第4話

 過酷な旅も、終わってみれば懐かしい。

 蒼宮に戻ってからの美洲稚は、ぼんやりと時間を持て余し気味だった。


 あれほど片時も離れたことのなかった青龍と会えなくなった。

 蒼宮の奥宮に快適な部屋を与えられ、風偉をはじめ、少し馴染んで仲良くなった女官たちも専属として付けてもらっている。


 優秀な精霊が揃う蒼宮では、美洲稚のできることなど限られていて、手伝うことすらほとんどない。美洲稚の一日は、ぼんやりすることと、合間に泉の水の浄化を祈ることだけだ。

 なんとなく、ぽっかりと空いた胸の空隙を誤魔化すように、美洲稚は祈った。


 恋人として扱う、という話はなくなったのだろうか。

 だとしたら、もう少しすれば泉に帰ってもいいのだろうか。


 悩んでいると、ようやく青龍が美洲稚の部屋を訪れた。

 いつも規律正しく静謐な蒼宮が、朝から奇妙にざわついている日だった。



 




 久しぶりの顔合わせ。だが、青龍は銀白の目映い霊力を揺らめかせて、目を合わせてくれない。

 美洲稚の胸に、急激な暗雲が広がる。

 いつもは隣に腰掛けるよう促す青龍は、この日ばかりは何も言わない。


 だから、美洲稚は礼に則って、十歩離れた部屋の隅まで下がって、両膝をついて頭を垂れた。


「美洲稚、長く役目を押しつけて悪かった。今日この時で、側に縛り付けるのもやめよう。――ただ、その前に果たして欲しい役割がある」


 冷にして烈。一度懐に入れた者にでも、容赦はない。

 その声は、いつも通りに美しかったが、氷雨のように冷たかった。


「美洲稚よ、俺に隠し立てしていたことがあるな。霊力に色を見て相性をはかる目を持つそなたは、それを正しく申告しなかった」


「そ、それは」


「言い訳はよい。……ここ蒼宮に、睡花の世全土から、密かに高い霊力を持つ女人を集めさせた。その中から、赤の霊力を持つ者を選んでもらおう。俺の霊力と混じれば、あの甘ったるい桃色になりそうな霊力を持つ女人を、美洲稚、お前が選べ」


 酷なことを、と悲鳴のような抗議をしたのは、美洲稚ではない。

 風偉が、鎧を鳴らして美洲稚の隣に跪き、厳しい声を出した。


「あれほどに寵愛を示していた美洲稚殿を急に切り捨てて、女人の中から美洲稚殿に選ばせるとは、ちと非道過ぎはいたしませぬか」


「寵愛のふりだ。そうだっただろう? 男女としては指一本触れてはおらんし、美洲稚、恋をすると、相手の色を帯びるとそなたは言っていたが。俺の霊力の色は?」


「どうして知って……心を読めるのですか?」


「謁見の間限定のことだ。今は読めぬ。それで? 俺の、霊力の色に変わりはあるか?」


「いいえ、目映い銀白のそのままです」


 風偉が息を呑み、女官たちがああ、と密かな声を漏らした。

 美洲稚には、その理由がよくわからない。


「では美洲稚、お前の霊力の色は?」


「私ですか?」


 実を言えば、美洲稚にとっては自分の霊力は自分の色という意識だった。

 たとえば体を覆う透白の長い髪の色。

 あるいは泉の中で、身に纏う白金の輝きがそうだと思い込んでいた。

 常日頃意識していなければ、自分の霊力は肌や産毛のように、見ていても認識していないのだから。


 だから、美洲稚は問われて初めて、そっと自分に視線を走らせて。

 それから、ぎこちなく応えた。


「あの、自分の霊力の色は、見えないみたいです」


「……そうか、白という訳ではないのか。では霊力の色ではなく、お前自身に聞こう。俺に、恋をしたか?」


 その問いは、恋が世界を救うという予言を嗤っていた初めの青龍とは、別人かと思うほどに真摯な問いだった。


 美洲稚は胸に手を当てた。

 とくとくと、落ち着いた心の音。目の前の至高のお方に、恐れ多くも親しみはあっても、恋い焦がれる想いはない。

 ない。


「……いいえ、陛下。恋はしていません」


 青龍は返答をせず。けれど、陛下呼びを改めよと言うこともなかった。

 美洲稚の心は、とくとくと、とくとくと鳴っているだけだ。悲しいわけでもない。

 けれどどうして、自分のすべてが失われるような、こんな喪失を味わうのか。

 旅の間、ずっとそばにいて、ずっと楽しかった。心から楽しかった。それだけのはずなのに。

 答えは出ない。


 青龍は背を向けて、立ち去った。

 風偉も女官たちも、いつもよりも遠巻きな気がする。


 心に風が吹く。

 寒くてつらい、とも、もう言い出せない。

 美洲稚にできるのは、ただ、恋の精霊としてせめて役に立つべく、赤い霊力を見定めるだけだ。

 それはきっと、青龍陛下の伴侶に相応しい、美しい牡丹のような色だろう。

 大した力もない美洲稚でも見極められる。間違えるはずがない。


 初めて意識してみた自分の霊力が、新月の夜のような深い闇の色をしていたことを思い出して、美洲稚はぎゅっと両手を握りしめた。

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