(5)

 綱矢の第一印象は決して良いものではなかった。

 ハイトーンカラーにウルフカット。両耳にピアス。カラコンと到底大学生には見えない容貌。おんな遊びに余念がなく、好みのおんなであれば際限なく口説いてホテルに連れて行っているんだろうなあと容易に想像が付いた。

 当時の私は付き合い立ての彼氏がいたから興味なかったというか近付かないでいてくれたらいいくらいに思っていた。喫煙者だったのもあった。わたしは煙もだが匂いも嫌いだったから喫煙者と交際したことは一度もない。隠れて喫っていた人はいたかもしれないけど、少なくともわたしの前で堂々とニコチンを摂取する非常識な人はいなかった。

 綱矢は常識が通用しない。何にも縛られない自由人な気質があった。天衣無縫な人だった。兎に角自分が楽しいと思えることはしないと気が済まない。失敗しようが実行に移すのが大事なんだと綱矢は言っていた。

 わたしには理解出来なかった。

 友人に人数合わせで誘われた合コンで綱矢は中心にいた。盛り上げ役は場の中央にいることはないけど、彼はちがった。自分が楽しいからする。自分が楽しくないと来てくれた人も楽しくならないと頻りに言っていた。

 そのマインドは大切にするべきものかもしれないとわたしは思ったけれど、相容れない。バカ騒ぎしたいのであれば余所でやって欲しい。少なくともわたしはそう考えていた。楽しくなさそうに隅っこで暗い顔をしていたわたしは綱矢のターゲットにされるのは仕方ないことと言えば仕方ないことだった。わたしがいる場所ではなかったから、存在感を無くそうと考えていた。しかし綱矢は見逃さなかった。見逃してくれなかった。

 恋人がいようがいまいが彼の国では楽しくない顔は処刑に価するほどに罪深い。

 エンターテイナーではない。オンライン動画共有プラットホームで燥いでいる人たちを彼らがしていることは自己満足のお遊戯会と揶揄していた。一家言あるというよりかは嫌悪しているように感じた。

 意外だった。綱矢の生きかたとして彼らの生き様は尊敬する対象と先入観で思っていたから彼の口から腐す発言が出ると想像していなかった。

 だからって彼の見方は変わらない。わたしの友人と付き合い出したからわけではないとも言い切れない。寝取られたことも寝取ったこともある身としては手を出すのは良くないのは経験済み。

 とは言え、付き合いたいとこの時のわたしは思っていない。


 彼との付き合いは順調とは言えなかった。

 わたしだけ順風満帆に交際していると勝手に思い込んでいた。

 そんなことはなかった。何に不満を感じたのかわたしは解らなかった。

 あれだけ燃え上がったのに気が付けば冷え冷えになっていた。セックスも淡白になり、全然気持ち良くない。デートしていても上の空のことが増えた。興味を失ってしまったんだなとその時になって漸く気が付いた。

 わたしだけが盛り上がっていた。彼は好きでもなんでもなかった。押しに押されたからなし崩し的に付き合っただけで、本命はいた。

 デート中であろうと関係ない。

 付き合いたい人がいるんでしょと彼に尋ねた。すると彼は慌てふためいた。悪いことではないのに慌てるのが不思議でならなかった。良くも悪くも噓が吐けない。誠実な人。でも噓を吐けるようにならないと。

 好きだったけど彼を解放してあげることにした。この言いかただと上から目線だと言われるかもしれないけど、そのとおりの感情なのだから仕方ない。無理して付き合う必要はないのだから。結婚だってそう。婚約しても破棄をする決断をしても文句は出ない。

 だって仕様がないでしょう?

 相手への気持ちが失くなってしまったんだから。


 どうしてこうもわたしは飽きられてしまうのだろう。

 付き合うまでは簡単に事が運ぶのに。その先が難しい。破局したあとも何人かと付き合った。どれも長続きはしなかった。つまらないおんなだからすぐに別のおんなの元へ転がり込んでしまうのと悩んだ。

 何人目かは忘れてしまったけど、子犬みたいにわしゃわしゃしたくなるくらいに可愛い顔立ちの子と付き合っていた時に「三日湖ちゃんと付き合ってると周りの目線が気になって気になって疲れるんだよね」と。

 何だそれと思った。

 そんなの無視すればいい話じゃないと返した。

 そうじゃないと切り出し。

「三日湖ちゃんは気付いてないと思うけど、僕みたいなおとこは君の隣は相応しくないから、自分でも付き合えると思わせてしまっているんだよ。だから次から次へと三日湖ちゃんにアプローチするおとこがスライムみたくポップアップするんだよ」

 わたしはその人が好きだから素直に好意を言葉と態度にしているだけ。興味のない相手に愛想を振り撒く必要性がない。するだけ無駄と考えている。自分の指針にただ従順なだけなのにそこまで言われないと行けないのか。

 そんな時だった。

 毒島綱矢に再会したのは。


 バーでしっぽりと飲もうと誘われた。軽薄な態度に呆れたけど承諾したわたしも悪い。この人は友人の彼氏だ。いくら道端で会い、軽口に乗るのは良くないと解っていながらもホイホイついて行ってしまう。

 こういうところなんだろうな。

 尻軽な部分があるのは承知している。向こうがわたしを求めてくるんだもん。

 わたしも十分に軽薄か。

 セフレは知らない間に相手を作って何処かに消えた。かれこれ一ヶ月誰とも寝ていない。それまでの人生でこれだけ寝る相手に困ったのははじめてだった。

 いい加減次に行けと誰かに言われているのかもしれないし、落ち着けよと言われているのかもしれない。

 それこそわたしの勝手でしょう。

 綱矢は開口一番に別れたと切り出した。

 わたしは呆気に取られて二の句が継げなかった。

 彼は一切言い訳をしなかった。自分を責めたあとにわたしに謝った、何故か。

 友人を傷付けてしまったことを反省していると綱矢は告白した。わたしに彼を叱り付ける権利はない。双方が納得の形で別々の道を歩むと決めたのであれば外野のわたしが首を突っ込む話ではない。

 恋愛は個人と個人がするもので誰かのためにするものではないとわたしは考えている。親や親戚には早く結婚して孫を見せて欲しいとかお家のために子どもをと切望される場合もあるが、生憎わたしの家は突かれるような話はないので自由気儘に生きられるのは恵まれていると言えるかもしれない。

 アルコールが回り出した綱矢は過去の恋愛を語り出した。

「ひと目惚れしやすくて、いいなあってアンテナが立ったらすぐに口説いちゃうんだよ。まあ大体は付き合えるんだけど」

「俺はモテると自慢したいわけ?」そんなことを言った記憶がある。

「実際にモテるよ。おんなに苦労はしない。でもすぐに冷める」頬を紅潮させた綱矢。「可愛くても性格が良くても俺は関係ない。いちばん上まで辿り着いたその瞬間から只管に急降下していく。急激に熱せられた鉄が急激に冷めていくのとおなじ」

「その人は貴方に相応しくないということなんじゃない。一時的に好きになった相手に好意を抱き続けるのは不可能だと思うけど。地球の環境を良くしようと頑張るけど、人間の努力は意味がないのと一緒」

「言っている意味が判らないけど、そういうものなの?」距離の詰めかたは上手い。気付けば懐に入って来るのは綱矢の特技と言える。それに錯覚してしまうおんなが多く、親やすさを覚えると人は心の壁を緩める。そこから恋愛に繋がることが多い。心を開くのは容易ではない。相手に信頼を寄せはじめて成立する方程式のようなものだから、余程の出来事が起きらないと感情は次のステージに進まない。

「大半の人はそう」わたしは言った。

「飾磨さんは?」

「わたし? わたしは付き合うというより遊びたい盛りだからなあ」そう言った記憶がある。誤魔化したようなものだった。一丁前に講釈を垂れておきながら核心を突かれるとわたしははぐらかす。あの時に言ったことは誤魔化しであれど本当にそう思っていたからなまじ噓と断定するのは難しい。

 わたしもわたしで愛を知らない。

 ネギくんにアドバイス出来るような人間ではない。

 その日から綱矢に誘われるようになった。食事に行ったり、飲んだりするだけの仲だった。友人の元カレの肩書きが邪魔をしたのだと思う。誰でもいいと言っておきながら、きちんと吟味している辺り、誰でも良くはない。

 誰でもいいはただの自己防衛。

 友人に綱矢と会っていることを報告すると素っ気ない返事が返って来るだけだった。拍子抜けしたわけではないけど、意外に思った。彼女も彼女で思うところがあったのだろう。

 思いがけない言葉が友人から飛び出した。

「ぶーはどう言ってたか判らないけど、別れたの私が原因なんだ」

「どういうこと? 彼は自分の気持ちが切れたからと言ってたけど」

「優しいなあ。最後までぶーは私を庇ってくれるんだ」

「もしかして、浮気したの?」わたしは尋ねた。ニュアンス的にそう思った。けれどちがった。

「妊娠してるの」彼女は言った。

「誰の?」質問されることを前提に言ったのだろうから当然わたしは訊いた。

「不倫相手の」彼女がぎこちない笑顔で言う。「ぶーと付き合うから不倫している人がいたの。向こうは既婚者で、避妊はしたつもりだったんだけど、結果はこのとおりで」

「相手は知ってるの?」

「知ってる。離婚すると言い出して。慰謝料請求されるの私なんだよ。あまりに無神経な人だったから、別れたの。ぶーにも話したの」

「彼はなんと?」

「結婚しようって」代わりに責任を負おうとしたのか。彼女は拒否した。綱矢に追わせるわけには行かない。付き合っていたとは言え、不貞を働いていたのだから、正面から向き合うことは難しかった。

 それが破局の原因だった。

 彼もまた誤魔化したのだろうか。それとも真実を話していたのか判らなくなった。

「別れたを選んだのね」わたしは言った。

「別れるのが無難な選択だったし、何より大学生の彼に自分の子どもでもない子を育てさせるのはどうかなと思って」

「人によるとしか言いようがないかな」わたしは言う。「結婚しようと言ってくれる人を逃すと後々痛いことになりそうじゃない?」

「それはその時になってみないと判らない」彼女はそう言った。

 友人は結婚せずひとりで出産することを決めた。地元に戻り、おんなの子を出産した。それから三年後に彼女は学生時代に仲良かった人と結婚をした。その人との間にふたりの子どもを儲けた。

 結果を見れば彼女は自分なりの幸せを摑み取った。


 平素であれば距離が縮まればすぐに寝ていたわたしが綱矢と付き合うまで体を重ねることはしなかった。性欲の赴くままに突き進んでいたわたしが体を許すのに時間が掛かった。何処かで彼が最後の相手と思っていた。

 綱矢と付き合いはじめたのは大学卒業と就職が決まってから。

 わたしが彼に条件を出した。条件を提示することで綱矢がわたしに対して本気かどうか試したかった。二歳しかちがわないと雖も社会人と学生だ。周りがどう思おうが勝手だが、わたし自身が付き合うのであればきちんとしたいと心の何処かで考えていたのだと思う。遊びで付き合うつもりが無かったのもある。

 彼こそがわたしの最後のおとこだと根拠もなく思っていたのだから。

 今となっては情けない話になってしまったけれど。

 綱矢と過ごした五年は楽しかった。色々なところに旅行に行った。

 沢山の思い出を作った。三年目に同棲をスタートさせた。兎に角楽しい日々だった。あれだけ遊んでいたわたしをひとりの男性が変えてくれた。

 結婚するつもりでいた。

 綱矢と結婚する話もしていたくらいだ。けど結婚したいと願っていたのはわたしだけだった。

 四年目にはお互いの家族を紹介までしたのに。

 たったひとりのおんなの横槍によって関係性は崩れようとしている。

 浮気が真実か定かではないけど、白黒はっきりさせる必要がある。

 それ次第ではわたしは決断しなければならない。

 

 

 

 

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