本能で惹きつけられたなら、泥と血に塗れた戦場から目を逸らせはしない

 ストーリーや文章の巧みさについては、他のレビュワーの方が書かれているので、少し異なった切り口でこの作品の〈強さ〉を語ってみたい。


 純然たる事実の持つ力というものがある。

 過酷な環境で行われるペンギンの子育て。
 長い距離を旅する渡り鳥。
 肉食獣と草食獣の駆け引き。
 全てを破壊する巨大なトルネード。

 ドキュメンタリーというのは、純然たる事実に近づくほど、攻撃力が上がるようなところがある。
 その点、動物や自然現象は有利だ。なんせ、演技を仕込むことが難しい。やらせの可能性が低いのだ。
 探査機はやぶさが大気圏突入により幾つもの光跡となった映像は、多くの人々の心を打った。あの美しさが演出されたものではないからだ。

 情報に慣れ情報から自己防衛している現代人は、常に偽情報や工作を疑っている。過剰な演出や見え透いた意図は冷笑の対象となりかねない。

 科学ニュースや野生動物ドキュメンタリーではなく、国際情勢や戦争ならどうか。戦争は常にプロバガンダや情報工作と不可分だ。事実を求めるなら、工作があることを前提として、そこにある意図から背景を探り、多方面の主義主張を集めて情報を精査しなければならない。
 ネットには大本営発表から一兵士が撮影した映像、おまけに AI によるフェイクまで溢れている。リテラシーと情報に向き合う精神力。見る者に要求されるレベルが上がる。

 結果、話題に関わらない選択をする者が増える。日本なら尚更だ。「面倒くさい、興味ない、関係ない」と。俺自身、そうではないとは言い切れない。

 2024 年 1 月。各国のジャーナリストが何人も殺され、残っていた者達も次々とガザを撤退した。
 こうして、一層ガザの状況は伝わりにくくなり、それこそが過激なシオニストの思う壺なのだが、我々は非当事者として振る舞い見て見ないふりをするか、冷笑をもってこれを評するかもしれない。やれ「御用カメラマン」だとか「勝手に死にに行って迷惑をかけてる」とか。

 純然たる事実は一体どこにあるのだろう?
 それは凡ゆる所に散在している。深い泥に塗れて――


 この構図は、創作でも変わらない。ともすれば、プロパガンダは作者の主義主張であり、やらせはキャラクター達の演技、切り取り編集は語り手のご都合主義だ。
 そう思えてしまったとき、読者は冷笑し、読むのをやめるかもしれない。
 戦争や政治といったテーマになれば、読者の警戒心は高まる。説教臭さや作者の主義主張に敏感になる。あるいは「面倒くさい、興味ない、関係ない」と距離を置いて、手に取ることさえしないだろう。

 だが、ジャーナリズムには表向き許されていない武器が創作にはある。エンタメ性だ。
 距離を置かれるテーマへと非当事者を引き込むには、ジャーナリズムの領分である純然たる事実のもつ攻撃力、一見それと相反するエンタメ性の両立が突破口となるはずだ。


 この作品、鉄条網の魔女はどうか。

 魔女達は時に凶暴な肉食獣であり、全てを破壊する巨大なトルネードだ。
 圧倒的な暴力と強者が持つ格好良さは、ヒトの本能的な快感を刺激する。

 魔女達は時に渡り鳥であり、大気の摩擦に砕けて輝く探査機だ。
 極限状態に置かれた人間たちの盲目的なまでの勝利と生への渇望は、ヒトの本能的な情動を駆動する。

 そこには、しみったれた説教臭さもお行儀良さもない。野生的なエンタメ性が魔女への求心力を担い、読者は彼女達から目を離せなくなる。

 一方で、現代の兵士が小型カメラで撮影しインターネットの濁流に投げ込む動画のように、克明に描かれる泥と血に塗れた戦場は、読者に純然たる事実を突きつけ問いかける。

 絡み合い、相乗しながら、エンタメ性と事実の持つ攻撃力が極太なストーリーを作る。読者に冷笑する隙を与えない。

 なんて〈強い〉物語なのだと。
 そう思う。

 事実というのは、語り部が担った時点で、その攻撃力と純粋性を失ってゆく。そう、この物語の〈強さ〉という事実も俺がレビューにした時点で、どんなに細心の注意を払っても演出と意図が混ざり、攻撃力と純粋性を失うのだ。
 つまるところ、あなたはこのレビューを読んで冷笑しているかもしれない。今まさに。

 純然たる事実はここではなく、物語の中にある。
 一人でもそれを求める者が増えることを俺は願う。

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