第5話 「心外」
また自転車。
何も言わないで、僕の自転車を盗まれない、いい感じの場所に置いてくれる。こういうのは慣れないといけないのかもしれない。そう考えた。
貴史は男で、僕は今、女だから。
自転車をしまうと当たり前のようにSuicaを手に改札を通る。
少し急ぐ。
歩幅は男の時でも貴史のスライドが大きかったから、今は追いつくのは一苦労だ。今の僕は、小さい女子だ。
Suicaを出すのにちょっと手間取ると、もう小走り。
「純」
不意に立ち止まって振り向くと、僕が追いつくのを貴史は待っていた。じゃあ最初から気を使えよと思うけど、今までも、男だった時でもそうだったし、姉ちゃんは自然な流れが大切だと言っていた。
「スカート丈、良し」
「はぁ?」
「昨日、約束したから」
「アレって約束になる?」
「しつこい。約束は約束だ。よしよし」
バカにしてんのか、よりによって幼稚園児にするように、貴史は頭を撫でた。
「子供扱いすんなよ!」
「ほら、電車来る」
貴史は腕を横に上げて、黄色い線ギリギリのところに立っていた僕を下がらせようとした。
なんつーか。⋯⋯気が利く?
女子慣れしてない僕は、そういう貴史のジェントルな行動にすぐに慣れるのは難しかった。
そう、恥ずかしい。
自分が『弱い生き物』って思われてるのが、多分、恥ずかしいんだ。
電車は丁度僕たちの並んでいたところでドアを開き、押し込むように並んでた人たちが一斉に乗り込んだ。
「大丈夫か?」と訊かれる。電車は混んでる。やっぱり恥ずかしい。これ以上恥ずかしい思いはしたくないと思いながら「大丈夫」と答えた。
電車はいつも通り揺れて、早く2駅、過ぎないかなと気持ちが急いた。
ガタンと線路の繋ぎ目で大きく揺れる度、ふたりの身体がやや触れる。その度に「うわっ!」となる。
◇
「東堂くんはやっぱ普段からやさしい?」
さゆりんは好奇心でいっぱいの目で僕を見た。
「は? フツウにやさしいんじゃない?」
「またまたぁ!」
「なんでそんなこと聞くんだよー」
真佑が眼鏡の向こう、どこに焦点が合ってるのかわからない、どの強い分厚いレンズの向こうからボソッと言う。
「東堂くんは優良物件。みんなが欲しがってるから、でしょ」
さゆりんまで口を開いたまま、時が止まった。
僕の口もバカみたいに「え」の形で止まる。
······モテるのは知ってたけど、「欲しがってる」って、露骨。
「いつまでも自分の隣にいるのが当たり前と思ってたら、それは間違いでしょう? 何の努力もしないで手に入るものほど価値のないものはない」
真佑は素知らぬ顔でスマホに目を戻した。どうやらスリーマッチングゲームが得意らしい。
気持ちよく、パネルが連鎖して消える。
ドミノ倒しみたいに。或いはカメラのフラッシュが点滅する時のように。
芽依ちゃんが取り繕うように「『もの』は失礼よねー」と、いかにもお嬢な感じの発言をした。
場の空気は変わらず、昼休みは終わる。
◇
帰ろうと席を立つと、貴史も同じタイミングで席を立つ。隣同士だし、息は合わせやすい。
でもそれは機械的で、マニュアルに決められた通りの動作のようで、なんか違うんだよなぁ。
僕たちはもっとフラットだったはずなのに、そこには意識の違いみたいなものがあるように思う。
『優良物件』。
真佑の言葉を思い出す。そうかも。
努力しないで手に入るもの、確かにそうかも。
でも真佑の言ってたのとは意味が違う。
僕たちはいつかそれぞれソロになって、それぞれ好きな相手を優先するようになる。
僕には中学の時、ちょっとだけ付き合った子がいた。もちろん女の子だ。背の高さが同じくらいで、よくみんなにからかわれた。
『付き合う』ってことがよくわからなくて別れたけど、あの時、あの子は「東堂くんとわたしとどっちが大事?」と不思議なことを言った。
女の子ってわからないなぁ、そんなの明らかじゃないか、と別れ文句の書かれたスマホの画面をじっと見た。
入道雲の底が仄暗い。
雨が降るかもしれない。
◇
「よ、一緒に帰ろうぜ!」
僕たちの友だちだった
いつものことだ。
「おう」と答えると、貴史は渋い顔をして何も言わない。無口なのはいつものことなので、気にしない。
「東堂は愛想ってものを知らないよなぁ。ね、純ちゃんもそう思うでしょ?」
「え゛!?」
きもッ! 鳥肌立つから。
「鏑木、ウザ絡みすんな」
脳が硬直する僕に代わって、貴史がそう言った。
「なんだよー。まだなんにもしてないだろう?」
「これからするのかよ」
「なんでそんなに今日は怖いんだよー。純ちゃんからも何か言ってよ」
僕は懇願する鏑木に向かって、垂直に立てた右掌を見せた。
「⋯⋯あのさ、呼び捨てにして」
「え!? いいの!? マジ? 東堂だけの特権かと思ってた!」
「マジだよ、鏑木」
鏑木は目を点にして、僕を見て、貴史を見た。
「え? 俺も呼び捨て? なんか特別感高いなぁ。なんならさ、下の名前⋯⋯痛ッ」
貴史はあろうことかグーで鏑木の頭をゴツンとやった。
「狡いだろう、お前だけ純ちゃん、独り占め」
「狡くない。純のことは俺がずっと見てきたんだから」
その台詞には、いつも通り、何の感情も感じられなかった。ただ、貴史は僕と鏑木を置いてすたすたと昇降口の方へ歩いて行く。
「待って」
言葉は届かない。なんなんだよ。怒ってるのかよ。
⋯⋯独り占め。
そう言えば昨日、姉ちゃんが同じようなこと、言ってたなぁ。『束縛系』? 違うだろう。そういうのは付き合ってる時に使う言葉で、友だち同士ではあんまり使わないと⋯⋯。
「大変だなぁ、純ちゃんも。アイツ、気持ち読むの難しいしなぁ。ま、悪いヤツじゃないことは保証するよ! 一途だし!」
ぽん、と肩を叩かれる。
鏑木は元々、ちょっと軽い。あんまり物事を深く考えないヤツだ。
「そういうんじゃないよ。今まで通り、変わらない友だちだよ、鏑木も」
ポスッと軽く、鏑木の腹を殴る。へへへ、と笑って「それはキツいな、アイツもヘソを曲げるはずだ」と言った。
◇
駅までの道のりも、電車の中でも、貴史は何も言わなかった。呆れるくらい。
「お前ってホント、頑固だよな」と僕は、自転車を出してもらいながら言った。
僕の自転車のスタンドを下ろして貴史は「頑固?」とようやく一言発した。
「何が気に入らなかったのかわかんないけど、口きかないってのは子供っぽいんじゃないか?」
貴史は僕の方を見ると「お前こそ、自分のしたこと、考えてみろよ」と少し気持ちの入った声を出した。
「僕が何したって?」
「お前さぁ、俺の男友だち作るのはいいけど⋯⋯なんでもない。悪かった」
「おい、鏑木とのこと、怒ってんの? なんで? 俺だって友だちだろう?」
「俺の友だちだ。お前はクラスメイトかもしれないけど、一緒につるんでるわけじゃないし」
「何だよそれ? 僕の友だち関係に何で口出すんだよ? お前がなんて言っても、鏑木は友だちだ。アイツ、僕が困ってる時に助けてくれたこともあるし、悪いヤツじゃない」
それを聞いた貴史は自分の自転車のスタンドを跳ね上げて「心外」と一言いうと、サーッと呼び止める暇もなく、先に行ってしまった。
先に⋯⋯。
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