第25話 地球の磁力に逆らえない?
「ネェ! ヤッちゃったの!? マジで? アンタ何考えてんのよー! ⋯⋯つーか、自分で言ってることわかってんの? ヤラれたんじゃなくて? ⋯⋯ああ、ごめん、全部わかってんの。大丈夫、言わないで、こー見えてもわたしメンタル弱いから」
はーあ、と諦めるようなため息をついて姉ちゃんは自分のベッドに座った。ギシッというより、ドサッと。
「ビックリしたわァ、帰ってきて記録、巻き戻したらさァ。貴史くんなら大丈夫だと思って目を離したのがマズかったかァ。チッ、ヤラれた⋯⋯。あの男め。
『男でも女でもいい』とか、そーゆー意味なわけだったなんて。
つーかさ、アンタ、男に戻ってんの、わかってる?」
「わかってる、わかってる。それは嫌って程、わかってる。その⋯⋯大変だったし。よくわかんなくて」
「ああッ! この瞬間も神様が見てんのよ! わたしどーすんのよ! このままじゃ天国に戻れないわァー! 酔いがいっぺんにさめた! 男同士がいけないわけじゃないんだけど、あー、その、契約があんのよ!」
「⋯⋯ごめん」
「いーからスカート脱げ!!」
◇
何が起こったかは言うまい。
どうしてそんなに物事がスムーズに進んだのかわからない。貴史は『初めて』と言ったけど、見事にリードされてゴールまで辿り着いた。
男でも? 女でも?
考えようによっては、男の時からそういう目でずーっと見られてたのかと思うと、僕たちの友情っていうのはなんだったんだよ、と思う。
でもアイツは僕を腕に抱いて「性別とか超えた。お前が女になって、それで初めて気付いた。俺だってゲイなのかもしれないって、悩んだ時期もあったし、そんな目でお前を見る自分を止められない不甲斐なさに失望した。
でも結局、お前しか愛せない。お前が女になってもそうなんだって気付いた。理性なんてドブに捨てた」と淡々と語った。
「どうして僕なの?」
貴史はそこで口を噤んだ。いつものように言葉を待つ。
僕はそんなに上等な人間じゃない。
大した取り柄もないし、威張れるところもない。好かれる要素がわからない。
確かに女の子の時はちょっとかわいかった。自分でもそう思った。だから声をかけられても「そんなものか」と思った。
天使のサポートも功を奏した。
「わかんないな。好きになるのに理由って必要? もしあるとしたら、時間と相性かな。お前じゃないと何事もしっくり来ないよ。お前はしっくり来た?」
しっくり。
赤くなるのはもう勘弁だった。
身体中の血液が、上ったり、下がったりで大変だ。
「し、しっくり来た」
「満たされた?」
「言わせんの? あー、うん、なんか⋯⋯こんな気持ちになるなんて想像の斜めすごく上」
よかった、と少し自信なさげな顔で貴史は枕に頭を落とした。⋯⋯想像したこともなかったけど。
「やっぱり女の時の方が良かったんじゃないか?」
「すげー今更じゃね? それなら秀も蹴飛ばして、もっとグイグイ来れば良かったじゃないか!」
「グイグイ行ったが?」
「誘い方ってものがあるだろう?」
「⋯⋯難しいな。けど女の方が感じるって」
僕は両手でヤツの危険な言葉を止めた。
「やめれ! どっちにしても、もう『初めて』はお前にあげちゃったし!」
「女に戻ったら?」
「⋯⋯神様に聞いてくれ」
◇
それにしても、どうして貴史は僕が男と女を行ったり来たりして、動じないんだろう?
まるで最初から全部、知ってたみたいに。
「あーあ。これからは男同士の
父さん、冷蔵庫にビール冷やしてあるかな? 飲み直さなきゃやってられないワ。今期の査定⋯⋯絶望的だわ」
「ねぇ!? ますますややこしくなって、僕、どうしたらいいの? 姉ちゃん以外の誰に相談できんだよ!?」
「知らないッ、て言いたいところだけど仕事だから、引き続き担当させてもらいます。今回は天国側に不手際があったようで、誠に申し訳ない。
しかーし! 高校生の性欲が侮れないことはこれでよくわかった! 勉強させてもらったって貴史くんに言っておいて⋯⋯はぁ、忘れたい。なかったことにならないのかな⋯⋯」
ならない、ごめん。
今もまだ感触が残ってるんだもん⋯⋯。
◇
「おはよう⋯⋯、な!?」
「うん、なんかごめん。見ての通り⋯⋯。ガッカリした? 僕は朝から泣きたくなったよ」
そう落ち込むなよ、とやさしく貴史は言った。嫌われてしまうかもしれない。
僕は朝、目覚めると、何故か女になっていた。
トランクスが、一回り小さくなった尻にスカスカした。
「うん⋯⋯まぁ、二度目の『初めて』が待ってると思うと期待が高まるな。女のお前ももちろんかわいいし」
笑顔がやさしい。
僕たちは混雑した電車の中で、また小さくなってしまった手を繋いでいた。所詮、S極とN極なんだ。地球の磁力に逆らうのは難しい。
「それってさァ?」
手に汗をかく。顔はもう真っ赤だ。
「心配するな。女の方が問題なくヤレると思う。男じゃないとダメな訳じゃないって言っただろう?」
だよねぇ、とかそういう問題じゃない。
「昨日は多少、手荒だったから、今度はもっとやさしくする。心配するな、二度目も三度目も、全部お前にやるし」
「これから先もずっとってこと?」
「ああ、もちろん、ずっとだ。死ぬまで一緒だ」
死ぬまで⋯⋯気の遠くなるような時間の果てまで、この手を信じていれば僕の他人とは違う人生も随分、安心だ。
手を離されないように、ついて行かないと。
嫌われたくない。
僕は貴史に体を預けるように寄り添った。
「⋯⋯捨てないで」
「今朝はしおらしいな、随分」
「僕にもお前しかいないみたいだから」
「最初からそう決まってる」
男でも女でもいいなんて、豪胆なヤツだ。
◇
「えッ!?」
ベランダに出たさゆりんがカイロを持って座り込んだ姿勢で、教室内まで響きそうな声を出した。
「ご、ごめん。ちょっとビックリした。あの、純ちゃんはさ、櫻井と結局そのまま付き合うのかと。
ほら! 倦怠期ってあるじゃない? どうせそういうのだろうと、思ってたんだけど。⋯⋯幼馴染って、なんか、すごいんだね。驚き」
「うん⋯⋯、どうしたらいいと思う?」
「はぁ、まさかあの東堂くんがそんなに真正面から攻めてくるとはさゆりん、思わなかったなァ。彼、結局、奥手なのかもと思ってた」
「どうしたらいい?」
僕は焦っていた。
秀のことを嫌いになったわけじゃない。
何なら、二股だってかけられるかもしれない。
秀の好きな女に、僕は無事に(?)戻ったわけだし、秀の望み通り、受け入れ態勢万全の僕でいることはできなくもない気もする。
『初めて』は⋯⋯あげちゃったけど、それとは別のもうひとつの『初めて』ならあげられるかもしれない。
結局、どっちなのか、自分でも混乱してる。
女の僕は、どうしたいのか? どっちの時も貴史だけが唯一なのか。
貴史みたいにじっくり考えたわけじゃないから、理解が追いつかない。
「迷うも何も。二股して良心の呵責を感じながらやってくか、別れてそこんとこサッパリさせるか、どっちかでしょ? どっちがいいの?」
「⋯⋯わかんないの」
余程、僕が困ってると思ったのか、丸めた僕の背中をさゆりんはよしよしとさすってくれた。
さゆりんの女の子らしい手でさすられても、僕はやっぱりもう、さゆりんにそういう気持ちは持てなかった。
男なのか、女なのか、結局わからないのは僕なんだ。このたった数ヶ月、女だっただけで、物事の考え方が劇的に変わったから。
「しばらく距離を置きたい、っていうのはどうかな? よくある手だし。うーん、狡い手を使うなら『あなたのこと以外、なにも考えられなくなっちゃって♡』っていうのもあるけど、そうじゃないよねぇ。見てて、よくわかるもん。
とりあえず、それで試してみたら?」
女友だちって、ホント、有難い。
僕は僕の性事情を知らないさゆりんをハグした。もちろん、女子として。
サラサラしたその髪に触れてみたいと思ったのは、もう遠い日のことだ。
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