第19話 ずっと優れていて、頼もしい
変わったのは僕だ。貴史じゃない。女になった。
変わらなければいつまでも変わらず、きっと一番近くにいたはずなのに。
そう思うと、とてもいたたまれない気持ちになって、湧き上がる思いが⋯⋯女の子ってすぐ、涙に変換される。狡い。
「貴史、心配しなくても大丈夫だよ。秀はとっても紳士的で、僕の怖いことはしないし。僕は⋯⋯えーと、秀のことが好きなんだ。
今まで言えなかったけど、秀に恋してると思う!」
周りがまたざわついてる。
今度はうちの高校の子もいるかもしれない。
遠巻きに、チラッと見られる。
観衆の中、大告白なんてするんじゃなかった!
後悔はいつも後ろから全速力でやって来る。
「東堂くんより?」
「酷いよ、そういう試すみたいなの」
「東堂くんよりもボクが好き? ずっと不安なんだ」
秀は瞳に影を写して、僕を切なげに見た。
あんな顔⋯⋯昨日、見たかもしれない。僕を『欲しい』と思う目。
身体と心は本当に繋がってるのか――。
なんだか不安になる。
それは昨日、あんなに気持ちよかったから。
だから、急に不安になる。
その気持ちに振り回されてないかって。
振り向くと、貴史は一途な目をしていた。何処までも真っ直ぐで迷いがない。
僕はここが起点になって、そこから旅立つ。
無重力空間に、ポーンとボールを放つみたいに。待って、もう少し離れずにいたい。
気持ちが矛盾する。
貴史という安全圏から飛び出すのは、思っていたより不安でいっぱいだった。
行ってこい、と言わんばかりに急に手を離され、僕は貴史を見た――。
それまでしたことのない見方で。
貴史はハッとした顔をしたけど「大丈夫だよ」と言葉にした。
秀が歩み寄って、貴史に頭を下げる。
いやいや、ちょっと待て。何故、そうなる?
「ごめん! 純ちゃんをもらう。本気なんだ。大切にするから」
貴史は静かにそれを聞いていた。
僕は何故か「ちょっと待って」と言おうとした。
そんなの困る。ふたりで話して決めないで。
「わかった。聞いてたのと違うな。骨があるな、櫻井は。俺からのお願いはさっき言った通り。『何があっても純を守ること』。例え自分を犠牲にしても、だ。できるか?」
「できるよ」
「それから、心配だから今まで通り、電車を降りるまでは送らせてくれ。何かあって、あとで後悔したくない」
「⋯⋯わかった。ずいぶん大切に思ってるんだね、純ちゃんのこと」
「ああ、我ながらどうかしてる。純のことを考えると、平常心て言葉が飛んでいく――」
それだけだ、と言わんばかりに貴史はホームに下りて行った。電車の発車を知らせる
「そんなに切ない顔、しないで。後悔してる? まだ今なら間に合うよ。でも、全力で取り戻しに行くけど」
「⋯⋯」
貴史の、手の温もりが残ってる。それは多分、僕への最後の贈り物に違いない。
僕はバカかもしれない。
もっと上手くやれたかもしれない。不安が不安を呼ぶ。
後悔しないなんて、嘘だ。
あんなに、あんなに、いつも隣にいたのに。
「行こう、遅れるよ。⋯⋯アフターケアはちゃんとする。後悔させない。ボクにして良かったなって、きっと後で思ってもらえるように努力する」
頷いて、引かれるように階段を下りる。何だか最悪の気持ちだった。
学校に行ったらきっと、皆もう知ってるんだろう?
でも僕は知らない。
僕の深いところにある、本当の気持ちを。
知らないんだ。
それは罪かもしれないけど。
あの手を離さないで、引き戻してほしかった自分がいる。
◇
「純」
こっち、とさゆりんがベランダから手を振ってわたしを招いた。
いたのは、さゆりんだけだった。
「えーと。話し合ったけど、わたしが代表になった。まずは、おめでとう!」
「⋯⋯ありがとう」
「そんなに誰かに想ってもらえるなんて、ないと思う! 良かったね、愛されてて♡」
いや、愛とか恋とかそういうのの区別、つかない。
「東堂くんのことは⋯⋯それは純にしかわからないことだし、いろいろ言う人もいるかもだけど、身近な人は男に見えない、とも言うしねぇ」
「そうなの!?」
「幼馴染なんて『げー』って人、多いと思うけど。純は違うんだ 」
「僕は⋯⋯貴史といると安心するし、こんな形になったけど、僕にとってもまだ貴史は大事な人だ」
さゆりんはちょっと悲しそうな顔をして、僕をギューッと抱きしめた。
それは男のとは違って、やわらかくていい匂いのする、花やお日様みたいなものだった。
僕を抱きしめると、秀も同じように感じてるのかもしれないと思うと、どこか複雑だった。
僕はそんなに素敵なものじゃない。
いつぞや夢見ていたさゆりんのハグは、確かに癒し効果があったみたいだ。涙は出なかった。
さゆりんは僕の背中をポンポンと叩き「よしよし」と言った。やっぱり、いい子だなぁと思う。
「日本は一夫一妻制だからね。別に、彼氏がふたりいても上手く回るなら良くない?」
運命論者とは思えない発言をさゆりんはして、僕を笑わせた。
そんなことをしたら、僕が大変なことになる。
ふたりとも愛が重そうだから。
「遠慮しとく」と言うと、その言葉に納得したように「そっか」と彼女は微笑んだ。花のように。
◇
貴史は尊敬しちゃうくらい、いつもと何処も変わらなくて、少し、不満になる。
僕のこと、大事だってあんなに連呼してくれたのになって思うと、何か今までと違うアクションがあるんじゃないかなって、期待してる自分がいる。
それは秀に対する裏切りじゃないかと言われたら、厳しい。でも、その言葉だけじゃない『大切な』何かが欲しい。
自転車を動かしてくれるとか、そういうことではなく。
◇
そんな事ばかり考えていると、秋は気紛れに雨を降らせて、僕たちを途方に暮れさせる。
傘をさして、ふたり。
「最近、雨、多いね」
「季節だからな」
雨の中、前もよく見ないで無謀に走ってくる自転車に驚くと、貴史はサッと僕の前に出て、路面に溜まっていた雨水まで被ってくれる。
にわか女子の僕は、天使に言われるまでもなくカバンからタオルをごそごそ出して、まず、貴史の頭と肩を拭く。そして、そのタオルを手渡す。
「ありがとう、助けてくれて」
間が空く。
僕を助けるということが、貴史にとって、どんな位置づけなのかはよくわからない。秀にも念を押していたし、どうしてそんなことになってんのか、わからない。
⋯⋯僕が女の子だからかな? 男だった時には小さくて頼りない僕でも、こんなに丁寧に扱われたかな? 男同士だったし、意識したことない。
適度な距離の、心地よい関係。
それが僕たちが築いたもので、今みたいに、どちらかが身体を張る必要はなかった。
「いや、いいんだ。これは俺の役目だから。櫻井ともそういう話になってるだろう? この役目があるから、お前と通えるんだし」
時々そういう「えッ!?」と期待させるようなことを言う。期待、なんて言い方、よくないかもしれない。
僕がまるで貴史の気持ちを計って、まるで何かをもらえるのを待ってるみたいだ。
それは彼氏持ちの僕にはいけないことで。
僕たち3人の中の協定に反するだろう。
傘を下ろした貴史の、高いところにある頭が濡れないよう、一生懸命、水色の傘を持ち上げた。背伸びして。
貴史が途中でそれに気付いて「もういいよ」と言うと、僕のはみ出して濡れた肩をタオルで拭いた。
やさしく、壊れ物に触るように。
「純の方が濡れたら、せっかく水を被った俺の意味がなくなるだろう?」
水色の傘は意味をなさなかった。
ちっとも青空には見えなかったし、僕たちを雨から守るには小さすぎた。
こんな傘より貴史の方がずっと優れていて、そして頼もしい。
心が、ギュッと絞られる。
選択、間違ったかな?
そればかり、何度も何度も繰り返し考えている。
多分、正しい答えなんてないから。
真剣に僕のことを拭く貴史に抱きつきたい衝動は、時空の彼方に去ってもらうしかない。
だって、受け止めてくれる手を拒否したのは、自分なんだから。
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