第28話 屋上には行かない
姉ちゃんはまたへべれけになって帰ってきた。
その時間に起きてたのは自分だけだったので、仕方なく介抱する。
嘔吐した形跡がないのはこちらとしても助かるんだけど、翌朝、記憶なくしてんのはどうにかしてほしい。
まったく⋯⋯。
天使の仕事ってのは、どうなってるのか?
片方のピンヒールが、カタンと玄関のタイルに落ちた。
「うう~、喉乾いた」
「水だね、わかった」
天使をドサッとベッドに落として、リビングまで戻る。グラスを取ろうとガラス戸を開いて、不意に思い出す。秀のこと。
忘れられることじゃない。
天使に水を飲ませて、布団をかけてやってから、スマホを手に取る。ちょっと時間が遅いけど。
『遅い時間にごめんね。ちゃんとご飯食べてるのか心配になっちゃってさ』
じーっと、画面を見る。瞬きを忘れて。
······眼力だけで既読が付くなら、と思ったらパッと付いた。
『起きてたから大丈夫。食事も純が心配するからちゃんと食べてる。今日はがんばって炒飯作った。ミックスベジタブルの、なんちゃってだけど』
ホッとする自分がいる。なんでこんなにこの人のことが心配になるのか、今は考えない。
『炒飯すごい! 僕、作ったことないかも』
『ボクはチキンライスが本当は食べたかったんだ。鶏肉がなくてさ』
ガッカリして苦笑いする様子が目に浮かぶ。
『明日、作っていこうか? 多分作れると思う』
少し、間が空く。
間が空くと、ドキドキする。悪い予感ばかり、頭をよぎるから。
『わかんないけど、距離を置きたいんじゃないの?』
今度は僕が返答に困る······。ベッドで胡座をかいて、答えを考える。
距離、置くとどうなるんだろう? しばらく会わないってことなんだよな、きっと。でもほら、ちょっとなら······少し。
少し、何? そしたらまた秀と離れがたくなって、貴史には「ごめんなさい」をするってこと?
そんな簡単なことなら、最初から悩まないよ······。
『ボクのこと、まだ好き? ボクは純が好き』
『僕も秀が好きだよ。だから、困ってる。僕の中の僕はふたりいて、意見が合わないんだ』
『難しいこと言ってくるなァ。シンプルじゃダメなの? 東堂とは別れられないの?』
その言葉にちょっと違和感を感じる。
貴史と別れるっていう感覚がわからない。アイツはそこに当たり前に居るもので、いない、ということがない。
それが、好きとか嫌いとかで変わるのか?
『やっぱりダメなの?』
僕は躊躇いがちに、フリックした。
気持ちが揺らいで、指先が上手く動かない。誤字る。
『そういうんじゃなくて、秀と別れないにしても貴史とはこれからずっと、別れるっていうのとは違うと思う。貴史とは何があっても、最低、友だちだし、それは変えられないよ』
『思うんだけど、男女の友情って成り立つものなの?』
『少なくともこの前までは普通に友だちだった。ずっと』
『何だかボクは分が悪いみたいだな』
『上手く言えないけど、同じ目線で比べられないんだ。僕が本当に心の底から女の子だったら、きっと秀から離れるなんて考えられなかったと思うんだけど』
『女の子でしょ?』
『女だけど、多分』
また間が空く。
こんなことしてても埒が明かないんじゃないかなって、焦りが出る。
『前にも言ったかもだけど、僕が男になっても同じようにしてくれる?』
『それが純にとって大切なら。でも、女の子でしょ? ボクはよく知ってるけど。純は心配しなくてもすごく女の子らしいよ』
胡座のまま、うなだれる。
まぁ、そうだよな。正常な反応。
だってさ、僕が男だなんて秀は思えないよ。男の僕を見たこともないし――。
知り合ったのは、女になってからだ。
『よくわかんないけど純のこと、きっと守るから。東堂が言ってたみたいに、壊れ物を扱うように大切にするよ』
その言葉は僕を骨抜きにする。
秀の瞳、やわらかな髪、そういうものがありありと目の前に思い出される。手を伸ばせば、届きそうに――。
そして僕は一文字、一文字、間違えないようにゆっくりフリック入力した。
『こういうのは狡いと思うんだ。会って目を見て話すべきだと思う。でも秀を見る度に僕は揺れちゃうから、許してほしい。
やっぱり、別れよう。正直、それがどんなことなのかよくわかんないけど、もう屋上には行かないよ』
少し間を置いて、返事が来た。
『わかった。振られることもあるから心配しないで。それから、実は屋上のほかにいい場所が見つけられなかった。屋上はやめなよ。風邪引かせちゃうから』
『ごめん』と打つべきか、打たないべきか、迷った。時間は僕を追い立てるように過ぎて行く。僕は、間違えたんじゃないかな? 秀の手を離さないで、ギュッと抱きしめてあげた方がいいんじゃないかな?
――それこそ、驕りだ。
僕が秀の全部を背負ってあげるなんて、できっこない。もしくは、僕はそれを諦めてる。つまり、やめるって決めたってこと。
『ごめん、純を背負いきれなかったね』
その一言は、秀から送られてきた。
既読はすぐに付いたはず。
僕は画面がオフになるまで、無機質な文字列を見てた。文字は文字だった。けどそこから何かが。
――決めたから。僕はもう、返事をしなかった。
◇
貴史の部屋は2階。
その窓の下で、思い切って自転車のベルを鳴らす。
チリン、という金属音が、深い夜の街に響く。
そっと窓が開いて、頭が見える。よかった、気付いてくれた。
気付かなかったらコンビニでコーヒーでも買って帰ろうかと思ってたとこ。
貴史は部屋着なのかジャージの上下にフリースのジャケットを肩にかけて現れた。僕を見て怒る。想定内。
「お前、見た目はかわいいJKなんだから、夜道をうろうろするなよ。せめて電話くらいしてくればよかったものを」
「くくッ、JKだって! 貴史の口からそんな言葉が出るとは」
多分、赤くなったはず。街灯は暗くてよく見えなかったけど。
「······だってお前、JKだろう? いいから、とりあえず上がれよ。静かにな。夜中にお前を連れ込んだってなったら、大事だ」
いや、もうこれ、連れ込んでるじゃん。
靴を脱いで、そのまま手に持って2階に上がる。すごい悪いことをしてるみたいだ。昼と夜の区別しかないのに。
「で、なんだ?」
「会いたかった、とかじゃダメなの?」
「いや、全然ダメじゃない。でも夜道は危ないから、今度から俺が行く。会いたい時はいつでも呼べ」
ごそごそ靴を片してる貴史の背中に、ダイレクトに飛び込んだ。
「おい! 油断してる時に危ないだろう?」
「······貴史、責任取ってよね」
ポン、とその分厚い手が頭の上に置かれる。丁度いい重み。
そうなんだ、貴史だといろんなことが丁度いい。
「······なんだ、0.7に賭けてみる気になったか」
「数字なんてどうでもいいよ」
貴史はそのまま、子供を宥めるように、僕の頭を撫でた。
「数字なんて無意味だ。幼馴染だって、遠い街に離れたりすればそりゃ、心にあった想いも冷めるだろう。
離れれば他に相手を見つけるし、普通の遠恋だって難しいのに、想いを伝え合わないまま離れた幼馴染とどうやって結婚にたどり着くって言うんだ?
今、幸運なことに俺たちはいつでもこうやって会えるところにいる。本当に幸運だ。俺はそれでいい。······もう悩むな。
言おうかずっと迷ったんだが······普通に幼馴染のままだっていいんだ。残りの99.3パーセントだっていいんだよ。だからそんなに悩むな」
「もういっぱい悩んじゃったよ。そういうの、ホント、言うの遅い。
普通の幼馴染にはもうきっと戻れないよ。無かったことにならない。
それにもう、決めちゃったんだ」
「おい」
「······僕とずっと一緒にいて。今までと変わらないで。僕は男の僕も、女の僕も、貴史に預ける。貴史がもしも女になったら、その時は僕が面倒見るから」
小さいのって、ホント不利。
後ろから抱きついていたのに、いつの間にか膝の上。子供じゃあるまいし。
「簡単に決めていいのか? 女としてのお前をアイツは大切にしてくれるじゃないか。そのまま、女になったら、きっと一生、大切にされると思うが」
「······どうしてそんなこと言うんだよ。貴史は、僕の性別なんか関係なく、僕を好きでいてくれるんでしょ? これからもずっと」
「恋人でも、友だちでも、お前が望む立場で」
すん、と鼻が鳴る。
涙は出そうで出ない。泣きたくない。女の子みたいだから。
「僕、多分、一生、男の自分を切り離せないと思うよ」
「関係ないだろう? お前はお前だし」
「貴史は貴史だしね」
その部屋は十分、暖まっていて、貴史は僕を温めるには十分な体温を備えていた。
別に肌を重ねたりしなくても、それで心地よかった。ちゃんと、満たされていく――。
鍛えられた身体に、おでこをグッと押し付けた。
「これからもよろしく、だな」
「よろしく······」
僕はしばらく、貴史の膝の上で小さくなっていた。太い腕が、抱きかかえていてくれるから、安心していられる。すっぽり入る、僕だけの巣穴みたいに。
少し眠くなる。居心地が抜群にいいんだ。
そのうち、貴史は言うだろう。足が痺れた、と。
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