(2)

 バーカウンターに横一列に並ぶ。ハーレム状態のネギくんは心中穏やかではないだろう。一般的なおとこなら欣喜雀躍するシチュエーションでも、彼にとっては人数合わせで合コンに呼ばれたのと同等の価値しかない。

 ネギくんの連れと思われる可愛らしいおんなの娘は先程からわたしに敵意剥き出しの視線を向けてくる。お楽しみを邪魔してしまったのは申し訳ないと思っているけれど、視界に入ってしまったのだから仕方ない。

 根岸十六夜が異世界に入り込んでいる場面を目撃したのだ、揶揄からかいに行くのが筋ってものでしょう?

「どうして下半身だけで思考しているような人たちの空間にいるの?」

「先輩、言い過ぎですって」言い過ぎた覚えなどないが、美香はどこをどう解釈して言い過ぎなどと抜かしたのか、甚だ疑問だ。この場にいる九割は自分をアピールして、よりよい相手と出会う目的でいるのだから、何も間違っていない。現にカウンター奥にいる男女は熱いキスをしている。下半身を露出するのも時間の問題。

「そう? 昔のわたしはそうだったよ」美香に笑みを向ける。間接照明の当たり具合が悪かったのか、彼女は引き攣った顔に見える。そんな悪魔召喚の儀に失敗したような顔をしなさんな。

 もっと引くようなエピソードおありですことよ?

「だからこそ先輩を誘ったんです」美香は言う。カクテルにまだ口を付けていない。そう言えば彼女はアルコールが苦手だった。頼んだカクテルは苦手な人でも比較的飲みやすいのを頼んだから大丈夫と思ったのだけど、口付ける気配がない。

「先輩? 会社の後輩なんだ」ネギくんは眼を合わせてくれない。見つかったことを恥じているのかもしれない。あるいは連れに関係性を問い詰められるのを怖れているのかいずれかだ。

「なんだと思ってたの?」わたしは尋ねる。

「友達か妹かなって」あからさまな嘘を吐く。もう少しまっとうな嘘を吐きなさいよと思わなくもないけど、これは振ったわたしが悪い。

「後輩を友達の枠に収まらなくもないけど、一緒に出掛けるのはお初だから、友達の定義から外れる」

「先輩、その言い種はないですよ。仲良くしてくれてるじゃないですかぁ」猫撫で声を出す、美香。野良猫に気に入られるってこういうことなのかもしれない。人生でそんな場面に遭遇したことはない。動物に好かれにくい。

「仲良くしているからとは言え、友達と限らないでしょう?」

「飾磨さんの定義する友達は?」ネギくんは尋ねる。

「気の置けない存在?」わたしは答える。

「嘘ですね」

「心外ね」そうわたしは言うが、嘘だ。どうして見抜けたのだろう。

「飾磨さんが常套句を口にするとは思えないから」さらっと失礼なことを抜かしてくれる。「それに以前−−」

「ねえ、そのおんなに馴れ馴れしくないですか? 根岸先輩〜」酔ったのかネギくんの連れは彼に躯を預ける。彼は鬱陶しげな顔をするものの椅子に座り直させる辺り、優しさが滲み出ている。ネギくんの視点で見れば、の話だけれど。

「平等に扱っているつもりですよ」ネギくんは彼女に言う。

 彼の発言が気に喰わなかったのか、彼女は憮然としながらも、カクテルのおかわりを頼む。

「先輩はどうしますか?」甘ったるい声でネギくんに尋ねる。「あ、おふたりも」

「頼もうかな。アルコール飲む機会はそうそう訪れませんので」美香は今より強いお酒を注文するので、わたしも彼女に便乗する。

 ネギくんはミネラルウォーターを注文する。

「飲まないんですかぁ〜、連れなぁいですねぇ」舌足らずになる。アルコールが回りはじめたようだ。

「君を見ていると飲むの控えないと行けないかなと思ってね」ネギくんは言う。きょうの彼は余所行きモードのようだ。

「どういうことですかぁ」

「そのままの意味だよ、瑠璃元るりもとさん」彼は言う。

「瑠璃元?」美香は反応する。「瑠璃元ってあの瑠璃元ですか?」

「どの瑠璃元よ」美香が興奮するということはそれなりに名が知れているのだろうか。「有名な人なの?」

「有名も何も彼女の叔父はファッションブランド、ケースケ・ルリモトの姪です」

「あー、あの瑠璃元」若い世代を中心に人気を博しているケースケ・ルリモト。綱矢も好んで着ている。「それじゃあ貴女もアパレルのお仕事をしているのと思ったけど、根岸くんの後輩なのよね? ちがうわね」

「なんですか、まるでぼくがファッションに疎いみたいな言い種は」

「実際にそうでしょう? この間だって……」

「この間? この間とはなんですか? 先輩。説明してくれますよね?」瑠璃元姪はネギくんの顔を凝視する。心なしか眼がギラついてるように見える。浮気を咎める彼女を想起させる。……浮気。「そこの糞おんなと何をしたんですか? 真逆、寝たとか言いませんよね?」

「君の期待に応えられなくて残念に思うよ」ネギくんは残念そうな顔をして、首を横に振る。「彼女とは寝ていない。ただ食事をしただけだよ」

「食事をしただけ? 本当ですか?」ネギくんの肩越しにわたしを見る。「嘘を言うように言われていませんか? そこのおんな、見るからに尻軽ですよ」

 同性は性質を看破しやすいものだ。

 見るからに瑠璃元姪はマーキングをするタイプで近付くおんなはもれなく全員敵と見做す。美香も例外ではない。わたしと関わりある時点で敵扱いになる。この手のおんなは厄介だ。懐かない猫並みに厄介だ。

「無粋とは思うけど、わたし、、五年付き合ってる彼氏がいるから。安心して、瑠璃元さん。貴女のご主人を寝取ったりしないから」

 わたしの物言いが癪に触ったのだろう、瑠璃元姪は露骨に威嚇する。

 猫と言うより、飼い主に従順な犬だ。

「瑠璃元さんも彼女がああ言っているから、刀を納めて」ネギくんは苦笑いをうかべる。

藤見ふじみ。名前で呼んでって口酸っぱく言っているじゃないですか」瑠璃元姪は言う。

「ふじみ? アンデッドですか?」美香は噴き出しそうになるのを怺える。

「その不死身じゃないわよ! 藤色の『藤』に見識の『見』で藤見」彼女は言う。学生時代のみならず、自己紹介のたびに揶揄われて来たのだろう。

「良いお名前ですね。死にそうになくて」美香は揶揄う。この娘は他者を茶化したりする傾向にある。目上、立場関係なく。肝が据わっている。一緒にいて、気を使う必要がないのは有難い。

「失礼ね、貴女!」瑠璃元姪は立ち上がって、美香を指差す。呼応するように美香も立つ。後方では楽しそうに踊っている。誰もバーカウンターに興味を示さない。これから面白そうな余興の幕が上がりそうだと言うのに。音楽に身を委ねて踊るより見応えはありそうだ。「人の名前を茶化すのは良くない! 貴女は面白がって莫迦にする仕打ちを受けたことないの?」

「生憎ないですね」美香は受け流す。美香はありふれた名前だから、埋没してしまうのもむべなるかなと言った具合だ。「美香なんで」

「美香⁉︎ 貴女にその名前は勿体無いと思う。そうねえ」瑠璃元姪は少考する。「苗字を教えなさい」

「アドラハル」美香は見え見えの嘘を吐く。

「え、貴女混血なの」真に受けるとは素直な娘なのかな?

「ちがうけど」真顔で返す。「育ちがいいと嘘を信じてしまうのね、可哀想」

「同情してんじゃないわよ! 嘘って知ってたし。知ってて、乗ってあげたんです〜」強がっちゃって。可愛い娘。「嘘を吐く、貴女が悪いのよ」

 もう少し茶番が続きそうなので、わたしはおかわりをマスターに頼む。マスターは苦い表情をうかべながら、自分はマスターではない、ただのバイトだと言った。そして奥側のカップルを指差す。

 熱いキスを交わしていたふたりはその先に進んでいた。

 ズボンを下ろすのも時間の問題と思っていたが想定より早かった。そんなに盛り上がったのか。お盛んですなあ。

「あのふたり、気持ちが昂揚するとすぐにおっぱじめるんです」バイトは言う。

「常連なの?」茶番を余所にバイトと会話をする。面白い話は何処にでも転がっているものだ。

「常連も何も、マスターとその奥さんです」バイトはにべもなく言う。「自分の店でヤるほうが燃えるらしいです」

 世の中、色々な性癖の人がいるから驚きはこれと言ってないけど、衆人環視でセックスするどの胆力は讃えたい。大音量でどれだけ喘いでも誰の耳に入ることないから、確かにシチュエーションとしては完璧かもしれない。

 公園やマンションの駐車場、それこそラブホの駐車場で青姦をしたことあるけれど、誰かに見られるかもしれないなかでするセックスは格別。あのゾクゾク感を味わうとごく普通のシチュエーションでは興奮しなくなる。

 カーセックスもそうだ。わざと人に見られる場所でしたことがあるのだが、あれは燃えた。今まで以上に気持ちよかった。たまにその時のセックスを思い出してひとりで慰めることがある。

「どうしてここに来たんですか」ネギくんが話し掛けて来る。自機を見計らっていたのだろう。

「だから後ろで茶番劇を繰り広げている後輩と羽根を伸ばしに来たの」わたしは説明する。

「羽根を伸ばしにって。ビッグプロジェクトを成功させたみたいな言いかたしないでくださいよ」ネギくんは言う。

「そういう根岸くんこそ、どうしてここに?」数秒後に詳らかになると大言壮語を吐いてしまった。嘘つきだと思われてしまう。折角、語り部の立ち位置を任せてもらえたのに不覚。

「その呼びかた、むず痒いね」ネギくんは微笑む。

「一昨日会ったばかりだからね」わたしは言う。

「そうだね」ミネラルウォーターを飲み、喉を潤す、喉仏が一瞬だけ隆起する。「瑠璃元さんに誘われて来ただけだよ。本当は来たくなかった」ネギくんは言う。「彼女の強引さは時に良い方向に転がることもあるけど、基本的は悪い方向に転ぶ。でも今回は良いほうを引いてくれたみたいだ」

「ネギくん、いつもとちがうから格好良く見える」

「可笑しなことを言うなあ」ネギくんは笑う。アルコールの所為で感覚が鈍くなっているんだ。一昨日会った彼は締切間近の漫画家みたいに死んだ顔をしていた。あれが普段の根岸十六夜だ。「仕事が一段落したから、気が抜けてるのかも」

「仕事? そう言えば、根岸くんの仕事知らないかも」付き合いはそれなりにあるけど肝心な箇所を知らない。彼が語りがらないのも起因しているけれど。

「先輩は何を隠そう、稀代の天才なんですよ」茶番劇を終えたらしい、瑠璃元姪は話に割り込んでくる。勝敗はどうなったのか少しだけ気になるが、瑠璃元姪の息の上がり具合を見るに最終的にダンスで勝敗を決したようだ。クラブであることを思い出したのか。どちらが提案したのか気になるが、美香だろう。

「芸術家を称する時にしか聞かない惹句ですね」美香は汗ひとつ掻いていない。どうやら勝負は彼女がものにしたらしい。「切り裂きジャックではないですよ」

「それくらい判りますよ、氷柱下つららもとさん」瑠璃元姪は言う。

「先輩は小説家さんなんです」鼻で息を吐く。何故彼女が自慢げに語っているのか謎だ。横でネギくんが溜息を吐いているのを目の当たりにすると、彼女はあちらこちらで吹聴し回っているのかもしれない。稀代の天才の触れ込みをしつつ。

「隠してるんだから、言わないでよ。知ってる? 公務員は副業禁止なんだよ」

「公務員なの⁉︎」そっちに驚きだ。わたしは美香を見遣る。彼女は何喰わぬ顔をしている。「作家以上に想像付かない」

「良く言われます」ネギくんは言う。「瑠璃元さんも公務員に見えませんけどね」

「うん、言えてる」美香は大きく頷く。

「同調しないでよ!」瑠璃元姪は言う。アルコールは汗で飛んでしまったのか、頗る元気になった。この状態で絡まれるのは疲弊しそうだ。

「まあまあ、実際、貴女の所為で生徒が授業に集中していないんだから」

「教師なの⁉︎」このリアクション、何度目だよ、わたし。

「そうですよ。だから言いたくなかったんですよ。好きで教師になったわけではないんですけど、就職するなら正味どこでも良かったんです」

「教師を選んだのは小説を書くために有利だったから?」

「小説は後付けです」ネギくんは言う。学生の時分は読書家だったそうだから、不思議ではないけど、小説を書きそうな雰囲気はない。「夏休みは自動的に時間が出来るので、この際だから小説を書いてみようと軽い気持ちで書きはじめたんです」

「担任は持っていないの? 部活、委員会等の顧問とか」わたしは尋ねる。担任を持っていると学年によっては三者面談とかやることが山積しているイメージがあるから言うほど時間が出来るとは思えない。

「ぼくは持ってないですね。瑠璃元さんは持っていますけど」ネギくんは言う。

「あんた、持ってるの⁉︎ 生徒が可哀想」美香は人差し指を眼の下に当て、涙の仕種をする。ひと昔前に流行ったポーズを今やるとは。

「どういう意味よ」瑠璃元姪は立ち上がり、喧嘩を吹っ掛ける。貴女たち馬が合うんじゃないの?

「そのままの意味ですー」口を前に突き出す美香。煽りは控えたほうが良いと思うが、彼女はどうしても瑠璃元姪のフラストレーションを溜めたいようだ。ゲージでも見えているのだろう。美香はゲーマーでもあるから。何かにつけゲームで喩えたがるのだがわたしは話している殆どを理解出来ずに彼女を失望させている。

「やんのか、コラァ!」スイッチが入ったようだ。第二ラウンド、ここに開始。ふたりは再び、ホールに向かう。静寂とは程遠い静寂が生まれる。

 奥の席でお楽しみしているご両人は二回戦目にしけ込んでいる。体力もだが欲が合致するのは羨ましい限りだ。綱矢と最後にしたの何時だろう。

「長期休暇を利用して小説を書いて、作家デビューしたんだ」わたしは言う。

「そうなるね。京極夏彦じゃないから、作家になるのに三年要したけれど」

 知らない作家の名前を出されても反応出来ない。

 わたしが答えられる小説家は東野圭吾か湊かなえくらいだ。ギリギリ、村上春樹。小説を読むことなく生きて来たから、この先も小説を読む機会は訪れないと思う。友達が作家だと判明しても。

「それって早いの? 遅いの?」

「早いほうだと思うよ」ネギくんは答える。「早い人ははじめて書いた小説が受賞する人はザラにいる。才能の差はあるよ、どうしてもね」

「そんなものなんだ」

「運の要素もあるけど、実力がないと受賞は難しい。何万もの応募数からひとりだけが勝ち取れる権利。思ってる以上に狭き門だよ」ネギくんは言う。「デビュー出来ても、結果を出さないとクビを切られる。相応の努力に相応以上の才能があってはじめて仕事になる」

「大変なんだね」わたしは言う。冷たいと思われていないか心配になったが、気にしてい様子はない。「進行中の作品はあるの?」

「二、三本抱えてる。その他に連載が二本」

「さっきの話が自慢にきこえる」

「五年作家業を続けていられるのは奇跡だから、受けれる仕事は全部受けてる。担任持ってないのが幸いして教師の仕事の傍らに執筆してるから、なんとかなってるかな。これで来年、担任持たされたらスケジュール的に厳しくなる」

「そうしたら、どうするの?」わたしは訊く。作家の仕事をセーブするのだろうか。しかし口振り的にその気は無さそうだ。作家を続けていられるといえども旬が過ぎたり、お声が掛からなくなったらそれはもう廃業手前のようだし、必死になるのも当然か。

 わたしはどうしたいんだろう。

 今の仕事は充実しているし、収入面も問題ない。転職して収入が落ちることはないだろうけど、上がる目処も無さそう。それよりだったら、出来る限り頑張って、QOLを上げるのもアリだと思うけど、今に満足している身としては無理に生活水準を上げる必要はないように感じる。

 それよりも氷解すべき問題を抱えているわけで。その問題をどうするべきか。

 ネギくんに相談してみても面白いかもしれない。

「ひとつ、相談していい?」わたしは尋ねる。

「なんですか?」ネギくんはわたしを見る。

「彼氏に浮気されたんだよね」

「浮気? 浮き輪の間違いではなく?」冗談を挟んでくれるのは有難いと思いつつ、異世界の話を現世するとは何事かが多分に含まれていそう。

「救助が必要ではあるかもね」

「ライフセーバーに頼むべきかもね。あるいは救命胴衣を事前に着るべきだ」

「未然に防げる事象でもないでしょう」

「どうだろうね。先輩は尻軽ではなかった」また先輩の話をする。未練があるのはどっちだ。本当は彼女が好きのを認められないように映る。そうじゃないと頻出単語みたいに先輩の話などしないだろう。

「貴方のなかの先輩がそうなだけで、現実の彼女はヤリマンかもよ?」

「飾磨さんと一緒にしないでよ。彼女はそんな人じゃない、と思う」

「わたしをヤリマンと言うとは、いい度胸じゃないの」わたしは言う。

「五年付き合って、もおとこを外に作ってたら、そりゃあ彼氏さんもおんなを作るよ」

 ネギくんに痛いところを突かれた。

 そう人間は往々にして自分の行為を棚上げにして、他者を痛打する傾向にある。自分はそんな人間ではないと思い込みたいからだ。されど、相手にした行いは時間を経て、自分に返って来る。

 五年の月日は意趣返しするのにちょうどいい時間と言えなくもない。

 わたしは何時、彼に自分の浮気話をしただろう?

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