キミカが悲鳴を上げて俺の腕にしがみつき、俺は身を強張らせる。

 トナカイはスキー板のようなものに乗り、鼻面を天に差し向けて地面と垂直になった。スキー板は後方に長く、トナカイの後ろにも大きな赤い物体が乗っている。


 そり

 色とトナカイからして、サンタクロースの乗る橇だとしか思えない。


 そいつらは地上10メートルほどの位置まで垂直に浮上すると、地面と水平になるよう姿勢を直して、滑るように前へ進み始めた。

 どうやら、俺たちの立つ場所を目指しているらしい。

 近づくにつれ徐々に高度を落とし、草をかき乱して着地する。


 言葉を失っている俺とキミカに、ジョージがやおら説明を始めた。


「<サンタクロースの空飛ぶ橇を実現するためのプロジェクト>。

 これが俺たちの取り組んでいる事業だよ。

 橇は電動垂直離着陸機 e V T O L 、トナカイはロボットだ。

 実を言うと最初は、エイプリルフールの冗談だったんだよ。

 仲間内で楽しむつもりで、クラウドファンディングのページを作った。

 そしたら、思ったより協力者が集まって、資金がみるみるうちに貯まっていっちまって……最初はすぐに謝って返金しようとした。

 でも、思い出したんだ。

 俺は子供の頃、サンタになって空を飛びたかったんだよなって」


 まるで俺のようなことを言う。

 思わず顔をまじまじ見ると、ジョージは気まずそうに目を伏せた。


「それで……思ったんだ。もしこれを、本当のことにしてしまえたら。

 たとえばイベントなんかに、空飛ぶサンタを派遣する。

 橇とトナカイの組み合わせを応用して、観光地で走らせる馬車なんかを造ってもいい。小型商品の宅配を鷲やオウムの鳥型ロボットに任せたら?

 白いフクロウに手紙を届けさせる演出なんか、結婚式で映えるんじゃないか?

 要は動物と乗り物の融合だよ。面白いんじゃないかと思った。

 それに、そんな事業ができたら、空を飛ぶ仕事が一つ増えるんじゃないかって」


 それを聞いて胸を衝かれた。

 ――ロボットなんざ人間の仕事を奪うしか能のない奴らだ。

 俺はあの時、高校生のジョージにそう言ったのだ。悔し紛れの暴言だった。

 だがこいつは、ロボットを使って、人間の仕事を増やそうとしているのか。


「うまくいくかはわからないけど、俺が動物ロボットアニマロイドの研究を始めたのは、このためだったんじゃないかって、今では思ってるくらいだ。

 ドローン作成してる友達に声をかけて、他にも仲間を片っ端から集めたお陰で、〝サンタの空飛ぶ橇〟は素晴らしい出来栄えになったって自負してる。

 お披露目会はきっと大成功だ。そう思って母さんと、それに父さんも招待するつもりでいた。実際、昨日までは何もかも上手くいっていた」


 少し間を置いて、ジョージは腕のギプスを軽く叩いてみせた。

「俺が操縦する予定だったんだ。こんなことにならなきゃね」


 橇の防風キャノピーが開き、中から誰かが降りてきた。

 背の高い若者だ。にこやかに挨拶し、ケインと名乗る。

「恥ずかしいなあ。ルークさんは凄腕のパイロットなんでしょ? 大手エアラインを辞めてまで自分が操縦することにこだわった本物の空の男だって、ジョージから聞いていますよ。そんな人に俺の付け焼刃の飛行を見せるなんて……」

「おい、ケイン」


 ジョージが焦った様子で腕を小突くと、彼はおどけた顔をして口を噤んだ。

 キミカが目を丸くし、俺を見上げて微笑んだ。

 今のは、聞かなかった方がいいのか。

 俺はどういう顏をしていいかわからず、トナカイと橇に歩み寄る。

 

 本物のトナカイを知らない俺にとって、それは十分本物に見えた。

 近づくと、ゆっくり首を揺らし、瞬きをした。

 威嚇のつもりか、枝角をこちらに向けてくる。

 蠅の飛ぶ音を聞いて耳を震わせ、ブルルと鼻息を漏らす。


「よくできてるわねぇ」

 隣にキミカが来て感心した声で言った。

「これがロボットなんて、今の技術は本当にすごいわ」

「そうだろ?」

 いつの間にか後ろに立っていたジョージが、誇らしげに頷いていた。


「本物の動物じゃないから餌や飼育場所の心配もなく、子供でも近づいて細部の観察ができる。最近じゃ本物の動物の飼育は一部の研究施設だけにして、レジャー目的の動物園は動物ロボットアニマロイドに置き換えようって動きがどんどん広がってる。

 ゆくゆくは宇宙へ持って行くこともあるかもしれないと思ってるんだ。地球の自然環境がどんなものだったか、そこで暮らしていく人たちが忘れないように」


 宇宙。

 急に話がデカくなって、俺は内心で仰け反ったが、ジョージは真剣な面持ちだ。

 慣れた様子でトナカイの首筋を掻き、ぽんぽんと叩いてみせる。


「こいつはルドルフ。骨格と毛皮の90%がカーボンナノチューブ由来の素材だから、とても軽くて丈夫だ。本物のトナカイの動きを組み込んでるんだぜ。

 実を言うと飛行には邪魔なんだけど、サンタクロースの橇だからそうも言っていられないだろ? 大人しくって匂いもしないし、メンバーたちには大人気だ」


 よく見ればふかふかの毛に包まれたひづめは、橇の下で前後に長く伸びる、二本のスキー足から突き出た棒に支えられていた。

 飛行中は脚の内部に仕込んだ機械が働き、空を駆けるような動きをするという。


「すごいな」

 感嘆が素直に口をついて出た。

 ジョージは一拍置いてから、まあね、と照れくさそうに笑う。

 赤く塗られた橇の周りを俺が歩き始めると、ジョージも後をついてきた。


「橇はさっきも言った通り、電動垂直離着陸機 e V T O L なんだ。つまり、滑走なしで真上に離陸できるってこと。一人乗りだけど、後ろにプレゼントくらいは載せられる」


 機体の形状はシンプルだった。よくある小型飛行機から、機首のプロペラと翼を除き、胴体の後ろ半分をぶった切って、乗用部に尾翼を直接取り付けたような見た目をしている。

 トナカイが乗っているスキー足の前後には、水上飛行機のフロートのような長いパーツが横たわるように取り付けられていた。

 どうやらこれが固定翼で、推進力と浮力を発生させる仕組みがあるらしい。

 その上部には小さなプロペラが四つずつ並んでいた。

 防風キャノピーは後部にスライドしたまま、コックピットが露わになっている。操縦桿とラダーペダルは小型飛行機と同じものだ。計器類もある。

 

「小型飛行機のライセンスを取得したのか?」

 元々は自分が操縦する予定だったのだと、さっきジョージが言っていたことが気になって、俺はなんとなく小さな声で聞いた。

「いや、違うよ。金を貯めた時にはもう、養成所のほとんどが閉鎖されていた」

 同じように小さな声で、ジョージが答えた。


「こいつは操縦の仕方こそ小型飛行機と同じだけど、条件さえクリアすればライセンス取得なしで飛ばせる、〝ライトレクリエーションエアクラフト〟なんだ。

 もちろん、うまく飛ばすにはコツがいるから、フライトクラブの教官に出張費を払って来てもらって、何か月も前から練習を重ねていた」


 声に悔しさが滲んでいる。

 俺は頷きながら、キミカと話しているケインを見た。


「彼も訓練を積んでいたのか?」

「少しはね。操縦は俺がする予定だったから、すっかり油断していた。さっきのフライト見ただろう? 昨日の今日じゃ、あれが精いっぱいなんだ。

 明日来る客たちは、ここで何を見られるかを知っている。今日の父さんたちほど驚いてくれるといいが、まあ、難しいだろうな……」


 ようやく事情が見えてきた。

 空港で会ってからここへ来るまでの、覇気のないジョージの様子。

 てっきり俺を嫌がっているのかと、勘違いしていたな。


 先ほどのケインのフライトを脳裏に思い浮かべる。

 垂直離陸をしてから10メートル程度の高さを、自走式タクシーが市街地を進む程度の速度でゆっくりと飛んでいた。真っ直ぐに飛んで、降りただけ。

 昨日まで特に訓練もしていなかったことを考えると、飛ぶと決意しただけでも大したものだ。むしろその勇気を褒め称えていい。

 とはいえ、初見の驚きがなければ確かに、盛り上がりには欠けるだろう。


 俺は拳を握った。

 こいつは〝ライトレクリエーションエアクラフト〟だとジョージは言った。

 小型飛行機の簡易版といったところだ。広大なオーストラリアでは昔から活用されてきた乗り物だ。飛ぶのにライセンス取得は必要ないが、決められた健康診断と、インストラクターの訓練を受ける必要はある。

 元々ライセンスを持っている俺なら、すぐにでも乗れるってことだ。


 ――俺ならもっとうまく飛ばしてやれる。

 そういう思いが、腹の底から湧き上がっていた。


 コックピットに扉はなく、側面のステップを踏んで、防風キャノピーを開けた上部から乗り込む形だ。俺はステップに足をかけ、ジョージを見た。


「飛ばしていいか」

「え?」

 ジョージは口を開け、俺と橇を交互に見やる。

「うまく飛べたら、明日は俺にこいつを操縦させてくれ」


 様子を窺っていたらしいケインが、見るからに表情を輝かせて駆けてきた。

「ルークさん、飛んでくれるんですか!」

「でも、父さんがサンタクロースの橇なんて……」

 戸惑った顔つきのジョージがそう言うのを聞いて、俺は、どうやらイメージに合わないことを始めたらしいと気付いた。


 そうか。

 あいつが小さい頃はエアラインのパイロットだ。泊りの仕事もしょっちゅうだったし、キミカが仕事を辞めて家にいてくれていたのに甘えて、俺はほとんど子育てってものを知らずに過ごしてきた。

 口下手でいかつい顔の父親がサンタの橇に乗るなんて、あいつからしてみれば、そりゃ想像もつかないことだろう。


「言っておくがな」


 他にうまい説明も思いつかない。

 俺は咳払いをして、ストレートに事を運ぶことにした。


「俺だってガキの頃、サンタになりたかったんだ」

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