第1話 これは浮気とは呼ばない(1)

 おなじ料理を食べ続けると厭きが来るように、おとこは平然と浮気をする。

 五年付き合っている彼氏に甲斐甲斐しくも浮気をされた。

 前兆はなかった。デートは仕事終わりに、夜景が見えるレストランで食事、週末はお互いの家でお泊まり。半同棲しているから当然と言えば当然かもしれない。浮気をする時間も隙間も余白もないと信じて疑わなかった。それが良くなかったのだろうか。いや、そのはずはないと思いたい。

 それなりに自由にさせていた。お互い、仕事が忙しいのもあり、合間を縫って会う時間を作出した。先刻言ったとおり、週末は家を行き来している。不満はなかったはずだ。

 わたしはなかった。

 こうして浮気されている現状を鑑みると、綱矢は不満があったようだ。

 浮気が発覚したのは相手のSNSにに綱矢とのツーショット写真をあげているのを友人が教えてくれた。

 すぐさまわたしも当該浮気相手のSNSを見に行った。

 仲睦まじく寄り添った、満面の笑みを湛えた浴衣姿のふたりが写真に収められていた。週末を利用して旅館に行っていた。写真の背景には海が見え、夜空に花火が打ち上げられていた。

 投稿日時を確認する。時間差投稿していることを考慮して、一週間から二週間以内に開催されていた花火大会がないか検索した。

 北陸のほうでその期間に花火大会が催されていた。周辺に部屋から花火が見える旅館がないか調べると二箇所絞り込めた。

 一箇所目は由緒ある旅館で、テレビでも紹介されたことがあるようだ。

 二箇所目は最近、注目を浴び、若者を中心に人気を博している。  

 写真から得られる情報が少ないので、ふたつの旅館の口コミからひとつに絞り込むことにする。

 どちらも似たり寄ったりのコメントしかなかった。サクラを疑いたくなるようなコメントも散見された。写真をズームアップして、手掛かりになりそうなものを矯めつ眇めつするも有力なものは見当たらない。

 投稿を教えてくれた友人に尋ねてみたが、知らないと言われた。

 この手のことに詳しい職場の後輩に尋ねると、二箇所目だろうとのことだった。彼女もお盆休みを利用して彼氏と泊まりに行ったと教えてくれた。

「凄く人気で予約取るのもたいへんなんです」彼女は説明した。「あたしはたまたまキャンセルが出たので、運良く取れただけで一年先とかザラですよ」

 彼女はメイクを直しながら言う。

「彼氏さん、どんなに遅くとも去年から抑えてるはずです」

 どんなに遅くとも去年か……

 そんな前からわたしは浮気をされている。そのことに気付かない鈍感なわたし。あのおとこはデートをしている最中も浮気相手と連絡を取り合ったり、気付かないわたしを内心、北叟笑んでいたのだろうか。

「しかしお相手さん、可愛い人ですね」画面を覗き込んでくる。「三日湖さんとは真逆の人です」

「そうなんだよねえ」写真を凝視しながら呟く。

「どこで出会ったんでしょうね」後輩は言う。「最近はマッチングアプリとかSNSのDMを利用する人が多いですから、合コンしたりクラブに行ったり、昔ながらの出会いかたは古臭くなりつつありますね」

 ひと昔前に比べれば、出会いの場は拡張された。後輩の言うように、マッチングアプリやDMを駆使すれば簡単に繋がれる時代だ。遊ぶのも作るのも容易になった。後輩は昔ながらの出会いは少なくなったと言うけれど、新たなツールの登場によって淘汰されたわけではない。遊びかたのフォーマットが拡張しただけでそこまで大きく変化してはいない。

 綱矢と出会ったのだって、バーで飲んでいた時に向こうから話しかけられたのがきっかけだ。その前に付き合っていた彼氏は、合コンで知り合った。

「貴女はどこで彼氏さんと知り合ったの?」わたしは尋ねる。こんな話、お手洗いか給湯室くらいしか出来ない。どこで誰が聞き耳を立てているか判ったものではない。幸い、誰かに聞かれても困る場所にいないので話し放題だったりする。

「高校生の頃から付き合ってるんです」彼女は言った。「とは言っても、略奪なんですけどね」

 入念にメイクを直しながら言う。

 高校生で略奪とはなかなかどうして、エッジの効いたエピソードを披露してくれる。

「三日湖さんはどうするんですか?」後輩は言う。

「どうするんだろうね」

「他人事ですねえ」後輩は言う。ポーチから見覚えのない香水を取り出す。

「シャネルの新作?」

「そうです。彼氏がくれたんです」

「愛されてるなあ」

「そうですかね? プレゼントしてくれるようになったの最近ですよ」

「ところで彼氏さんは何をしているの?」どうして他人の恋バナは気になるものなのか。そう言えば、ネギくんも同様のことを言っていた。人生に於ける、恋愛の比重は思っているより重い。結婚、子どもが絡んでくるからなんだろうけど、それらを差し引いても茶飲み話だったり、酒席の場で俎上に上がるのは仕事の話題か恋愛の話題になる。ためにならない助言を受け流さなければならないのも苦痛だが、つまらない話を延々と聴かされるのも苦痛であり頭痛の種だ。

 恋バナはお天気の話とおなじく、導入にぴったりだからかもしれない。

「高校で体育を教えています」後輩は言う。

「部活の顧問をやってたりするの?」

「バスケの顧問してますね。あたし、バスケ部だったんですよ」彼女は言う。

「意外ね」正味、運動が出来るようには見えない。学生時代は帰宅部か文化部に入っていそうなのに。見た目で人を判断しては行けない好例だ。

「ベンチウォーマーでしたけど」にこやかに言う後輩。笑顔で話すことではないように思うが、思い出になっているなら外野がとやかく言う謂れはない。

「そもそもバスケに入部したの彼氏に近づくためですからね」

 今、なんと言った? 聞き捨てならないことを滑らかに言わなかったか?

「美香ちゃん、なんて言ったの?」わたしは尋ねる。聞き間違いであったことを確認したいがために。そうであって欲しいと祈っている自分がいる。

「だからバスケに入部したの、彼氏に会うためです」後輩は繰り返し言う。悲しいことに聞き間違いではなかったようだ。わたしの耳は正常だった。

「それは詰まるところ、教師とお付き合いをしているの?」わたしは慎重を期する。

「あ、そうですよ」簡単に答える。「真逆、非難したりしませんよね?」

「どうしてそう思うの」

「口調的に。過去にいましたもん、三日湖さんみたいな人」彼女は言う。「付き合いはじめたの卒業してからです。三日湖さんが考えているようなことはしてないとは言い切れませんけど、正当性はあります」

 正当性ねえ。

 略奪している時点で正当性はないように思うけれどなあ。

「略奪はしたんだよね?」わたしは言う。要するに付き合っていた相手が存在するわけで。そうでないと略奪は成立しない。浮気とはわけがちがう。

「しましたよ」この娘に罪悪感はないのだろうか。申し訳ないことしたなと思わないのだろうか。そういうわたしも似た経験をしたし、し返したこともあるので、一概に彼女を非難出来る人間ではない。

「勇気あるね」

「卒業しちゃったら、会えなくなるんですよ? だったら行動したほうが得じゃないですか。タイムセールしているのに素通りしませんよね? それと一緒です」

 そうは思っても行動に移せるものではない。学校の先生に恋愛感情を抱いたことがないのでぴんと来ない。そういう展開は少女漫画だけが許される特権だと思っていたが、こんな身近にいたとは。

「略奪は良くないんじゃない?」他人の行動を非難する場合、往々にして自分の行為を棚上げにする傾向にある。

「自分のものにしたいと思うのであれば、それくらいしないと行けなくないですか?」彼女は鏡越しではなく、直接、わたしの顔を見て言う。「指を咥えて待っていたら、その人は遥か遠くまで行ってしまう。背中が遠ざかってしまうのを黙って見ていろと言うんですか? 三日湖さんはただ立っているだけでバカなおとこ共が寄ってくるから、気にしたことないんでしょうけど、あたしみたいな人間はそういうわけには行かないんですよ」

「美香ちゃんは可愛いよ」

「マニュアルに書いてありそうな文言を疑うことなく言える人だったんですか?」棘のある言葉が後輩から放たれる。「慰めて欲しいんじゃないです」

「ごめん」

「謝るのも可笑しくないですか?」ふっと息を吐く。

「そうだね」気圧されて、気弱になる。勢いと感情に勝るものはない。

「三日湖さんの言うとおり、お相手さんに罵詈雑言を浴びせられましたよ。それもそのはずです、彼女さん、妊娠していましたから」彼女は言った。「結婚していたんです。本当に略奪ですよね。不倫と言われても仕方がないです」

 禁断の恋愛の遥か上を行っていたのか。驚きをとおり越して、閉口する。

 妊娠中は不倫しやすいと聞くけれど、ドロドロとした話とは思っていなかった。

 教師が生徒に絆されて屈服するのもどうかと思うが、テンプテーションに抗えなかった。甘い蜜をぶら下げられたおとこほど無力なものはない。

「呪詛を吐かれたんじゃない?」

「承知の上であたしは彼を一緒にいたいと本気で思いましたし、今も付き合っているのも彼を愛しているからです」彼女の思いを覚悟と受け取るか、使命と受け取るか、街頭アンケートが出来そうだが、はてさてどんな結果になるだろう。

 臆面もなく彼氏を愛していると言える彼女は愛されている証左だ。

 わたしは人前で愛していると言えない。言ったこともないような気がする。恥ずかしいから言えないのではなく、単純に言えない。浮気されていようと。

「どうしてクラブに来たかったの?」わたしは尋ねる。出る前にリップくらいは塗り直しておこう。

「羽根を伸ばそうかなと思いまして」美香は言う。「教師故なのか、年齢もあるのか、夜遊びを禁止されてて」

 束縛が辛くなってきたのか。彼女の年齢で夜遊びをして来なかったのは確かに不思議ではあったけれど、彼氏に禁止にされていたのか。たまには羽根を伸ばそうと考えて、わたしを誘った。

 美香にはわたしが夜遊びのエキスパートに見えているらしい。心外だが、強ち間違っていない。

「三日湖さんは慣れ親しんでいるだろうと思いまして、ご教授願えればと」

「ご教授するようなことはないよ。日頃の鬱憤を晴らす気持ちで踊ればいいの」

「いいおとこを見付けると」美香は言う。昔のわたしはそうだった。

 今はそんなことしないけれど。いや、どうだろう。浮気の腹いせに活きのいいおとこを見繕ってホテルに直行も存外悪くないかもしれない。

「お互い、パートナーがいるのよ、止めましょう」わたしは美香の肩に手を置く。

「ニヤけてますよ。遊ぶ気満々じゃないですか」

「そんなことない。本能に身を委ねて、思う存分楽しみましょう」

「表情と発言が噛み合ってませんって。うわぁ、これ、ばれたら怒られる奴だあ」お手洗いを出ると大音量の音楽が耳を刺激する。決まった時間で切り替わるライト、中央で自分を見てと耳目を集めるべく煌々と輝きを放つミラーボール、ホールで男女が入り乱れて踊っている姿が視認出来る。

 そのなかにようく知っている人物がいた。

「どうしました?」美香は大声を張り上げて、わたしに尋ねる。

「見覚えのある人がいる」わたしはその人物に近付くために歩き出す。美香はわたしの後ろを子分のように付いてくる。

 その人物は楽しくなさそうに踊っている。来たくもないのに、無理矢理連れて来られたのだろう。断れない人の良さというより、相手に気圧されて渋々と言った具合のような気がする。その答えも数秒後に詳らかになる。

「ネギくん、どうしてここにいるの?」

 五秒後に振り返る根岸十六夜ねぎしいざやの顔はきょう見たなかでいちばん滑稽だった。




 

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