(6)

 馴れ初め話のはずが気が付けば、五年間を振り返っていた。

 話し過ぎたきらいがある。

 お酒はほどほどにするべきだった。興が乗って要らないことまで話してしまった。結婚するつもりでいたことまで話す算段ではなかったから余計に。

「結婚考えていたんですか、先輩」案の定、美香が意地悪な笑みをうかべて訊いてくる。

「五年も交際してれば、結婚を考えるようになるでしょう。それに、この人と結婚するんだろうと本気で思っていたわけだし」

「そういうものですか?」藤見が首を捻る。「付き合いの長さは比例しないと思いますよ。芸能人が結婚する度に交際期間がどうのこうのって報道されるじゃないですか。交際半年、交際三ヶ月、交際十年とか。ああいうの見ると長さは関係ないと思うんですよ。要は結婚する意思があるかどうかじゃないですか。デキ婚だろうと、結婚することに相違ないように、交際期間に関係なく結婚したいと思うのであれば、手順を踏んで行動に移しますし、会話のなかで自然と結婚のふた文字が出てくるはずです。でもおふたりはちがいますよね?」

 辛辣な見解が藤見から出てくる。

 言葉に詰まるわたし。

「瑠璃元さん、流石に言い過ぎじゃないかな」ネギくんは言う。

「先輩は優し過ぎです。というより甘やかしです。言うべき時にズバッと言わないと」

「進化したら大きくなるんだよね。ゴルバットになるんだ」ネギくんは意味の判らないことを言う。

「そのズバットではありません。なつき度を上げて進化させる大変でしたね」ネギくんの言っていることを理解しているらしい藤見は話に乗ってあげる。本当に何の話をしているのだろう。わたしは美香に視線を向ける。彼女も判らないらしく、首を傾ける。「いいんですよ、進化のさせかたなんて。そんなことより大事なことがあります!」

「先輩は結婚したいと胸中で思っていたことを口に出しました?」美香は訊く。

「してない。まだ早いかなあと思って」

「遠慮したんですか。真逆、彼氏さんから切り出して欲しいとか思っていないですよね?」藤見は言う。アルコールの所為なのか、生来のものなのか判らないけど、熱くなっている彼女に気圧される。「そんなの関係ありませんから! 結婚したい気持ちがおありでしたら、言葉にしてご本人に伝えるべきだと思います」

「それでもし拒否されたら? 立ち直れない」

「そうでしたら、また関係を構築するだけです」

「簡単に言うけどね、瑠璃元さん。相手に結婚する意思がないのにわたしが突っ走って、判を押させるのは悪いじゃない」結婚はひとりでするものではない。ふたりの意思が合わさって成立すると考えている。いくらわたしが綱矢と結婚したいと思っていても、当の綱矢が意識していなかったら、次の段階に進まない。

 結婚したいと意識し出した頃から、綱矢に気付いて欲しくて迂遠に伝えたりしたけど、勘付いてもくれなかった。ゼクシィのCMにすら反応を示さないあのおとこにわたしの思いが届くはずもなかった。

「結婚は最終的に勢いです」藤見は熱弁する。若いっていいなあと彼女を見ていると思う。情熱が言動と合致している。若さ故なのだろうけど、その若さがわたしには眩しく映る。

「ノリで入籍させそうね、貴女」ぽつりと美香は呟く。「変な三人組を呼んでさ」

 美香の発言にわたしは吹き出してしまった。

「先輩、笑わないでくださいよ」美香は言うがネタが伝わって嬉しかったようでご満悦の表情でわたしの肩を叩く。「フラッシュモブをするような彼氏は厭ですね」

「フラッシュモブ?」ぴんと来ないネギくんは小皿を手に持ったままフリーズする。

「解りやすく言うとですね、とおりすがりを装って、急に踊り出すパフォーマンスのことです」美香は説明する。「動画で観るともっと理解しやすいと思います」

 そう言って美香はフラッシュモブを取り扱ったミュージックビデオをネギくんに観せる。

「あー、このMVは観たことあります。背景になっている人たち、何やっているんだろうとずっと考えていたんですけど、これがフラッシュモブと言うんですね」

「背景……。言いかたは悪いですけど、否定出来ないのが難儀なものですね」

「これを現実でする人がいるんですか?」ネギくんは何処までもピュアだ。ずっと純粋で居て欲しいと思いつつも、思っているほどピュアでは無かったりするから面白い。

「ごく稀にですけどね」美香は原液の青汁を飲まされたような苦い表情をする。「友達にいましたよ。あのMVみたいに感じでプロポーズされたらしいです」

「どうなったの?」

「断ったそうです」美香は肩を竦める。「サプライズも一線を超えては行けないということです。現実を超えると引いてしまいますからね」

「結婚にも言えることだよね」わたしは言う。「子どもの頃に夢見た結婚と現実の結婚は乖離しているじゃない、どうしても。こんなんじゃなかったとしてから後悔する人が過半数を超えるでしょ。理想どおりの結婚はないのに、どうして人は結婚に夢を見るのかな」

「そりゃあ、美化するからですよ」美香は言う。「結婚は美化され、美談にする」

「夢ないですねえ」藤見は言う。「少子化少子化と煩いから、結婚に希望が持てないんだと思いますよ」

「男性視点の結婚はどんな風に映っているの?」期待する答えなど返って来ないと判っていながらもこの場に男性はネギくんしかいない。

「ぼくの意見になるけど、結婚出来たらしたいくらいじゃないかな。結婚したら、好きなことが出来なくなると嘆く人は多い印象かな。独身が長かったりすると、自由に使えていたお金に制限が生まれる。そこにもストレスを感じる人も少ないようだしね。ぼくは出来るか判らないから、もし結婚出来るのであればしたいとは思う」

「え、先輩は結婚出来ますよ」何の事情も知らない藤見は呑気なことを言う。なまじ事情を知っている身とすれば、ネギくんが結婚に希望も理想も抱いていないことは判り切っていた。

「辛気臭い雰囲気してるなあ、誰か浮気でもされたか?」折悪く店長が介入してきた。「暇になったもんだから、混ぜてくれや」

「厭ですよ、奥さんとイチャイチャして来ればいいのに。厨房があるじゃない」

「お前、何言ってんだ」店長の顔が赤くなる。

「文字どおりのことを言ってだけだよ」美香は言う。「参考にならないけど、いるじゃん、ここに既婚者が」

 会話の内容を知らない店長は口を開けて、壊れた絡繰り人形みたいな動きをする。

「浮気されたんじゃなくて結婚の話か?」

「正確には両方です」ネギくんは言う。

「どういうことだよ。説明してくれよ」

 わたしは店長は簡潔に話す。

 店長は頷いて、持ち場に戻ったのかと思いきや、葵菜さんを引き連れて来た。お客さんまだ残っているけど、大丈夫なのだろうか。

「俺よりこいつのほうが話しやすいだろう」そう言って店長は奥さんを残して、自分は仕事に戻った。混ぜろと言っていた人とは思えない。

「何のお話をされていたんですか?」わたしの恋愛事情が洩れていく。まあ別にいいんだけど。隠すようなことでもないから。とは言え、ひけらかすことでもないのも確かだ。

「逃げたな」美香はボソッと言った。「あの人より葵菜さんのほうが実りある話が聞けるとは言え、情けない人だなあ」

「美香ちゃん、気持ちは解るけど、言わないであげて」気持ち解っちゃったよこの人。「飾磨さんの話だけど、率直に訊くね。お仕事まだ残ってるから」

 やっぱりまだお仕事残っていたんだ。

「アドバイスもらえるだけ有難いです」

「アドバイスと言えるか判らないけど、意見のひとつとして聞いて欲しいかな」葵菜さんはそう前置きする。「ありきたりではあるけど、コミュニケーションを取る。何よりも大事で重要だと私は思う。腹を割って、お互いに思っていることを言葉にする。その上でふたりがどうしたいか考える。これしかないと思う」

 葵菜さんは仕事に戻った。

 これ以上ないアドバイスをもらってしまった。

 気が付けば夜も深まって来たので解散する運びになった。時間を見て驚いた。もう四時を過ぎていた。そんなに長い時間飲んでいたのか。

 あれだけあった料理もすっかり平らげている。半分近くはネギくんの胃袋だ。

 お金を出そうとしたのだが、ネギくんが自分が出すと言って聞かないので甘えさせてもらった。外にはタクシーが二台止まっていた。

 ネギくんはどうするのか尋ねると夜風を浴びたいから歩いて帰ると言った。

「先輩も車で帰りましょうよ」タクシーに乗る寸前まで藤見は駄々を捏ねていたが、無理矢理押し込んだ。

 ネギくんにバイバイと告げて、美香を先に乗らせてわたしが続いた。

 彼はタクシーが見えなくなるのを確認してから、家路に着いたようだった。律儀な人だ。

 帰りのタクシーのなかで美香と軽く話した。

「結果はどうあれ、葵菜さんの助言に従う」わたしは言った。タクシーの運転手に聞かれようがどうでも良かった。「悩んでいたって仕様がないし」

「そうですねえ。お別れすることになっても候補はいます」美香は屈託のない笑みをうかべる。意地悪に聞こえたが本心から言っているので悪気がないのが質が悪い。

「そうでもないよ? 若い頃ほど遊ばなくなったし」わたしは言う。どれだけ遊んだところで虚しいだけと知っていれば、まっとうに生きようと心構えたかもしれない。経験しないと判らないのも事実。どちらが正義だなんてわたしは判らないけど、実を取るか理を取るかで評価は変わる。

 いずれにせよ、遊んだことを武勇伝にするようなダサい人間に成り下がりたくはない。悪いことを散々してきて、その話を格好いいだろうと吹聴し回るのは時代にそぐわないというよりシンプルに格好悪い。

 ほどほどに遊んで、距離を取る。

 それがちょうどいいのかもしれない。

「根岸さん。先輩と合う気がしますよ」

「冗談は止してよ」

「冗談でこんなこと言いませんよ」美香は言う。

 わたしには冗談にしか聞こえなかった。

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