魔法というファンタジーと、戦争が見せるリアリティが併存する力作。
無慈悲で冷徹な戦争の中で、有力な兵器体系の一端を担う「魔女」たちの活躍を描く作品。
戦車、毒ガス、機関銃、鉄条網といった、新たな戦争の形を作った「第一次世界大戦」に酷似した世界感を背景に、強力な兵器として重宝される魔女たち。
彼女たちは兵器でありながらも、時折、年端のいかない女の子としての表情を見せる。
国家と政治の都合で「敵」と呼ぶ事になった人間。もしかしたら友人になれたかもしれない人間たちを凄まじい魔法の力で引き裂き、大量に殺す事になる彼女。
国のため?仲間を守るため? 血まみれの戦いは何の意味があるのか。
苦悩、葛藤を抱えながら、魔女たちが最後に見る光景に平和はあるのか――
第一次大戦の塹壕戦をモチーフに、動員された魔女たちが戦場を駆ける……と言ったら簡単に聞こえるかもしれないが、ちょっと文章がレベチ過ぎて圧倒されてしまう。これ本当に無料で読んでいいのですか……あとでお金とか取られないぃ?
主人公が「鉄条網の魔女」というのも、この戦争の本質を表していて、彼女がいるからこそ戦争が成立するというのもじつに心苦しい。いや本当、幸せになってくれよ……と思う。
しかし、シリアスな物語の中に、個性的な魔女たちの日常が展開していて、不思議とユーモラスで、命のやり取りをする戦闘とのメリハリがついている。
そして、なんと言っても好きなのが、この時代特有のレトロフューチャー的な世界観。武装飛行船に複葉機……スチームパンク好きな人にも絶対オススメできる。
一話一話の文章が長い? そんなものなんでもないさ。
……はい。認めます。負けです……俺の完敗だ。みんな読んでくれ。
これはカクヨムの看板になるべき作品だ。
もうね。
圧倒的です。
レビュワーも魔女が出てくる戦記物書いているんですが、完敗を認めます。
魔女が圧倒的な力を有する兵器であると同時に、一人の女の子であることを見事に描いている筆力に舌を巻きました。
主人公アメリアは戦っている最中は正義も何も無くてただ敵を無慈悲に倒します。
そうしないと自分や自分が守りたいものが死んだり傷ついたりするから。
でも、完全に人の心を失ったわけではなくて、悩んだり葛藤したりします。
戦争の酷さや愚かさをきちんと描きながら、そこで悩み傷つきもがく人は美しいという矛盾したことを成立させているのが凄い。
そして、繰り返し提示される「銃後はない」というテーマ。
直接戦っていないものも戦争の当事者であるということは、各地に戦火が広がる現代において、とても考えさせられる命題だと思います。
私はむしろ好物ですが、百合展開が入りますので苦手な方は注意。
それと1話が長く、毎回文字でぶん殴られますので、明るく静かな場所でゆっくり読むことをお勧めします。
ストーリーや文章の巧みさについては、他のレビュワーの方が書かれているので、少し異なった切り口でこの作品の〈強さ〉を語ってみたい。
純然たる事実の持つ力というものがある。
過酷な環境で行われるペンギンの子育て。
長い距離を旅する渡り鳥。
肉食獣と草食獣の駆け引き。
全てを破壊する巨大なトルネード。
ドキュメンタリーというのは、純然たる事実に近づくほど、攻撃力が上がるようなところがある。
その点、動物や自然現象は有利だ。なんせ、演技を仕込むことが難しい。やらせの可能性が低いのだ。
探査機はやぶさが大気圏突入により幾つもの光跡となった映像は、多くの人々の心を打った。あの美しさが演出されたものではないからだ。
情報に慣れ情報から自己防衛している現代人は、常に偽情報や工作を疑っている。過剰な演出や見え透いた意図は冷笑の対象となりかねない。
科学ニュースや野生動物ドキュメンタリーではなく、国際情勢や戦争ならどうか。戦争は常にプロバガンダや情報工作と不可分だ。事実を求めるなら、工作があることを前提として、そこにある意図から背景を探り、多方面の主義主張を集めて情報を精査しなければならない。
ネットには大本営発表から一兵士が撮影した映像、おまけに AI によるフェイクまで溢れている。リテラシーと情報に向き合う精神力。見る者に要求されるレベルが上がる。
結果、話題に関わらない選択をする者が増える。日本なら尚更だ。「面倒くさい、興味ない、関係ない」と。俺自身、そうではないとは言い切れない。
2024 年 1 月。各国のジャーナリストが何人も殺され、残っていた者達も次々とガザを撤退した。
こうして、一層ガザの状況は伝わりにくくなり、それこそが過激なシオニストの思う壺なのだが、我々は非当事者として振る舞い見て見ないふりをするか、冷笑をもってこれを評するかもしれない。やれ「御用カメラマン」だとか「勝手に死にに行って迷惑をかけてる」とか。
純然たる事実は一体どこにあるのだろう?
それは凡ゆる所に散在している。深い泥に塗れて――
この構図は、創作でも変わらない。ともすれば、プロパガンダは作者の主義主張であり、やらせはキャラクター達の演技、切り取り編集は語り手のご都合主義だ。
そう思えてしまったとき、読者は冷笑し、読むのをやめるかもしれない。
戦争や政治といったテーマになれば、読者の警戒心は高まる。説教臭さや作者の主義主張に敏感になる。あるいは「面倒くさい、興味ない、関係ない」と距離を置いて、手に取ることさえしないだろう。
だが、ジャーナリズムには表向き許されていない武器が創作にはある。エンタメ性だ。
距離を置かれるテーマへと非当事者を引き込むには、ジャーナリズムの領分である純然たる事実のもつ攻撃力、一見それと相反するエンタメ性の両立が突破口となるはずだ。
この作品、鉄条網の魔女はどうか。
魔女達は時に凶暴な肉食獣であり、全てを破壊する巨大なトルネードだ。
圧倒的な暴力と強者が持つ格好良さは、ヒトの本能的な快感を刺激する。
魔女達は時に渡り鳥であり、大気の摩擦に砕けて輝く探査機だ。
極限状態に置かれた人間たちの盲目的なまでの勝利と生への渇望は、ヒトの本能的な情動を駆動する。
そこには、しみったれた説教臭さもお行儀良さもない。野生的なエンタメ性が魔女への求心力を担い、読者は彼女達から目を離せなくなる。
一方で、現代の兵士が小型カメラで撮影しインターネットの濁流に投げ込む動画のように、克明に描かれる泥と血に塗れた戦場は、読者に純然たる事実を突きつけ問いかける。
絡み合い、相乗しながら、エンタメ性と事実の持つ攻撃力が極太なストーリーを作る。読者に冷笑する隙を与えない。
なんて〈強い〉物語なのだと。
そう思う。
事実というのは、語り部が担った時点で、その攻撃力と純粋性を失ってゆく。そう、この物語の〈強さ〉という事実も俺がレビューにした時点で、どんなに細心の注意を払っても演出と意図が混ざり、攻撃力と純粋性を失うのだ。
つまるところ、あなたはこのレビューを読んで冷笑しているかもしれない。今まさに。
純然たる事実はここではなく、物語の中にある。
一人でもそれを求める者が増えることを俺は願う。
戦争映画の情景や映像が頭の中に浮かぶ作品。
魔女と呼ばれるうら若き少女たちが兵器として扱われることを受け入れ心を殺し現実を見据えそれぞれの大切なものを守るため前線で黙々と職務をこなす姿が、読者の心を激しく揺さぶります。
初めはストライクウィッチーズのシリアスな感じかな?と軽い気持ちで読み始めてみましたがとんでもない、前述した「戦争映画のような」メッセージ性のあるストーリーと息を呑む緊迫した戦闘シーン、魔女たちの複雑な心情描写に引き込まれ、時間を忘れて一気に読み進めてしまう奥深い作品でした。
とはいえ、戦争をモチーフとした凄惨で重苦しい雰囲気がずっと続くわけではありません。登場する魔女やお姫様や兵隊さんはどこか前向きで明るく魅力的で、年相応な少女たちの微笑ましいやり取りに癒やされます。また一話の文字数が多めで、その内容は一話一話スッキリとした区切りになっているので、読書が大好きな方々にはどっしりとした読み応えを得ることができるかと思います。
皆が望む平和な時代が訪れることを期待しながら読むオススメ作品ですね。
ちょっとこの作品は別格です。読んでいて寒気がするほどの没入感を味わいました。
アメリアちゃんはまだ少女と呼ばれる年齢ながら、最後の砦ジャバルタリク要塞線の戦線を支える「鉄条網の魔女」。小柄で弱気で可憐な容姿の彼女の戦いは……有刺鉄線を操り、数多の敵兵を無惨な肉片と化せしめる凄惨なもの。敢えて恐怖と憎悪を掻き立てるその姿は、強い意志とともにどこか儚さを感じさせます。
彼女とともに戦場を地獄に変える魔女戦隊の面々もまた魅力的です。圧倒的な火力で敵兵を薙ぎ払うもどこか破滅的な「炎の魔女」リタ、淡々と任務を全うするも人と竜の境が曖昧になる「竜の魔女」ケイリー。皆それぞれの思いを抱えつつ絶望的な戦争に身を投じています。
舞台は第一次世界大戦をモチーフにしているそうで、兵士達は塹壕に身を潜め、泥と血にまみれて照準のむこうに敵兵の姿を見ます。圧倒的な力を持つ魔女もまた例外ではなく、銃弾は平等に彼女らを穿ちます。
泥と血にまみれ、敵兵と味方の死に心を凍らせ、それでも戦い続ける魔女の姿、是非ともその目でご覧ください。