十二月二十五日、クリスマス当日。


 草原に自走式タクシーが次々と到着し、〝サンタの空飛ぶそり〟を見物に来たクラウドファンディングの協力者たちを吐き出し始めた。

 子供もいる。家族連れが多い。大学生らしき若者の集団もいる。


 会場は昨日と打って変わって賑やかになり、まるでフェスティバルだ。クリスマスツリーの形で束ねられたハートや星型のバルーンが空に揺れ、端の方にはキッチンカーが勢揃いしている。肉の焼ける旨そうな匂いが丘の上にまで漂ってくる。


 俺はサングラスをかけたまま、丘の上からその光景を眺めていた。

 草原の中央部はカラーマーカーで囲まれ、誰も入れないようになっている。

 丘の向こうから現れたサンタの橇は、そこに降り立つ予定だ。


 キッチンカーと並んだ一角には、ロボット動物園の柵があった。

 小さな子供たちがさっそく中に入って遊んでいる。

 お役御免になった本物の動物たちが何を思うのか、俺には想像のしようもないが、人間のパイロットたちのような衝撃を受けることは、恐らくないだろう。


 別の場所には一人乗りドローンの展示ブースもあった。

 階段の多い歴史的な街並みを誇る観光地なんかでは、VR観光で済まさず実際に足を運んでもらうために、ああいう小型の電動垂直離着陸機 e V T O L を導入する例も増えているらしい。生身の人間が来ないと、特に料理業界では伝統が廃れちまうんだ。

 

 長い階段を飛び越え、高層ビルの窓から宅配。

 その程度の飛行なら、誰もが当たり前のようにこなす日が来るだろう。

 人間は大昔から空を飛ぶ夢を見てきた。

 その夢はもう、現実になったってことだ。


『父さん、そろそろ時間になるから、スタンバイしてくれ』

 ヘッドセットからジョージの声が聞こえ、俺は会場とは反対方向に、丘のなだらかな斜面を下りた。

 静かな草地に、ルドルフとサンタの橇が待機している。

「今日はよろしくな」

 鼻息を漏らすルドルフの腰の辺りを叩き、俺はコックピットに乗り込んだ。

 シートに身を沈めて、一つ深い呼吸をする。


 昨日のテスト飛行は成功した。ジョージとケインと他の仲間たちは興奮した面持ちで、これぞサンタの橇だと大絶賛してくれた。

 久しぶりのフライトだったが、俺としても手応えはあった。

 感覚はしっかり取り戻せたつもりだ。


 客を乗せて飛ぶのとは違い、上空にいるのは俺一人だから、多少揺れても酔って吐いたり、クレームを入れる奴はいない。その点は気が楽だ。

 ただ、今まで見る側だったのが、今日は見られる側になる。

 そこは本当に少しだけ、緊張するな。


 充電確認OK。今日は風も強すぎず、怪しい雲もない。フライト日和だ。

 ジョージにスタンバイできたことを知らせる。

『了解。会場にアナウンスを入れる』

 少し待つかと思いきや、すぐにまた声がした。


『父さん。離陸前に悪いけど、ちょっといいか』

「どうした」

『顔を合わせたら、たぶん照れくさくって、何も話せずに終わると思うからさ。

 昔、ひどい態度を取ったこと、謝りたいんだ』

 なんのことを言っているのか、即座にわかって、俺は呼吸を止めた。


『俺、ただ、悔しかったんだよ。本当はパイロットになりたかったのに、もう目指すことすらできなくなってさ。

 俺たちばっか、なんでだよ。もっと早く生まれてたら、それかいっそ、もっと遅く生まれてたら、こんな思いしなくて済んだのに……って。

 父さんを馬鹿にしたかったわけじゃない。

 パイロットなんて時代遅れなんだから仕方ないって、自分に言い聞かせるしかなかったんだ。それで、あんな苛つかせる言い方になった。ごめん』


 しばらく何も言えなかった。

 そうだったのか。


 俺は、自分こそが時代に恵まれないと思っていた。

 今まで他の奴らが全うしてきた当たり前の人生を、得ることができない。

 せっかく追いかけ苦労して掴んだ夢を、手放さなければならない。

 失う俺の痛みを、手に入れる前に失った奴には、わからない。

 そう思っていたんだ。

 

「ジョージ。お前は本当のことを言っただけだ」

 気付けばそう口にしていた。

「俺は、もう落ち目だと思われたくなくて、お前に八つ当たりした。

 ロボットのことを何も知らずにあんなことを言ったが、ここでお前の仕事を見て、考えが完全に改まった。

 だから、謝るのは俺の方だ。ジョージ、あの時はすまなかった」


 少しの間、返事がなかった。

 やがてジョージが、了解ラジャーと小さく言うのが聞こえた。

 無線機にノイズが入る。


 ジョージが誰かに話しかけられ、返事をするのが聞こえた。

 アナウンスが終わったのだろう。

 いよいよフライトだ。


『離陸してくれ、父さん』

「OK、離陸する」

 互いに幾分、鼻詰まりの声を交わし合う。


 俺は電動モーターを起動させ、回転数が上がっていく音に耳を澄ませた。

 計器を見ればわかることでも、五感はたっぷり使うべきだ。飛行機ってのは風速や気温の変化で微妙に機嫌を変える。いち早くそれに気付けるのは人間の方だ。

 もう十分だと思ったところで、操縦桿を手前に引く。


 ルドルフの鼻面が空を向き、前の蹄が固定翼と共に浮かび上がった。

 しばらくそのまま垂直に浮上し、ある程度の高度を得たところで、今度は機体の後部を持ち上げる。

 ジョージとケインは姿勢制御の補助スイッチを使ったそうだが、そんなお節介野郎、俺には不要だ。手動で三舵のバランスを取り、水平の姿勢を優雅に保つ。


 プロペラのチルト角度を変えると、橇が空中を走り始めた。

 なだらかな丘の斜面を見えない手で撫でるように、草を寝かせて進む。

 俺にとってはまだまだ、こんなもんじゃ「飛んだ」に入らねえな。


 速度が上がると風が起き、景色が乱れ、木々の梢が後ろに走った。

 最新式の高出力電動モーターは音が上品だが、それでも唸りが獣めく。

 モーター音が途切れ、機体の下から丘が消え、重力が体を抜けた瞬間。


 飛んだ。


 眩しい空だ。


 無線機から歓声が聞こえる。ジョージが興奮している。

 地上からは橇が、空の遥か彼方からやってきたように見えただろう。

 昨日より高度も速度もある。見栄えがするはずだ。


 光の粒が機体をすり抜けてシャワーになり、俺のあばらを洗い流していった。

 真夏の日差しがごく間近から、サングラスを突き抜ける。 

 ルドルフが身を斜めに捻り、大きく旋回して上空を一周。

 ちらっと見えた地上は、まるでカラフルなキャンディをまき散らした抹茶ケーキのようだった。抹茶テイストはキミカの好物だから、俺も覚えちまった。


 空中の見えないレールを大きく左右へなぞりながら、風に乗って高度を下げる。

 地上で子供たちが走り回り、跳ねているのが見えた。

 サンタがいかつい顔の男だと知って、失望しないといいが。

 ガキの頃はともかく、今の俺は確かに、サンタってガラじゃねえからな。


 本当は衣装を用意すると言われたんだが、俺は断って、キミカから贈られたワインレッドの半袖シャツと、自前のジーンズを身に着けていた。

 この方がサングラスも似合うし、それに、還暦祝いの品だ。

 赤ん坊に戻ったつもりで、二度目の人生を始める。

 ガキの頃の夢を叶えるのに、これほどふさわしい服があるか?

 

 昨夜ホテルの部屋で、この色のシャツでちょうど良かったと伝えると、キミカは笑って、呪文みたいな言葉を呟いた。


「人間万事塞翁さいおうが馬」

「なんだ、それは?」

「うーんと、日本の諺でね。物事にはいい面と悪い面があって、終わってみなければどちらかはわからない、って意味かな」


 それからキミカは、いつも日本を思い出す時の、少し寂しげな目をした。


「日本がこんなことになってなかったら、私はたぶん、還暦に赤いものを贈ろうなんて、ちっとも考えなかったと思う」


 物事にはいい面と悪い面がある。

 キミカのその言葉が、今の俺には沁みた。


 パイロットを夢見てエアラインの機長になった。

 それが駄目になり、小型飛行機で観光客を乗せるようになった。

 それも駄目になって、ガキの頃の夢を、息子のお陰でこうして叶えている。


 ずっと時代に恵まれないと思っていた。

 今ならわかる。それは、片側しか見てない奴の台詞セリフだ。

 自分で客に言ってたじゃねえか。

 海が見えない時は、空を見たらいいんだよ。


 ゆっくりと旋回の幅を狭め、俺は草地のカラーマーカーの中に、ルドルフと橇を静かに着地させた。

 電動モーターを完全に停止させてから、防風キャノピーを上げる。

 

 音の洪水が押し寄せた。

 デモンストレーションの成功を知らせる場内アナウンス、拍手に口笛、いつの間に配られたのか、客たちが手に持つクラッカーの破裂音。

 紙吹雪、シャボン玉、学生バンドの賑やかなクリスマス音楽。


 片手を吊ったジョージがサムズアップを突き上げ、泣き笑いしていた。

 キミカも、ケインも、他の仲間たちもみんな家族みたいに笑い合っている。


 ああ、サンタの気持ちがわかったよ。

 あんたもちゃっかり、最高のプレゼントを受け取ってたんだな。


 俺はコックピットを降り、ルドルフの背を叩き、サムズアップを返した。

 カメラのフラッシュ、子供たちのデカい目玉、赤い服着たファンキーな爺さん。


 誰かが叫んだ。メリークリスマス!

 俺も叫んだ。メリークリスマス!

 

 ――空へ。



<了>

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プレゼント in the sky 鐘古こよみ @kanekoyomi

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