エピローグ

 御津門学園での騒動から数日後、その日 俺はいつものようにカダスで管を巻いていた。


「意識を失っていた生徒たち、全員目が覚めたらしいぞ。さっき網野さんから連絡があった」


「おぅ、そっか」


 その後、事件が表沙汰になる事はなく、霧島の一件はスクールカウンセラーの自殺ということで処理されたらしい。


「結局 霧島の目的は何だったんだろうな」


「さぁな」


 俺は目の前に置かれている一冊の黒い古書に視線を落とした。あの晩 自ら命を絶った霧島が手放したモノだ。


 魔術に関する様々な法理や術理、著者の知識を書き記した書物が長い年月の果てに魔力を集積し、一種の触媒となってしまったものを魔導書という。


 魔導書に蓄積された魔力は、記された様々な法理への順化をくり返し、よどただれた膿に近い。


 膿に触れ続ければやがて接地面が壊死するように、魔導書の魔力に触れ続けた人間は精神を侵蝕され壊れてしまう。


 もしかすると霧島の精神は既に——————。


「………」


「おい」


 顔を上げると腕組みをしながら俺を睨みつけている瀬後さんと目が合った。


 しかめっ面はいつものことだが、いつも以上に苛立っているようだった。


「なんだよ」


「あの女のことを考えるのは辞めろ。アイツが死んだのはお前の所為じゃねえ」


「………」


 あの晩 以来、俺は目の前で死んでしまった霧島のことをずっと引きずっていた。


 奴は外道で救いようのない悪だったが、それでも殺したいわけではなかった。少なくとも目の前で死なれて寝覚めが悪くなるくらいには。


「……分かってるよ、んなこたぁ」


 それでも、俺がもう少し早く手を伸ばしていればと、考えずにはいられないのだ。


「そうですよ、今回の件は神裂さんの所為じゃありません。私の落ち度ですから」


「………ん?」


 聞き覚えのある声につられ視線を真正面に向ける。


 黒い長髪、病的なまでに白い肌、膿んだように仄暗い瞳を細めながら霧島桐子が妖艶な微笑みを浮かべていた。


「ッッ‼︎」


 まず初めに動いたのは瀬後さんだった。


 身を翻しカウンターの奥へ飛び込むと、45口径ガバメントの銃口を霧島に向ける。


 俺は目の前にいる女のことが信じられず、目を見開いて呆然としてしまっていた。


「退けッ‼︎ 神裂‼︎」


 瀬後さんが銃把を握る手に力を込め、引き金に指をかける。


「待って下さい、今はお二人と争うつもりはありません。私も未だ本調子ではないので」


「……信じられるわけないだろ」


「本当ですよ。今日は私物を引き取りに来るついでに、神裂さんに会いに来ただけですから」


 これ、と言って霧島はテーブルの上に置かれていた本に手を伸ばした。


「……お前」


「ん、何ですか?」


「あの時……死んだ筈だろ、屋上から飛び降りて。近藤さんも死体を確認した筈」


「魂の取り扱いは私の専門分野ですから。当然 自分のモノも範疇です」


 事も無げに言うと霧島は俺から視線を移し店内をぐるりと見渡した。


「いい雰囲気のお店ですね」


「そうか。気が済んだならとっとと死ぬか出て行け。言っとくが、俺は神裂ほどお人好しじゃねぇぞ」


「あはっ、脅しですか?怖いですね……でも、」


 瞬間、空気が鉛を流し込んだように重く、暗く変化したように感じた。


 店内の隅にわだかまる影の奥から無数のナニカがこちらを覗き込んでいるような悪寒が走る。


そのつもり殺し合いだったら、もうとっくにやってますから」


「………」


「言ったでしょ、今日は神裂さんに会いに来ただけって。せっかくだから何か一杯お願いできます?」


 霧島が目を細めながら笑うと瀬後さんは観念したようり構えていた銃をカウンターの上に置いた。


 そして角砂糖を乗せたアブサンスプーンをグラスに掛け、その上から黄金色のリキュールを注いでいく。


「……ストレガトディ。角砂糖に火をつけて、燃え尽きたらリキュールの中にかき混ぜて飲め」


「へぇ、素敵なカクテル」


 差し出されたグラスを受け取り、ふぅ、と霧島が軽く息を吹きかけた瞬間 小さな蒼炎が昇った。


「ねぇ、神裂さん」


「何だよ」


「私と一緒に仕事をしてみる気はありませんか?」


「………は?」


「神裂さんのことは前々から知ってはいたんですけど、ここまで興味深い人だとは思ってなくて」


「………」


「今回の一件で益々 興味が湧きました」


「生憎だが相棒ならもう間に合ってるんでなぁ、他を当たってくれ」


 こんなイカれた女と仕事をするくらいなら、瀬後さんの親バカっぷりに付き合ってる方がまだマシだ。


「一緒に来てくれるならを教える、って言っても?」


 蒼炎に照らされた霧島の表情はどこか蠱惑的で、まるでその言葉に俺がどのような反応を示すのか試しているようだった。


「………カマかけるなら、師匠センセイの名前を出した方が効果的だったな。アイツ《兄貴》のことを、お前が知ってるわけねぇ」


 霧島の瞳から目を逸らし俺はテーブルに視線を戻した。置かれていた本は、いつの間にか消えている。


「ふふ、残念です。でも一緒に働きたいっていうのは本当ですから、気が変わったらいつでも言ってくださいね」


 ゆっくりと、グラスの上で揺らめく蒼炎が小さくなっていく。やがて炎が潰え、一瞬だけ辺りを暗闇が包み込んだ。


 気がつくと周囲に蠢いていた不気味な気配も、目の前に座っていた霧島の姿も消え失せていた。


「……あの野郎、お代も払わず出ていきやがって」


 俺はテーブルの上に残されたグラスを掴んで一気に傾ける。


 ツンとしたスパイスの香りに混ざり、絡みつくような甘さが喉の奥に広がっていった。


「神裂、1500円な」


「………俺が払うのかよ」


 ストレガトディ、込められた意味は『魔女の誘惑』

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神話探偵 神裂悟の事件簿 ★野 @48hoshino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ