第2話

 普段より一本遅れの電車に乗ったものの、遅刻することなく会社に到着できそうだ。心の中で一安心する。ここから会社までは約50分。いつものパターンならば、あと数駅進むと次第に乗客が少なくなり、座席に座ることができるはずだ。そして座席につけば、待ちに待った日課の時間だ。




 今日は1本遅いからか、思ったより早く座れた。モミモミワールドのデイリー周回をこなすため、スマホを手に取る。これが自分の通勤時間における、毎日のルーティンとなっている。これがないと1日が始まらないとさえ感じている。毛玉トラブルも、モミモミワールドが解決できる。




「モミモミワールド(以下モミワー)」は、人気ゲーム「モミモミファンタジー(以下モミファ)」で知られるゲーム会社「モミータ」が制作したスマートフォン用ゲームで、昨年からサービスを開始している。モミファは大昔に元々TRPGとして作成されたが、ビデオゲームにシステムをうまく落とし込み人気を博した。モミファの生みの親であるモミータは、去年50周年を迎えた。


 モミワーは、モミファのスピンオフとして、モミータ創立50周年の目玉として配信された。モミファがもつ魅力的なキャラクター群と、自由度の高いTRPG要素をスマホゲームに上手く活かし、リリースから好評だった。


 モミワーでは、"デイリーダンジョン"と称される特別なクエストが存在する。レベルアップやパワーアップの素材を集めるためのものだ。プレイヤーは1日に5回まで挑戦することができ、経験値取得、お金集め、素材集め、この3種類から選択し、その日の行動を決めることになる。素材集めも、レアリティアップやパワーアップの素材と装備制作、強化用の素材とごった煮で取得することになる。限られた回数しか挑戦できないため、毎日の悩みどころだ。しかし、今日は決めている。昨夜手に入れた「レジェンダリー」キャラクターであるルナのために、素材集めに挑もうと思う。ルナをパワーアップさせ、新規装備も作ってあげたい。


 レジェンダリー(以下L)は、モミワーにおける最高レアリティのキャラクターだ。それ以下にはレア(R)、アンコモン(UC)、コモン(C)の順にレアリティが下がっていくが、俺は基本的にLのキャラしか使用しないため、R以下のキャラクターについては詳しくない。


 ルナは、モミワー一周年記念で新たに追加された6人のうちの一人だ。Lキャラには他に、「蒼の騎士セルヴァン」がいる。R以下のキャラクターは…手元にいた気はするが、憶えていない。とにかく、新規実装された6人はとんでもない性能で、モミワーの登録者数を全世界で一気に200万人強増やしたらしいことを、ネットニュースで読んだ。


 何がとんでもないかと言うと、今回実装された6人のキャラクターには、会話用AIが仕込まれている。従来のシナリオでは、豊富な選択肢からシナリオを進めるという形式を取っていた。これだけでも結構な人気だったが、新キャラクター用のシナリオでは、プレイヤーと対話しながら進めるという、新たな形式が採用されている。




 これまでのゲームでは、AIは単純なプログラムの組み合わせでしかなく、プレイヤーの行動を予測した結果を出力するだけだった。それに比べ、モミワーのAIは圧倒的な深度を持っている。その複雑さ、その臨場感、その独自性は、他のどのゲームのAIとも一線を画している。


 例えばセルヴァン用のシナリオでは、自分を育ててくれた騎士団長が、実は自分の親を殺した相手であるという衝撃的な事実が明らかにされ、その結果どうするかはプレイヤーの選択に委ねられる。しかも、その選択はリアルタイムで、キャラクターとの対話によって進行していく。ここまで自然な対話ができるAIは、これまでのゲームには存在しなかった。


 過去のAI搭載ゲームは、多くが恋愛ゲームであり、そのAIは独特のセリフや反応を生成するだけであり、会話がかみ合わないことも多々あった。それを一部のネット民が悪乗りで「神ゲー」と称し、その出荷本数と物珍しさによって一時的なブームを呼んだ。しかし、それらのゲームのAIは、モミワーのAIと比べると稚拙さを感じざるを得ない。


 その意味で、モミワーのAIはこれまでのゲームの常識を覆した存在と言えるだろう。選択肢によってストーリーが変わるだけでなく、その選択肢もプレイヤーの発言に基づいてリアルタイムで生成される。これはまさに、新しい次元のゲーム体験を提供してくれている。


 自分が生きているうちに、「生きているようなNPCとの、リアルなコミュニケーション」という体験ができるとは思わなかった。フィクションには、「ゲーム世界に飛び込んで、五感を用いて遊べる。」という、俗にいう”フルダイブ”というものが存在する。このモミワーのAI技術を目の当たりにすると、フルダイブが実際の技術として確率されるのも、もう目の前まで迫っているのかもしれないと思ってしまう。そう思えば、クソみたいな日常生活でも、生きている価値は十分にあった。




 モミワーが起動する待ち時間で、今朝の毛玉を思い出す。彼女(彼?)は一体なんだったのか。それに「しまう Y/N」とはいったい。またモミワーに新しい機能でも実装されたのだろうか。そんなことを考えている間に、無事モミワーが起動した。だが、無事起動できていないようだ。


 おい、おかしいぞ。ホーム画面には、元気よく飛び跳ねる白い毛玉。今朝俺の家にいた、あの毛玉だ。


 モミワーには、ホーム画面にお気に入りのキャラクターを常時表示させておける機能がある。キャラクターを鑑賞したり、コミュニケーションをとれたり、クエスト中に助言をしてくれたり。昨夜の設定ままなら、俺のモミワーには、ルナが表示されるはずだ。毛玉が表示されているのはおかしい。勝手に設定が変わるということは、今までに経験がなかった。バグだろうか。


 とはいえ、再設定し直せばいい。勝手に変わっている事と、今朝の「しまう」出来事を関連付けて、一抹の不安を覚えながらも、画面を操作する。と、操作に気づいたのか、気ままに飛び跳ねていた毛玉が、こちらに気づいたようだ。


「ししょう!お出かけおわった?」


 毛玉の元気な声がスマホから響く。音は出ないと思っていたので、驚いてスマホを落としてしまう。向かいの妙齢なご婦人の足元に転がり、かなり睨まれた。何度も謝りながら、スマホを取り上げ、設定を確認する。だが、ちゃんとマナーモードになっている。スピーカー音量も0だ。音が出るはずはない。それなのに、毛玉の甲高い声がスマホから大音量で響く。


「ししょう、ここくらくてせまいよ!はやくおうちかえして!」


 急いでモミワーを終了させると、毛玉の声は止まった。ふぅと一安心したが、周りの視線が痛い。スマホを俺に向けて盗撮してる奴もいる。バレないと思ってるのか、クソ。


 なんでこんな事になっているんだ。どうせ話しかけてくれるなら、ルナが良かった…いや、あんなセクシーな声が爆音で再生されていたら、もっと恥ずかしかったか。よかったよかった。いや、まったくよくない。




 毛玉の事や、モミワーのアップデート情報、マナーモードでもゲームの音声が爆音で再生される、音声のバグが報告されているか調べてみた。だが、ほしい情報は全くみあたらなかった。とりあえず運営のSNSには、音声バグに関して、とても丁寧な意見と要望を送っておいた。


 その長文メッセージを送信しても、まだ時間があった。「到着までまだあるし、モミワーでもするか」と、モミワーを起動しそうになったところで、思いとどまる。いやいや、また爆音を流して白い目で見られたいのか。何も考えていないと、起動しそうになってしまう。自分がこれほどモミワーに依存しているという事実に、苦笑した。


 いよいよすることがないので、眠ろうとするが、目をつぶると色んな考えが頭を巡る。


 今朝、不法侵入してきた宇宙生物の毛玉が、今は俺のモミワーを侵略している。宇宙生物なら可能なのだろうか?いや、モミワーに「しまう」のコマンドが表示されて、突然毛玉が消えた。そして俺のモミワーに移動している。「しまう」のは毛玉の事だったのか?なぜモミワーに?モミワーにあんなキャラクターいたか?もしモミワーに毛玉のキャラクターがいたとすると、キャラクターが現実世界に現れたってことか?なんだそれは、漫画か?そんなすごいアップデートがモミワーに実装されたのか?でもそういった情報は、どこにも書いていないし。


 非現実的な出来事に不安な気持ちはあったが、漫画のような出来事が現実に起きているかもしれないと思うと、年甲斐もなくワクワクしてきた。




 駅についてから、会社までの道のりで、ニュースサイトを漁ってみる。今回の事態を説明できそうなニュースを、思い出したからだ。たしか、リンゴをデジタルデータに変換できた、というニュースだったはず。物質をデジタルデータに変換できたのなら、毛玉の件は、その逆ということ。デジタルデータが物質化したパターンだ。今回の事態にその技術が使用されたのなら、若干は納得のできるものとなる。


 もしその技術が実装されていたとしたら、ルナも現実に呼び出せるのか?いや、ルナだけじゃない、二次元が現実になるのか。あのアニメのキャラやあのゲームのキャラが…。妄想がはかどり、身体が熱くなる。興奮してきたな。


 気持ちを抑えつつ、目的のニュースを探す事に集中する。


「デジタル化の新フロンティア リンゴをデータに」


 これだ。記事を読んでみる。


「物質をデジタルデータとして保存できる時代が到来した。テクノロジーの進歩は、物質のデジタル化という驚くべき新たなフロンティアに我々を導いている。


 ナンテンドウ大学のシタイン博士が成功させた研究では、物体の形、色、質感、密度など、その物体が本来持っている全ての要素をデジタルデータとして読み取ることが可能となった。今回実験に使用したのは、なんの変哲もないリンゴ。実験の過程で物質界のリンゴは、実験機の中にデータとして保存され、電力が供給されている間は、新鮮さを保ち続けるという。


 しかし、この技術はまだ発展途上であり、我々がイメージするような「物質の複製」までは達していない。物質のデジタル化、つまり物質をデータとして保存する技術は達成されたが、その逆、すなわちデータから物質を生成する技術はまだ現在の科学では手が届かない領域である。


 しかし、このシタイン博士率いる研究チームは楽観的に答えた。技術の進歩は止まらず、現在考えられる限りの技術の限界もやがては超えられると彼らは信じている。その日が来れば、我々はデジタルデータから物質を生成することが可能となり、科学技術は新たなレベルへと進化するだろう。


 物質のデジタル化はまさに新たなフロンティアであり、その進歩は今後我々の生活を大きく変える可能性を秘めている。物質とデータの間の境界がますます曖昧になる中、新たな科学技術の可能性が広がっているのだ。」


 なるほど。つまり、保存はできたが、そこから復元するのはまだまだ未来の技術、ということだろうか。復元できていないのに、実験に成功ってなんなんだ?何か細かい決まり事があるのだろうか。よくわからないが、とにかく、毛玉の件はこの技術ではない、という事だろうか。謎は振り出しに戻ってしまった。

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