第18話 本能
『おやすみ、純。ボクのかわいいお姫様』
きゅーんという気持ちが、雪崩のように抑えることなくやって来て、たったこれだけの短いメッセージなのに、秀ってやっぱり女慣れしてる、と思う。
こんな言葉に動揺する僕もどうかしてる。
嫌でも思い出しちゃう。
いや、ダメだよ、そんなこと考えちゃうなんてさァ。女の子、今の僕は女の子なんだから。
やたらに触りたくなるなよォ。無いんだし! 人のモノなんだから。
⋯⋯泣きたい。やっぱり変態だ。
◇
「純さァ? もう、姉としてしてあげられることはないっつーか。こっちが女の子らしさを身に付けてあげようと努力しても、本能はさァー!! わたしだって管轄外だっつーの!!」
「⋯⋯なんかごめん。でも、⋯⋯んー」
「なんだその、『言葉にできないソレ』みたいなヤツ! 完全に引いてたよ? アレは。普段が純情そうな女の子だけに」
「僕?」
僕は自分を指さした。まだまだ女子として半人前にも満たないと思ってたから。
「そうだよ、そこの君! あ゛ー! どうすんだよ、これ。訳わかんねェ。神様にもガン無視されるし」
姉ちゃんはとぼとぼ、下を向いて部屋を出て行った。
今回ばかりはあのムカつく姉ちゃんに謝ろうかと思った。ベッドを下りて、隣の部屋をノックする。
「なぁに? 寝るとこなんだけど」
「開けてもいい?」
「⋯⋯いーよ」
僕は寝ないでゲームをしていた姉ちゃんの隣に腰を下ろした。心細くてくまちゃんを抱っこして。
姉ちゃんの視線はゲームの画面に集中していて、僕なんかいてもいなくても同じに見えた。
「天国にはゲームはないの?」と聞こうと思って口を開きかけた時、姉ちゃんは口を開いた。
「あのさ、一応、性自認、どうなってんの?」
「ええッ? 僕は男⋯⋯いや、今は女だよ」
昼間のことを考える。
あの時、僕は自分のことしか考えてなくて、自分が満たされてスッキリすることしか頭になかった。
それはそれで秀も気持ちよかったならウィンウィン、という訳にも。気持ちよさそうに見えたけど、それはそれ。
女の子から触られたら⋯⋯経験ないけど、きっと気持ちいい。女の子の指は特別製だから。
でも、僕を一瞬、奇妙な目で見た。それを知らないことにできない。
「性自認てのはつまりさァ⋯⋯」
「うん、わかってる。身体は神様のせいですっかり女だよ。それは僕も慣れたし。戻ったらまた混乱するかも。
心の中は⋯⋯実のところ、女の時が多いかなァ」
「あんなイケメンが傍にいればねェ。男だってキュンとなるわ。あ、男だって、のところは物の喩えだからね!」
「うん。でも僕さ、まぁ多分、知ってるんだと思うんだけど⋯⋯」
今まで生活を、心の中を覗かれるというのは決していい気はしないと思っていた。
でも今回ばかりは、詳しく説明しなくてもこの嘘くさいカウンセラーが相談に乗ってくれる。正直、助かる。
あんな気持ちになる人は少ないだろうから。
「身体はすっかり女だって、僕も思ってたんだよ。心の中もさ、ほら、さゆりんの手も繋いでみたいとか思わなくなったし。他の女子も同じ。
男子の方が、なんつーか、心が動く?」
「⋯⋯貴史くんも?」
「⋯⋯最近あんまり一緒にいないからアレだけど、同性ではないってことはよくわかってきた。ていうかさ、あの、キャンプの話! アレおかしくない?」
「あー、アレはなんていうかな、ほら、ちょいミス?」
勘弁してくれよ。心臓がもたないから。
貴史だって、女から見たら男にしか思えないよ。『凛とした』立ち姿を見ると、不意打ちされたみたいにドキッとする。ずっと知ってるはずなのに。
「でもさ」
「性衝動かー。思わぬ所でごめんな感じ。神様もそこまで考えてなかったみたい。
でもさ、これから女の子の感じ方に変わってくるかもじゃん? 経験が増えれば」
「そうかな。そうだといいけど。⋯⋯僕、今のままだと変態みたいだ」
膝を抱えてつま先を掴んだ。
親指が反り返る。
変態なのか? それとも女の子みたいにいつか、その、感じる時が来るのか? オプション装備のあちこちが。
◇
凛とした立ち姿。
はぁー。僕の気も知らないで、変わらない貴史にムカつくような、安心するような。
「純」
貴史は自転車を下りると、僕の額に、その大き過ぎる掌をベタっと当てた。
「お前、どこか悪いんじゃないか?」
朝の人通りの多いコンビニ前で、男に触られてたら赤くもなる! それがいくら貴史でも!
コンビニの中からガラス越しに、僕たちの一挙手一投足をガン見してる女子高生たちがいる。幸い、違う制服。
まったく僕が男の時みたいに、たまに遠慮なくなるんだよなァ。それが女子扱いの時とすごいギャップで、戸惑わずにいられない。
「⋯⋯どこも悪くないよ」
「顔が赤い。このまま送ろうか?」
「貴史が学校、遅刻するよ。大丈夫だから」
貴史は明らかにムッとした。
どうしてそんなに怒るのかわからなかった。
「俺はそんなに頼りないか?」
どうしてそうなる?
それって相対的に考えると、僕ってそんなにひ弱に見えるのかってことだよな。
失礼だな。
心の中にまだ、男の気概みたいなのは残ってるんだよ。
「早く行こうぜ。乗り遅れる」
「純! 無理は禁物だ。健康が何より一番だ。俺はお前に元気でいてほしい。お願いだから」
僕は自転車を下りてスタンドを下げ、思いっきり背伸びをして、貴史の頭に手をポンと置いた。
「考えすぎ。僕はそんなに脆くないよ。貴史が一番よく知ってる。確かに子供の頃は風邪引きやすかったかもしれないけど」
貴史の顔は見事に真っ赤だった。
僕は自分の手のやり場に困った。
このまま、頭の上に乗せておくわけにはいくまい。
「お前、天然。⋯⋯アイツにも」
「ほら、早く行くぞ」
後半は聞かなかったことにした。昨日の今日、今はそれを聞きたくなかった。
それに何故か、貴史に秀の話をするのはいつでも気が引けた。知られたくない。何を?
◇
貴史がいつものように自転車置き場で格闘してくれて、僕たちは陸橋を昇って駅の改札を目指す。いつも通り。
近づく中間テストは大丈夫なのか、貴史にしつこく聞かれる。自分でも少しはやる気出せ、と言いつつ、またプリントをくれるんだろう。
もし僕が望めば、どっちかの部屋で勉強を教えてくれることもあるだろう。
そういうヤツだ。
親切というか、僕に甘い。これは男の頃からだ。
Suicaをいつものようにスっと出すと、見慣れた人影に驚く。「どうして?」という言葉が胸の奥から突き出されるように転げ落ちる。
「おはよう、純、東堂くん」
貴史も唖然としてすぐに反応しなかった。それはそうだ。いるはずのない人が、目の前にいる。
僕たちの駅から学校の最寄り駅まで2駅だけど、秀のところからは30分以上かかるって話してたはず。
何故か貴史は僕の手を握った。
え、え、僕の視線は繋がれた手と、秀の間を行ったり来たりした。
いや、突然の事で驚いたとはいえ、どうしてそうなる? 火に油を注いでどうする? 秀は顔色を変えなかった。
ぐっと握られた手は、いつも変わらない、竹刀で鍛えられた堅いもので、何か強い気持ちが伝わってくる。
「えーっと?」
こんな時、どうしたらいいのか、あの天使は教えてくれなかった。それはそうか、半人前の女子の僕に、恋の指南は早すぎる。いや、されてる気もするけど。
「純、おいで」
「あ、うん」
たたたっと秀に駆け寄ろうとして、腕を引かれた。どうして、と思って貴史を振り向く。
どういう意図があるのかわからない。
「櫻井、お前、純のこと泣かせてないか? 無理させてないか? 純は壊れやすいんだ。そこのところ、わかってくれ」
秀は意外なことを言われて、怪訝な顔をした。そうだ、てっきり「渡さない」的なことを言われるのかと、僕だって思ってた。
貴史の僕を思う気持ちは――男の時も、女の時も、時間と比例して、その積み重ねで重い。でもそれが鬱陶しいと思ったことはない。
当たり前にそこにあるものだと、そう思ってた。その時までは。
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