第7話

 ぼんやりとした。私はこのときなぜだか途方もない孤独を感じた。それは轢かれる前の孤独とはまったく異なって、いよいよ深刻な感じがした。それまで私を蝕んでいた症状が医者によって明確に診断されたようだった。これほど重大なことを犯しながら、町が何事もなくあるのが腹立たしかった。


 しかし私はこの町の誰とも話をしたいとは思わなかった。いや、話はしてもいい。もし話だけなら喉の奥底からしたかった。しかし彼らはおよそそれで留まらない。私はこんな駅と宿と食堂と本屋の往復の日々でも数々の醜悪な行為に出くわした。あいつらは道端でも吐しゃや排せつをするし、そのおなじところで乱交もする。暴力もあり、それも血が滴るまで殴る。私はあいつらと親しくなり、私がそれらの行為に慣れるのを何度も想像した。そうなると私はいよいよこの町の住人になり、開放日のことも忘れるだろう。


 私は迷った。つまりこの町を出ることとこの町の住人になること、そのどちらかが良いことなのかわからなかった。迷うあいだ、車掌と『先生』の言葉が礼拝堂での祈祷のように響いた。


「貴方はここではないところに戻るんです」


「君はどこからか出て行ってここまで来たんだ」


 ノックが鳴った。幻聴かと思ったが、そうではなかった。壊れかけのドアは叩かれるごとに外れかかった取っ手のネジが押し出される。私は小さな、聞こえるか聞こえないかの声で「どうぞ」と言った。聞こえず相手が去ったなら開放日を待ち、聞こえて相手が入って来たならこの町の住人になろう、そんなことを考えて呟いた。


 むろん、私はてっきり痣の老婆や肥った老人、あるいは『先生』が訪れたと思っていた。けれども私の応答を聞き、ドアをがたがたと開けたのはその誰でもなかった。ドアはたてつけの悪さからいかにも崩壊しそうな軋音をたて、人ひとり分の入口をつくり、訪客は慎重に脚から隙間に入れる。脚は素肌を晒し、はりがあって、綺麗だった。


 訪客は、若い女性だった。


 女性は狭い入口からゆっくりと部屋に入ると、私の姿を認め、急ぎ足で寄った。そして涙ぐみながら微笑み、こう言った。


「よかった、大丈夫だったんですね」


 女性は鼻を詰まらせていた。


「ええ、はい、あの」


「わたし、すごく心配だったんです。あなたが轢かれて、あんな姿で倒れていて……わたし、正直死んでいると思っていました。……でも、ほんのわずかな望みを離さないでよかった。たぶん、奇跡ですよ。あなたが生きているの。あなただけじゃなくてわたしにとっても奇跡……」


 彼女はそこまで言うと、おもむろに私の右手や背中を見せてほしいとせがんだ。そうして私の背中や右手を見ると、こんどはそこを大事そうに触れてまた泣いた。

「ああ、痛かったでしょう。わたしも心が痛みます。でも、やっぱり死んでしまうことと天秤にかければ何でもない怪我よ、きっと。ほら、たったこれだけで済んだ……」


 女性はそう言って、私の左手を自らの頬に摺り寄せた。

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