるのだ。相手の霊力の色を乗せて。

 青龍の美しい銀白の霊力に赤味を足せば、まあ、桃色になる可能性はあるだろう。


 今この睡花の世を脅かしている脅威は、正体不明の桃色の霊力だそうだ。地から染み出すように噴き出して、あたりの生き物を魅了してしまう。

 そして同時に、誰の霊力も弾いてしまうのだという。

 でももし、同じ桃色の霊力なら。弾く力も弱くなるかもしれない。そんなことあるのか誰も知らないから、あるかもしれない。


 冷にして烈と言われる青龍は、実際に見る限り、怒ってはいるが冷たくは感じない。ここまで拗れて、素直に恋をするという展開もあり得ない気がするが。

 けれど万が一、青龍が赤い霊力を持つ誰かと恋をしたら、その霊力は銀白に赤みを加えた桃色になって、脅威の霊力に弾かれずに近づいて、押さえ込めるかもしれない。


 霊力の色で相性を見る。これが、恋の泉に相応しいと判じられることになった美洲稚の特別な力だ。

 だがしかし、相手は正体不明の、人でも精霊でもない謎の霊力。

 これは恋でも相性占いでもないのだと、美洲稚は我に返った。


「予言と言いながら、口にするのは妄言ばかりだ、あの亀は」


 青龍はもう一度、はああ、と大きな息をどっと吐き出して、立ち上がった。びっしりと刺繍で埋め尽くされた青い絹の衣装が揺れる。


「おい、美洲稚とやら。面倒だ、お前が相手でいい。俺が嫌がれば嫌がるほど粘着質に絡んでくるのがあの亀だ。せいぜい、予言の実現に努力していると示しておこう」


「……は?」


 なんだか聞いていた話と違う。

 美洲稚はおろおろとここまで自分を連れてきた男を見たが、穏やかな微笑みを残して、男は腰を屈めたままするすると後ろへ下がっていった。

 入れ変わるように美洲稚の前に立ったのは、青龍だ。

 大きい。

 幾重にも重ねた衣のせいもあって、存在感が圧倒的だ。


「許す、立て」


 そう言われても、両足跪いた状態からどう立っていいものか。立てる気がしない。

 そんなことを考えている間に、両腕を掴まれ軽々と引き起こされた。


 なんだろう、先ほどまでのぶうぶうと文句を言う様子も、こうと決めたら譲らない図々しさも、どことなく先代の泉の精霊を思い出させる。先代は、白髭の小さなおじいさんの姿の精霊だ。

 龍は寿命が果てしないので、若いも年寄りも見た目では区別が付かないと聞く。

 憤懣やるかたなしといった様子から一転、いいことを思いついたから絶対やってやるとばかりの顔をしたこの青龍陛下も、龍の一族に始めの時期に産まれた男児で、齢はかるく千を越しているはず。


 万年雪の氷を掘り出したような冷たい美貌と、膂力溢れる体つきは若々しいが、龍としてはかなりのじ……。


「おい、お前俺の前で考え事とは、意外と肝が据わってるな。お前の霊力はあまり押しつけがましくない。傍にいることを許す。できる限り恋人として扱うので、適宜応じよ」


「……はあぁ?」


「だが、別の方法も探しつつだ。恋が世界を救うだと? 笑わせる。そんな妄想に頼って共倒れなどしてたまるか」

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