第2話

 列車が去ると人々は喝采し、叫声をあげた。


「やっぱ来てくったいよお!」


「俺は前から来るち思ってやーよ」


「じゃあかしい! 嘘くらせ!」


「嘘やなかっせ!」


「いんにゃ、お前は嘘吐きやき」


「なげんそう言うんじゃ! ぶちくらすぞ!」


 人々の喋りは粗っぽく、音量の調整が壊れたラジオのようだった。どの声も酒に灼けて、透き通った聞こえ易いものはなく、痛みのする頭で彼らの言葉を解しようとしてもがうまくいかない。なまりも複数の地方のキメラのようだった。


「ありゃあ、意外とちっさい」


 老婆の一人がズボン越しに私の性器に触れた。私はぞっとしてその手を掴むと、老婆はにやにやと笑った。歯がすべて銀歯で、いやに眩しい。老婆の手はゴムのような感触で甲に樹形のような青い血筋がめぐっている。


『この人たちはいったい何だろう』


 私は先の車掌を思い浮かべながらそう思った。しかし彼のあの憎悪を簡単に賛同するわけにもいかず、ただ深い困惑が溜まった。集まった人々は性器を触った老婆を皮切りに次々と私の腕や胸を撫でまわした。群衆の奥の自販機はスプレーの落書きで商品が見えない。自販機の隣では中年の男が淡を吐き、また煙草を吸う。改札横のベンチのあたりではふたりの老人が取っ組み合いの喧嘩をはじめていた。


 老人たちの喧嘩は激しかった。はじめに手をあげたのは「ぶちくらす」と叫んだ肥った老人のほうで、相手の禿げ頭の老人のシャツを思い切りひっぱり、ベンチに向かって投げた。投げられた禿げ頭の老人はベンチの手すりに頭をぶつけ、さらにその上に股がられ、馬乗りで頬を何度もぶたれた。ふたりのあいだには明らかな体格差があり、私は禿げ頭のほうが死ぬのではないかとさえ思った。


 ほかの人らは喧嘩に気にせず、まだ喋り合っている。


「兄さん、歳ばいくつかえ」


「いや婆さん、こいはきっと二十歳よ」


「んにゃあ、若いっちゃ」


「うちで一等若いかもしれん」


「『先生』より若いかいね」


「そこはわからんち」


 彼らは陽気に言い合った。しかしその背後からまだ骨と骨とがぶつかる生々しい音がする。音は次第に緩慢になり、けれども静まらず一定のペースで更新されていた。


「あの、うしろの喧嘩は……」


 と私は言った。


「あら、兄さんも混じるかえ?」


「いやそうじゃなくて、止めないと」


「あら、優しかねえ。でもよお、大丈夫よお」


「んだんだ。どうせやめるんだから」


 痣の老婆がそう返すと音はやんだ。私が人々をかきわけベンチに向かうと、さっきの二人はもうそこに座って仲睦まじくしていた。禿げ頭のほうが肥ったほうの肩に腕を回している。ベンチの手すりにはまだ一方的な殴打のあとの血がべっとりとしているが、禿げ頭はその手すりの血を手でぬぐい、これ見よがしに舐めてみたりした。それを見て肥った老人はまた笑った。


「なあ、兄さんにはよお町見せようや」


 痣の老婆が皆に呼びかけた。周りから賛同のような、それともただの叫びのような相槌が起こった。


「兄さん、とりあえず町をぐるっとまわってよお、あと飯も食わんと、そうしたら『先生』にも会いにいこーや」


「先生! 先生! 先生!」


 老人たちは狂気じみた声でこぶしを掲げた。

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