ここでもこれでも誰でもない

目々

ⅼimited

 待ってくれ、今電気点けるから。端に寄ってくれると助かる。玄関狭いからさ、君の靴踏んじゃうかもしれないしな。


 ……よし、点いたな。じゃあ、上がってくれ。洗面所、洗濯機の横だから。見りゃ分かるだろうけど。トイレはそこ、風呂の横。照明のスイッチはドアの横にあるから。言っても君そんなに酔ってないしな、吐くような真似もしないだろ。


 悪かったな、終電もうちょっと気をつけてやればよかった。

 国東先輩、悪い人じゃないんだけど、酔うと寂しがりになるんだよな。後輩でもOBさんでも男女問わず見境なしに引き止めるから、こないだサークル長から説教されたんだけどね。たぶんまた色んな人から怒られるだろうから、今日は許してやってくれよ。一番近くて一人暮らししてんのが俺ぐらいしかいなかったから、俺んちなんかに泊まることになっちゃったな。かわいそうに。


 野郎の一人暮らしだから、そんなに片付いてるって胸は張れないけどね。元々物、あんまり置いてないんだよ。極論課題用のPCと寝床にテーブルあればいいかなって感じだし。本もね、どうしても捨てらんないやつだけ。あとは電子書籍だよ。現代人らしいだろ。

 明日の朝どうする? 俺は明日コマない日だから、君の都合で出てくれて構わないけど──そっか。井島先生の授業なら出席取らないけど、あんまりサボり過ぎんなよ。単位落として留年なんて馬鹿らしいにも程があるから。学生なんだからさ。


 なんか、あれだな。部屋に人がいたこと、あんまないからどうしていいか分かんなくて、落ち着かない。どうしよっか、もう寝るっていうなら毛布出すけど──え、


 飲み直しましょう酒もありますって、本気?


 コンビニ寄りたいっていうから、てっきり明日の朝食でも買ってんのかと思ったのに。外で煙草吸って待ってるとき、ドリンク棚にいたのは見てたけどさ。こんな量買ってたのか。なんかおっきい袋下げてきたなとは思ってたけど、まさか中身全部酒とつまみだとは思ってなかったな。煙草も買ってますってさ、誤差だよ。吸うなら台所で換気扇回して吸ってね。吸うのは止めないけど。

 もう明日までどうでもいいからって、こんな量買うこたないだろうに。バイトしてるから大丈夫ですって、駄目だよ酒にばっかり注ぎ込んだら。身の破滅だよ。じゃあ何買えばいいんですかったら、俺にもよく分からないけど。


 別に飲むのはね、全然構わないけど……大体さあ、俺とサシ飲みして何が楽しいの。そんなに面白いこと言える人間じゃないよ、俺。それこそ国東先輩みたいに明るいわけでも趣味が多いわけでもないし。

 人嫌いなんですかってのは、まあ。そんな聞かれ方したら、困るくらいには苦手だよ。嫌いじゃない。どっちかっていうと得意じゃないっていうか、下手っていうかね。人付き合いがさ、基本的に。分かるだろ。だからあんまり飲み会とか買い出しとか参加してない、っていうと情けないけどな。事実だから仕方がない。サークルに顔出すの、学祭関連と定例報告会ぐらいだからね。今日の飲み会に参加してたの、何となく逃げそびれただけだから。たぶん数合わせだったんだろうけど、帰れとも言われなかったから、ずるずる最後まで居たってだけだよ。


 そういうつまんない先輩相手の飲みでいいっていうなら、せっかくだしね。君も明日自主休講休みだっていうならさ。いいよ、飲もうか。十二時回ってるけど、俺もどうせ今日は夜更かしするつもりだったし。

 ただあれだな、ただ黙って飲むってもんでもないだろ。でもこういう状況で何話せばいいのかって、俺分かんないんだけど。趣味もね、あんまりないから。何聞きたい、君──あ、そう。


 じゃあ先輩のこと話してくださいってのはあれか、自己紹介っていうか、自分語りをしろってことかな。

 うん。

 別にいいけど、本当にそれでいいの?


 嫌だってわけじゃない。それでいいなら、それを君が聞きたいんなら喜んで話すけどさ。

 ただね、そんなに面白い話はできないと思うし、その、ちょっと……何だろうな、妙な話になるかもしれないんだよな。それでも大丈夫っていうなら、いいよ。知られて困ることでもないしね。ただこう、説明がタルくなっちゃうってだけでさ。普通なら嫌だろ、喋ってる人間だけが楽しいたぐいのつまんない話を延々と聞かされるの。飲みの席でそういうことすると鬱陶しがられるって、俺だって聞いたことはある。

 でも今日はほら、君が聞きたいって言ったんだから。大義名分がこっちにある。はは、なら大丈夫か。何なら一夜の宿を盾に取ったっていい。しないけどね、そんなことは。追い出したりなんかしないよ、今更。だったら最初から連れてこない。


 じゃあ、乾杯。飲んだら話すから、ちゃんと酔ってくれな。そうしないと、困る。


 そうだな、自分のこと……あれだな、やる気がないんだよ。

 一番最初がそれですかって言われても、俺の行動理念の基本みたいなところだからね。前提は先に出さないと、後の話が続かないだろ。


 やる気がない、ってだけだと不十分かな。自分で言うのもなんだけど、あまり欲がないんだよね。最低限快適に、不足なく過ごせればそれでいいっていうかさ。現状で満足できてるならそれ以上とか興味ないみたいな。そういう怠惰な感じ。

 向上心がない! そう、それだ。すごいな君、その表現だとしっくりくる。向上心のないものは馬鹿だ、っていうしな。漱石と芥川のどっちだっけか。読んだ覚えはどこかであるんだけどな、ちゃんと覚えてないな。ふふ、向上心がなくって馬鹿だ。

 要するにさ、欲って不足しているものを埋めたいから持つだろ。不足したままの現状に我慢がならない。なんとかして不足を埋めてやろうっていう考えがあるから、みんな色々頑張るわけじゃん。昼に学食の百円のじゃりじゃりかき氷食べたけどもっとうまいやつ食べたいから、街に出て千円ぐらい払ってシロップも氷もこだわりのかき氷を食べよう、じゃあ稼ぎを増やしていい店探してみたいなさ。より良い品を得るために手間を惜しまない、みたいなやつ。


 こういうのあれなんだけど、母さんがね。そういう感じの人だったんだよね。

 いや、全然悪い人じゃないよ。ただちょっとこう……熱心っていうか、より良い成果のためになら努力がいくらでもできる、みたいな感じかな。


 それこそ君の言葉を借りて、向上心がある、って表現でいいのかもしれない。真面目なんだよね根が。一つ物事をやり遂げてもそこで満足しないで、もっとうまくできるんじゃないか、もっといいものが手に入るんじゃないかみたいなことを考えて、そのために邁進できる。そういう感じ。


 いいお母さんじゃないですかったら、そうだと思う。殴ったりはしなかったしね。物質的な不自由とかはした覚え、ないから。今だって学費と生活費、出してもらえてる。それってとても恵まれたことだと思うよ。俺としてはね。


 ちょっと朝ごはんの鮭がおいしいって言ったら、県外の市場に行って買ってきたりさ。学校の水泳が楽しかったって話をしたら週一でプールに連れて行ってくれるどころかスイミングスクールに入れてくれたし。進学先の中学が荒れててちょっと怖いって話題に出したら、引っ越すか受験するかの話になったりもしたな。さすがにね、金がないって父さんが諦めさせた。母さん家出とかしたけど、一週間ぐらいで戻ってきた。

 なんだっけ、そういう故事あったよな。孟母三遷? あれもすごい話だよな。ただあれはさ、結果として子供が大成したから。甲斐のある投資だよ。


 さっきも言ったけど、確かに恵まれてたとは思う。でもさ、限度っていうか程度問題みたいなとこあるじゃん。靴が欲しいったら一日がかりで街の靴屋回るのは……子供には辛いよ。しかもそうやって回って、結局一番最初の店に戻って買って、それでも不満げでね。

 もっといいのがあるはず、こんな田舎じゃなくて都会だったらもっと選択肢があるはずって。そういう文句をさ、真っ暗になった車の中でずっと聞くんだ。こんなところにいちゃいけない、もっと楽しくないといけない、もっと幸せにならないといけない。そのためにはお母さんも頑張るから、家族でもっと頑張らないとってさ。


 きりがないんだよな。実際いいものもわるいものも、このご時世じゃあ無限にある。そうやってより良いものってやり続けても、妥協しないと苦しくなっていくっていうのにさ。

 上を見ればきりがないし、下を見たって際限がない。ちょうどいいところで基準を決めないと、それこそどうにもならなくなるっていうのにね。そういうことだけ、母さんはどうにも分からないみたいだった。


 で、まあ……当たり前だけど、子供もその対象だった。もっとできるはず、もっと頑張れるはず、もっと結果が出せるはず、みたいなね。努力しただけ結果は出るもので、そうじゃなかったら努力が足りなかった怠けていただけっていう理屈。


 俺はね、怠け者だったから早めに諦めたし諦めてもらえた。兄さんが本命だったから。


 うん、いるんだよ兄さん。二人兄弟。たぶんね、これ知ってるのサークルでも君だけ。話す機会、なかったから。

 そもそも俺はほら、『兄さんよりいい子ができるかもしれない』みたいな意図だったろうからさ、生まれた理由が。そういうところも努力したんだろうね、母さん。だけど初っ端、幼稚園の頃から明らかに兄さんより出来が悪かったから。運動会のかけっこでぶっちぎりのビリだったし、ひらがなもちゃんと読めるようになるの、遅かったから。目論見が早々に上手くいかなかった時点で、俺にこだわる理由がそんなになかったんだよ。


 兄さん出来が良くってさ。幼稚園の話はまだるっこしいからしないけど、中学校でも勉強はずっと学年一桁の順位にいたし、部活でやってた剣道でも新人戦で優勝してたし、文武両道だって色んな人に褒められてた。高校だって地元じゃ名門扱いのとこに合格して、大学もちゃんと国立にストレートで入ってさ。

 母さんの期待した通りだよ。俺も兄さんはすごいと思ってた。やればできる人っているんだなってさ。俺とは物が違うんだなって納得してたから、嫉妬とかは……そんなに、してなかったと思う。程度が違い過ぎると、憎むまでいかないんだよ。先に自分のことが嫌になるから。


 なんだっけ、これも昔何かで読んだんだけどさ、捕虜がノルマにちょっと足りないぐらいに仕上げるみたいなやつ、分かる? 全くできないと始末されるけど、完璧にこなすと生かされたまんまで負荷が増えるからってやつね。法と人道がないこと言ってるけど。

 いきなり何の話ですかったら──まあ、前振りだよ。想像つくだろ?


 兄さん、成人式の日に久々に友達と飲み会行って遊んでくるって連絡を寄越してね。そんで、それきり帰ってこなかった。死んじゃったからね。


 遺書っていうには微妙だけど、俺んとこにメッセージが来てた。標準のゴシックフォントで『この日が俺の人生の最高の日だと思います』ってね、一文だけ。

 それだけ残して、始発に飛び込んでおしまい。聞いたとき、あんなローカル線で死ねるんだなとかそんなこと考えてた。地元の私鉄、遅いんだよね。それこそ都会の、こっちのやつと比べたらさ、亀だよ。


 説明、いる? ──そうだね、それで合ってると思う。

 大人になって、友達と酒を飲んで、夜を徹して遊び回って、子供じゃできないことを仲の良い友達と試してさ。

 そうやった結果、この先の自分の人生で今より幸せな瞬間ってないんだってことと、そんなもの欲しくもないっての、両方に気付いちゃったんだろうな。

 兄さん、頭良かったから。母さんみたいに努力で全部どうにかできるっていう……根性論と理想論? をさ、結構早い時期に無茶だって分かってたんだろうね。自分にできることの限界みたいなのもさ。

 そんで成人までは我慢して、もうこれ以上は頑張る甲斐がないなって納得した。教わったことと自分の結論が矛盾しちゃったら、じゃあもうぶん投げるしかないもんな。やってらんないもの。というか、やるだけ無駄だもの。その辺見切って実行できたのも、すごいなって思ってる。俺にはできそうにないしね。


 まあ、そういう感じでさ。あんまり上見て欲しがっても、どうしようもなくなっちゃうんだなってのを教え込まれたわけよ。兄さんでさえ駄目だったのに、俺なんかはこの先、もっとどうにもならないだろうから。だからこそ現状維持が最低限、ただ黙って終わりまで静かにしていよう、みたいなさ。それはまあ、そういうのが性に合ってるってのもあるし、やっぱり俺が怠け者ってのもあるし、あとは……一応ね、訳もあるから。

 実演しようか。逃げるなよ。


 でもさ、俺も思うんだよ。もっと頑張ってちゃんとした社会人になったらさ。こんな安くて甘ったるいチューハイじゃない酒を飲めるんだよ。俺たちには可能性があるんだから、こんな安酒で我慢してるっていうのはただの怠惰の証明でしかなくて、つまり努力が足りないってだけでさ。いいものがあるんなら欲しがっていかないと──。


 すごい音したね。

 たぶんね、コップ。朝に使って帰ってから洗おうって、シンクに置いといたんだよね。割れちゃったかな。あれちょっとは気に入ってたけど、壊れたんなら仕方がない。前はね、茶碗割られちゃって。買い直すのも面倒だから、それからずっと皿に盛って食べてる。困ってないんだけどね。


 こうやって高望みするとね、兄さんが怒るんだよ。

 なんだろうな、身の程を知れって怒ってんのか、そんなことしててもろくなことにならないって警告かってのは、分かんないんだけど。

 怒ってんなら母さんのとこいけばいいのにって思うけど、それはそれでひどいかなって気もする。母さんはまだ怒ってるから。だから俺のとこしか行く場所がないのかな。友達んとこだって、所詮は他人だからいつかは迷惑になっちゃう。そういうの、嫌だろ。友達との夜が最高だったんだから、尚更。自分で自分の大事なものを台無しにするのって、一番つらいことだろうから、きっと。


 じゃあ、台所片づけてくるよ。酔っ払う前にやらないとさ、怪我しちゃうだろ。

 いいよ、ゆっくり飲んでな。どうせ朝までいてくれるんだろ。大丈夫、余計なことさえ言わなければ、兄さん怒んないから。心までは読めないから、口に出さなきゃ大丈夫。

 だからさ、朝まで飲もうよ。せっかくたくさん買ってきてくれたし、まだ始発まで時間もあるし、ね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここでもこれでも誰でもない 目々 @meme2mason

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ