第4章 AD2023 4月 青空と緑の新芽と世界の定義
今日の祈念の方法
2023-04-13
4月13日木曜日
晴れていれば、朝の9時前後小半時を、部屋中の光と遊び、
虹を浮かべた珈琲をのみ、レモン水の底に七色を沈ませて、
錐子オババ の気分が自ずと明るくなり、憂いと心配と不安を忘却する
今日の祈念の方法:
真正の聖霊界とは
エネルギー波動 システムとメカニズム 存在と非存在の境界 光発生
実相界とは
波動がまれに収縮するとき素粒子となる〜物質存在(原子)となるがほぼ聖霊
ここがイデアの具現型の場所(=極楽、永遠、死は意識の理解によるもの)
幻像界とは
物質に光が当たると影ができる、反射光同士が影響し合い、不完全である
個別の存在意識が生じる 人類の世界理解の努力に注目できる
とりあえず今日の祈念:
「美しい尊い私である錐子菩薩さま」と試しに唱えたところ最高に嬉しくて、
幻像錐子オババ は眉に寝ジワの残るのも知らずに感涙したのであった。
「あなたもあなたも全て尊く美しい」
世界中を 地球を 宇宙を 褒め称え双の手に抱き抱える、どれだけ大きいあたしなの、自分でツッコミ。
そうそう、数日来、珍しく人との絡みを賜った
*ヴァルトラウトという恐ろしげな名前の女性が
日本語を喋る機会を探している、と人伝に聞いていたが、ついに電話がかかってきた。
興味深い経歴を聞き、彼女の素敵な家を拝見、近くにある大理石で作られた
本の彫刻展示と安藤忠雄による美術館を訪問
*棒術の仲間の男性がなんと、数学物理哲学倫理学の教師!かつ禅の瞑想家であることが判明、これは見逃せない!
*先日 偶然亡夫の声が一声録音されているのに遭遇し(2014) 一瞬の影響にかなりショックを受けた
数日して タイトルが付けられていない録音リストを たまたま クリックしたところ(2019)
録音内容は大抵鳥の声か音楽であるのに、
夫婦の会話が長々と流れてきた。
水掛け論になることが多いので録音したものだろう。JBの頭があまり働いていないのを感じた。
*何か一つずつでも行動しようと、ご無沙汰していたスマイルス氏に電話してみた、意欲的だ、錐子オババ 。
彼はやはり、ちょっと日本人風で、時々意味もなくへへと笑う、日本学が専門の税理士だ。
「心配しないで、僕かジャパンデスクの人か、必ず返事しますからね」
*イスラム教信者であるヌール、毎日一皿二皿のアラブ料理を運んできてくれる。
これまでは錐子オババ が階下の夫の元へ料理を運んでいたものだが。
彼女と宗教談義をする。唯一正しい教義だと確信しているようで、困ったものだ。
何となく捗ってる?
2023-04-21
4月19日水曜日
ここ1週間というもの、何かをする目的もなく画面を眺めて(テレビラジオ点けず)錐子オババ たいまんの朝夕である。
瞑想は本業であるので、しかし強制とはせず、できる限りは遂行する、
ドッキリがあったらありがたく驚かせてもらう という態度で。
しかしテーマは厳然として存在する。
いよいよ懸案の幻像界分析、
そして少し実相界との相似と相違の観察、思考実験
さらに、追加する、今日の祈念方法:
幻像界つまり、
触れるとあるかのごとき肉体と
不可視だけれど忙殺されている自分の意識無意識、
その産物である文化、科学など思念体系、
さらには、見えるかのごとき目前の地球、自然(生物、非生物)、人工物、宇宙、について、その時系列における出来事の知見も含め、
尚且つ、
不可視の代表と思っている霊界(死後の世界も)や
人類の頭と手と協力と努力から生じて来た諸々の幻の幻も忘れず、
なおまた、人類の意識から生じて集団意識ともなったかのような
道徳、倫理、信仰、宇宙観も頑張って大風呂敷に包み込む、
そして錐子オババ は果敢にも告げる、宣告する。
「これらはすべて無いのですから」
しかし、無いのだけれど、かと言って全くの嘘っぱちというのでは無い、
へその緒のように実相界への一筋の連結はあるはず、
これが人類の要である。(というのが錐子オババ のいわゆる世界定義の人類存在に関する部分の要点)
実相界とその背後にある聖霊界については、幻像界の物理学でおおよそすでに肉薄している、
天才たちががんばっていはいるけれど、聖霊界が排除されているので、
辻褄が完全に合わずに、もちろん難関に面しているが。
そしてこれらを踏まえて、あるいはこれらをいただいて、
聖霊界は我々の目には見えないが唯一の存在 もちろん、そのあるとなしとの限界様態においてであれ。
実相存在も我々の目には見えないけれど、
実はこの二つ(実は一つだが)以外はリアルには存在しない これに瞑目する。
そこがどんな感じかは知らない、まれに体験する人もいるのでお任せする。
錐子オババ の結論からの演繹法と
物理学者の下から積み上げる帰納法がなんとか重なってくれないか。
この気持ちで、行動としては、その時々に好きなお題目を唱える。
肉体と宇宙と意識とその産物の場所が 透明化され、聖霊に満たされ、
想像もつかないけれども
透明な自分意識と眩しすぎる実相の自分と手をつないで、
自分を含め全存在のあり得べき至福を喜ぶのである。
だいぶアホらしいことに見える。しかし真面目に捉えるほかない、
これらの妄想が科学を土台にしているからだ。
物理学の真理探究がここまで来なかったら決して錐子オババ もこんなアホらしいことに熱中していない。これまで同様死を恐れて、肉体的修行とかでそれを克服しようとでもしていたかもしれない。
かく、怠惰に過ごしていた(シリア人家族から日々アラブ料理を配給されて)錐子オババ にとって有難いことに、ドッキリは賜った。
何と言っても、怠惰と見える理由である大谷翔平観察という楽しい行為、
YouTubeやTwitterに提示される画面から選択クリックして飽くことなく回覧して回るのだが、
時に、意図しなかったものが出現する。(ところで意外にも、末の息子に大谷さんが酷似する一瞬があることも発見、まさか、と錐子オババ も笑い出したが、やはり似ているのだった)
ドッキリ:
その1、最初、こんなテーマであろうとは思わなかったのだが、まさに大谷さんの朝からの記事の影響で、鬱が軽減される、という記事。
あたってる~〜
脳に元気が(セロトニンやオキシトシン)がなくなったために(栄養偏重、日光不足、運動不足、過競争などにより)、心理的に凹み、パニックになり、自分の責任だと誤解する、ますます上がれなくなる。
その2、選んだ画面へのクリックがずれてしまったらしく、「単一電子宇宙仮説」なる説明記事へ。
電子が、性質不変のまま、時空のどこにでも現れることから、
何のことはない、錐子オババ に言わせると
巨大電子(つまり聖霊体)と時空のその時々に存在する現象(つまりこの我々小聖霊体2〜5%?)との関係究明まで、あと一歩という説である。
その3、田坂某氏による物理哲学らしき新刊解説に突然 飛び込んだ。
すべてに関して言えることだが、とりわけ現在の物理と哲学ないしは神学、その対立を止揚する行動がヘーゲル哲学の意味において必要である。
つまりは「正」「反」の双方が心を開いて話し合い、新たな思考へ統合される、そんな時代であると気づくべき人類の段階になっている。
その4、今度はTwitterから迷い込んだサイト、生物学的、心理学的精神病理学的に人類の意識を俯瞰すると、我々は永遠のネガティヴ病にかかっている、
これは単に心と脳の機能不全、病であるので、病理学的に治療することができる。
人類自らが人類はどうしようもない救い難い存在であると信じてしまった。
それは良心があるからなのだが、意識と心理が絡まってしまったために、
罪悪感と自己処罰行動が歴史とすらなってしまった。
これらの情報を得たからと言って、錐子オババ に何ができるわけでもないが、
密かにその思考を支える契機にはなるのだろう。
こんなことにばったり出くわすということが、第一面白い。
「またよろしくね、神さん」
その5、アインシュタインとフロイトの書簡の紹介記事 出現
人類の悲願である平和は、文化、文明の発達により人間の知性が破壊の衝動をコントロールできるようになる未来には可能となる、とのフロイトの希望。
その他の興味深い語彙:
「自分に起こったことがベスト」というとんでもない考え方、決定論的運命観??
同じく、結局は全知の存在が前提となっていると思われるのだが、
自由意志はあり人事は尽くすという前提。
サレンダーの境地、つまりはその後は神の計らいに委ねる。
4月20日木曜日
ここ数週間、早寝となっている錐子オババ
前夜も10時すぎると眠くなり、
ただ、ベッドで何の気もなく、珍しく地域の新聞(無料)を広げてみた。
今週末の日曜日、近くのバートゾーベルンハイムという街のマテウス教会でピアノトリオの演奏会あり、ベートーヴェンの「エルツヘルツォーク」だとか。
近くだし、というのが最も気に入った。それでも17時からだと帰りの足が大丈夫かわからない、と取り越し苦労を始めたのは、例の如く目覚めてからのことである。
バスはすでにない、列車を調べてみないと。でも駅まで遠いかもしれない。40年前に行ったことはあるが、などと。できれば車のある知人でもいたらいいけど、頼むのもなあ、切符がもう無いかも、とか。
ふと、よくある如く、朝のプレゼントがきた。
(「エルツヘルツォーク」だって? ひょっとして「大公」ではないのか?!)
それこそ最近夜の瞑想でよく聞いている曲だ、
それこそ亡夫JBの「コーヒー!」という声も録音されていたものだ。
それにドッキリさせられたのだが、その後も聞いているのはそれが大きな理由ではなく、単純にこの曲想が実に面白いからだ、
タイトルのいわれは知らない、メロディには古い記憶があるものの。
ともかく、
これはどうしても聴きに行こうと錐子オババ の屈しがちな心が強くなった。
それから電話だ。
そこへまず合気道のノル氏の方からかかって来た。先日フランクフルトのコンサートに行ったとか、これはオミット。
近くといえば、そうそう高橋夫人、日本語を喋る相手が必要な人がいた、しかし彼女もすでに友人と約束しておりダメ。
棒術師範のラファエラ だったらこれまた近くだからと電話すると(錐子オババ は元来電話苦手なのだが)、風邪気味なので当日決定すると。
後はボース村のはとこだが、今回も遠慮しておこう。(大体外国人と喋るのは気疲れするものだしね、外国人ってあたしのことよ)と誰にともなく説明しておく。
とりあえず、一人でも行き帰りする算段と決心はついた。
念のために、地図を見ると新旧2つの教会があって、新聞記事は情報不足だった。
思い切って電話してみる、カソリックの修道女と話す、
「こちらはマティウス教会、プロテスタントはマテウス教会なので、子供の洗礼とかでもよく間違えるのですよ」ですって!「コンサートはうちじゃありません」
プロテスタントの神父?と話す、
「そうですよ」「まだチケットはありますか」「無料ですよ、ただ来て貰えばいいのです」「あら〜(とつい日本語になって焦る)よかった!」
電話魔になったかのように、錐子オババ は突然夜、ドレスデンの旧友の寡夫にかけてみた。彼女の誕生日なのだ。クリスチアンは聞き取れないほどの声で、持病のパーキンソン病が悪化していると言った。幸い兄弟はいる。
無信仰の人には慰めの言葉が見つからない、錐子オババ は録音した「大公」からJBのコーヒーはどうした、という声が聞こえてドッキリしたと話した。すると彼は軽い笑い声を立てた。
断章 「春の小川はさらさら行くよ」
2023-04-29
4月29日土曜日
今夜はまた思い出して、ピアノ三重奏「大公」に浸りながら
地球上の全時空におけるあらゆる生命のありうべき至福を念じてみた。
ベートーヴェンの弟子であったオーストリアのルドルフ皇子に捧げられた曲とか。
亡夫の「コーヒーはどうなった?」という声付きの録音と、偶然にスマホ内で遭遇し、偶然に新聞記事でそのコンサートがあるとわかった。
コンサート 日曜日23日:
午後、最寄駅から15分のバートゾーベルンハイムへ、
3両つなぎの列車で、錐子オババ 結局一人で出かける。
菜の花の、春の野原を行く線路と並んで、
ナーエ川の支流には 春の水がたっぷりと湛えられ、
反対側は まだ枝ばかりの葡萄山である。
と思うと、程々の大きさの一戸建てが立ち並び
例により何がなし物悲しい、つまり家なき子の気分を少し味わう。
40年前に数度きたことのある街だ
こじんまりとした服屋がその頃は気に入ったものだ、
当時住んでいたミュンヘンのきらびやかな服屋とは違い。
しかし、駅前には全く見覚えがない。
教会通り9番というマテアス教会が、しかと発見できない。看板の少ないドイツ
曲がりくねった通りはいろいろあるが、建物の敷地が馬鹿でかく、
どこが入り口かすら判別つかず。
ここではないかと思いつつも、仕方なくさらに進んでいくと、
「何とか広場」に出た。看板小さすぎる
広場とは言いながら、比較的狭い場所に、
たくさんの古い建物とそれをめぐる路地があり、
古びた泉があってアイスカフェがあるのだが、その店の入り口が見つからないので、
薄ら寒いけれど外に並べてあるテーブルを選ぶ。
落ち着いて場所の確認作業だ。
おやつの時間なのでかなりの混みようだが、二十歳にもなっていないと見える細身の少女がてきばき老人たちを捌いている。
適当に焼きリンゴとティを頼む。
携帯の地図と実際の方向が一致しない、名称と場所が逆な気がする、
教会かと見当をつけた建物が図示されていない、
運ばれてきたのがアイスと生クリーム添えの熱いリンゴである!
こんなものを頼んだのか、とゆっくり食べている余裕がない気がして
外聞を気にせず、バクバク食べてゆく。
少女は7、5ユーロと言った、そんな安い?と驚くついでに、
プロテスタント教会はどこでしょう?と尋ねる。
予想通り、彼女は全く知らないらしい、推測とは逆方向を指すので、諦める。
信じられないが、20メートルくらいしかない路地に入ってみたところ
すぐに教会らしい入り口があった、しかしそれが正解とは限らない、
近づくと、良かった! 紙切れが張り出してある、ピアノトリオコンサート。
音合わせであろうか、音楽が聞こえてくる。
少し早すぎるので、少し歩いてみる。
辺りの建物も敷地も庭も、無用の空き地も、全て広々としている。
確かにいい気分だが、それがあまり好きでない錐子オババ 、
羨ましいのか、ずるいと思うのか、
こうして悠々と住むことのできるのは何故だろう、世界にはいろいろな住環境があるのに、などと無用の質問をしたりする。
三々五々、老夫婦たちが集まってきた。
無料だが寄付を忘れないでと書いてある。
まず前から3列目の席に座った、しかし移動して2列目の真ん中に陣取った。
というのも、2列目に座った紳士が楽譜を持っていたので、運が良ければちょっと覗き見くらいできるかと思ったので、すぐその横に座り直したのだ。
最高の席である。
ピアノ、ビオラ、チェロの協奏曲というわけだ。もう奏者が座っている。
そこらで買い物途中のおばさん、やや気難しそうなインテリ女史、肌の艶々した様子のいい中年男性、この3人である。
入ってくる聴衆とは顔見知りであるらしい、挨拶が交わされる。
なんと錐子オババ がその隣に座ったのは、どこかのプロフェッサーらしかった。
東洋人がポツンといい席にいては場違いであろうが、いた仕方ない。
曲の紹介を始めたのは、例の買い物かご持参のおばさんであったが、
しばらく引っ込んだときに身なりを整えていて、驚くほどに洗練された様子、
話し始めるとオーラすら漂わせていた。
教会内は薄ら寒いのに、羽織っていたものを脱いでピアノに向かった。
そして流れてきたのはもちろん、毎晩のように聴いているメロディであった。
その前にスマホで録音スタートさせておく。これで万全だ。
なるべく物音が録音されないように固まっている。
目の前なので迫力、かなりのものだ。
オーストリアの皇子と師弟関係にあったベートーヴェンは一緒に過ごしたりしていて、その時の心地を曲想にしたらしい。それでとことん明るく楽しく知的な仕掛けに富んでいる。
知人でもある音楽通の聴衆のみ、らしいので
楽章の合間に間違って拍手したのは一人のみだった、幸い錐子オババ も知っている。それが密かに自慢なのが自分でもおかしいので密かに笑った。
終わるとすごい拍手になった、本当の拍手である。
振り返って素早く見ると半分も人はいない、なのにこの大拍手、
ファンという人たち、なるほど、と
錐子オババ も図にのって安心して強い拍手を送る。
アンコールまではどうしても許さないという怒涛の拍手である、アンコールの後ももっともっとと鳴り止まないので、少しサービスしてくれたが、もちろん楽譜は用意してあった。楽師たちは汗を拭っていた、あるいは涙だったのか。
ともかく極楽の気分で楽しんだ、
さらに、帰ったら、亡夫のコーヒーは?に惑わされることなく
ゆっくり新品の録音を聴きなおそうと楽しみ。
さて、携帯を開けてみると、変なドイツ語通達が? 録音はできない設定です、そのためにはこのアプリを起動するといい、とか????一言も理解できないしどうしたらいいかもとんとわからない。つまり録音されていなかったのだ。
そうですか、神さん、何故かはともかく、そういうことですか、わかりました。
了解、と
外に出ると(20ユーロの寄付をして)この1時間の間に雨が降ったらしい。
なお残る小糠雨をストールで防ぎつつ、
駅から15分でまた出発点に帰り着いていた。
なんて気軽で素敵なんだろう。
まだこの話が続く。その翌日、ラジオから流れるあのメロディライン!
昨夜の演奏が録音されていたのかと思ったが、さすがにそうではないようだった。
いつも通りのこと、いいこと、いいことではないこと、困ったこと、未定のままのこと、不明なままのこと、いろいろ同時進行中。
危ない部類に入るのが、外反母趾の痛み再発!
別な意味で危ないとも言えるのが、あと40年は元気に生きられる、と急に思って意欲と楽しみが感じられた数時間前のこと。なのでこうして記録している。
******
0406 規格外人類いくたり名を成せる 末路哀れにプーチン その他
0416 わが鬱を忘れさせくる日と光 足長選手大谷さんも
0421 今やいざ 青色世界に参入と鍵束鳴らす鍵束草見に
0425 あはれなる命と思ひ至高なる我らと想ひ嗚咽止まらず
心眼に遂にとらふる至福なる命と宇宙 ことはりのはず
0429 40年余生あるよとたれか言ふ ふと惑はされ叶ふと選ぶ
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