(4)

「別れたほう良くないですか」

「そう思う?」

「付き合って五年の仕打ちじゃないですよね」

 そう、なのだろうか。

 こう言っては何だがそれなりにモテて来た自負はあるし交際もしてきた。五年も付き合ったのは綱矢がはじめて。それまでは長くて一年。最短は半年……三ヶ月か。頭の何処かで今回の恋愛が最後なのだろうと勝手に思っていた。正直な話、結婚するつもりでいた。こんな事態が待ち受けているなど五年前のわたしは予想だにしていないはず。

 五年後のわたしが御伽話なんじゃないかと疑っているくらいだ。

 美香と藤見はふたりで交互に私見を述べるなかネギくんだけ緘黙している。

「浮気相手のSNS見つけちゃいました!」美香は満面の笑みをうかべる。

「特定するの良くないと思うけどなあ」ネギくんは口を開く。

「どうしてですか? 浮気相手がどんな人物か知りたいと思うのが人間的だと思いますけどね」美香は携帯をテーブルの臍に置く。

「知りたくないって人だって一定数いると思いますよ」ネギくんは言う。

「浮気されたことないんですか?」美香は尋ねる。「大体の人はとおっていると思いますよ。イニシエーションという奴です」

「浮気されたことは生まれてこのかた一度足りともない。未経験だ」ネギくんは薄っすらと笑みをうかべる。美香は驚嘆の表情をする。

 ネギくんが言っていることは何も間違っていない。一言一句正しく、嘘偽りがない。虚飾も脚色の一切が無い。

「随分と恵まれた恋愛をされて来たんですね」美香の言葉に棘があるがネギくんは笑顔で応対する。

「運が良かった、それだけかもね」明言を避ける辺り実に彼らしい。当たり障りがないと言うより、言っても仕様がない。美香は口吻を突き出し、不満げな顔をする。

「先輩のこと悪く言うの許しませんよ!」横から藤見が割って入る。「先輩ほど魅力溢れるおかたが浮気されるはずがないじゃないですか! 氷柱下さんも不思議なことを言いますね」

 恋に恋する純情乙女までいるという。なかなかに濃いメンツで構成されている。それぞれの恋愛観が表層に現れるのは助かる。

「あたし不思議がること言いました?」美香はわたしを見る。

「さあ」

「三日湖さんってば」美香はわたしの肩甲骨を叩く。

「何? フォローが欲しかったの。甘えんな、後輩」

 美香は膨れっ面をする。彼女は拗ねると必ず風船みたいに膨らませる癖がある。その度に割りたい衝動に駆られるが、人間の頬でやってしまうとグロテスクな絵面になってしまうので出来かねる。心の奥底ではやりたいんだけどなあ。

「飾磨さんの話を無視してるけどいいの?」何時の間にか水からお茶に切り替わっている。隙の無さは瞠目するものがある。いったいどんな手段を使っているのだろうか。

「良くないと思いますけど、三日湖さんの傷口を拡張してしまうのもどうかと思うんですよねえ」美香は閃きを待つみたいに親指と人差し指をピストルの形にし、顎の下に当てる。「別れたほうが良いのではと助言してしまった手前、疎かにしてしまうのもまた不義理じゃないですか」

 不義理って。別段、義理立てて欲しいわけではないのだが。況してや相談に乗って欲しいのでもない。勝手に貴女がたが風呂敷を広げてるだけでしょうが。

 わたしの浮気話を肴に酒を飲むなと言いたい。眼前にこれでもかと叫びたくなるくらいの量の料理が並んでいるじゃないの!

「飾磨さんはどうしたいんですか?」ネギくんは尋ねる。真剣な眼差しはお節介味帯びているのがやや厄介だ。優しい口調なのがまた鄙俗。

「どうもこうもない」素っ気なく言ってしまうのも自然な流れ。糾弾される謂れはわたしにない。「浮気したのかどうかは気になるかな」

「簡単じゃないですか。本人に直接尋ねればいいんですから」事もなげにネギくんは提言してくる。これだから恋愛未経験非童貞野郎は。付き合うことの難しさを何も解っていない。わたしより非難されるべきはこのおとこでは?

「そう言いますけど、された側からは言い出し難いものだと思いますよ。小説を書いている割に想像力無いんですね」ちくりとするような言葉を美香は吐く。「浮気されたことがない人は言うことがちがいますね。一面百合の花ですね」

「貴女は浮気されたことがあるのですか?」ネギくんは尋ねる。

「ありませんけど、奪った経験はあります」自分の恋愛を明け透けに語る。「向こうの彼女に一生分の罵倒を浴びせられましたね」

「普通に話すんだね」メンタルが強いのか武勇伝として語り継ぎたいのか。どちらにせよ美香の心証を悪くするだけなような気もするけどな。

「話しますよ、あたりまえじゃないですか。誇ることではありませんが貶される謂れも無ければ、後ろ暗いこととも思っていませんから」堂々とした口振りに拍手をしたくなる。美香はビールを追加注文する。「瑠璃元さんはどう思います」

「どうと言われましても……」藤見は当惑する。「先輩の言い分は肯定出来ません。とは言え、私も浮気されたことはありません。寧ろ、浮気をする側でした」

 藤見は何喰わぬ顔でカミングアウトをする。

 恋に恋する純情乙女などでは決して無かった。どす黒い恋愛をして来ているとは思いも寄らない。

「此処にいたのか! 三日湖さんの敵が! こんなすぐ近くに!」小芝居する美香。学生時代に演劇をしていたらしいが演技力は目を伏せたくなるほどに非道い。その道を目指さなくて良かったと心底思う。「成敗じゃああああ!」

「下手な芝居を打たれると萎えるんですけど」藤見はあからさまにテンションが下がっている。ゴーヤチャンプルに箸を伸ばそうとするも食欲が失せてしまう。これは美香が全面的に悪い。これでは彼女がゴーヤチャンプルが嫌いだと思われてしまう。「いいですよ、別に。浮気したの一度ではないですから。私こう見えて飽き性なんです。一途になれないんです。いい人がいるなあとなったらすぐに目移りしてしまうんです。学生時代からそうで、同級生からビッチだあヤリマンだあと陰口叩かれてました。間違いではないんで放っておきました。浮気するのって、私は好きでしてた部分が大きいですけど、他の人が必ずしもそうではないと思いますよ」

 私が釈明したところで説得力は皆無ですけどねと言って藤見はゴーヤチャンプルに着手する。口に運ぶも苦い顔をする。わたしの洞察は当たっていたようだ。それはそれで物悲しいものがある。当たって欲しくなかった。

 ネギくんは黙々と鯛の煮付けを食べているが骨を取るのが苦手なのだろう、悲惨なことになっている。わたしは幻滅しないけれど藤見的にはマイナスポイントだろうなと思っていると彼女は、言ってくださいよ、骨くらい奇麗にしますってと横から皿を奪い取り、視線を背けたくなる惨状を均しはじめる。

 彼女は自分を目移りしやいと評しているけどそれはただ単に心の底から誰かを好きになったことがなかったのではないだろうか。そのような気がする。

 わたしであれば好きな人が魚を碌に食べられない場面を目撃してしまったら迷わず冷める。食事の仕方というのは付き合う上で重要な要素だと考えている。子どもが出来た時に奇麗な食事が出来なければ示しが付かない。後ろ指を指されるわけではないけれど、食事マナー引いてはテーブルマナーはきちんとしておきたいと思っている。

 綱矢はどうか。

 汚い食べかたをしないけれど、奇麗に食べるわけでもないという実に空中浮遊なおとこと言える。グルメを自称しているけれど、どれもが職場の同僚であったり先輩に連れて行ってもらった店と何かと受け売りが多く、自ら足を運んで、足繁く通うような自主性も無ければ主体もない。彼は人が良いと言ったものはすべて良いものに感じるミーハーだ。浮気相手と行った旅行先も宿泊した旅館のそれらもネットで話題になっているから、巷間で人気を博しているからあるいは浮気相手に一緒に行こうよ誘われて行ったのだろう。

 綱矢はそういうおとこなのだ。

「冷静に振り返るとどうしてわたしはあのおとこと付き合ってるいるのだろう」

 ふとそんな疑問がポップアップする。

 原点に立ち返ったような根源を見ているようなそんな気がする。

「五年もつまらないおとこと付き合っていたとか信じられないな」

「自分で解決しているじゃないですか」薄笑いしながらネギくんは言う。「答え出てるようなものですって」

「相談乗りますの段階ではもうありませんね」美香も追随する。

「立ち止まってみて見えてくるものがありますよねえ」藤見は呑気な口調で鯛の骨を取っている。ネギくん、悪いことを言わない彼女を大事にしなさいと言いたいところだけれど彼は彼女の気持ちに気付くことは終ぞないのだろうな。

「付き合った契機は何だったんですか?」食べやすくなるのを待つ間にネギくんは交際の経緯を聞き出そうと試みる。この際に思い切って振り返ってみるのもありかもしれない。

 本田圭佑ではないけれど、そうしたら何か見えて来るものがあるやもしれない。

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