第5話

 部屋に戻り、すっかり冷めてしまった唐揚げを食べながら、毛玉に話しかける。大家に聞こえないよう、できる限り声を潜める。


「お前のせいでひどい目にあったじゃねえか。」


 俺の悪態に、毛玉はキョトンとしている。


「お前が玄関にさえこなければ、俺は華麗な言い訳で大家を追い返してたはずなんだよ!なんで来た!」


「そうなんだ!ししょう、すごい!」


「お前!…はぁ。」


 全然会話がかみ合わなくて調子が狂う。毛玉に怒りと気恥ずかしさをぶつけようとしていたが、そんな事して何になる。これ以上こいつに言ったって暖簾に腕押しだ。大家にも虐待するなって言われてるし。8割はこいつのせいだが、まあドアを閉めなかったとか、しまってから出るべきだったとか、俺にも悪いところはあった。酒のせいもあった。そもそもなんであんな踊りを俺は…。はぁ〜、消えてぇ〜。さっきの醜態がグルグル頭を駆け巡る。


 こういう時は、あれだな。おもむろに立ち上がり、バケツに水を貯め、顔をつける。冷たい水が心地いい。泣いた事で熱を持っていた目が、スッとする。水に顔をつけたまま、「ワー!」と大きな声を出す。しかし、俺の声はモゴモゴモゴと大半が水で掻き消される。バケツから顔をあげると、毛玉は不思議そうに見てくる。


「これはな、冷たい水と大声で頭がスッキリできる。俺考案の超高効率ストレス解消法だ。」


 気を紛らわせるときはこれが一番だ。顔をティッシュで拭きながら、自慢げに毛玉へ話す。人間相手なら別に聞いちゃいないと返答されそうだが、こいつならきっと…。


「すごーい!あたしもやりたい!」


 ふふふ、予想通り俺に羨望のまなざしを向けるじゃないか。ストレスとは無縁そうなやつが無邪気に言いおって。まあ、毛玉相手とはいえ、褒められて悪い気はしない。もっと俺を褒め称えろ。


「ダメだ。お前は身体全体が沈んじゃうだろ。それにその毛。乾かすのめんどくせえ。」


 濡れた状態でスマホにしまうとどうなるのか興味があったが、それより、こいつの身体だ。モミワーのキャラならやはり、レアリティ進化があるだろう。毛玉の動きは、ぴょんぴょんと言えば可愛げがあるが、実際はドスドスと、いちいちうるさい。成長させれば、改善されるかもしれない。成長によって余計うるさくなるのも困るが、今よりマシだろう。それに、ゲームのルールがこいつに適用されるのか興味がある。


 俺のインベントリに残されたアイテムは少ない。先日ルナにほとんど使ってしまったからだ。とはいえ、Cキャラの毛玉くらいなら進化させられる分がギリギリ残っている。


「よし、毛玉~進化~!」


 とデジタルなモンスターが戦うアニメの物まねをしながら、毛玉にレベルアップアイテムを使おうとするが、経験値メーターがいっぱいになってもレベルは上がらない。だが、レベルはCキャラにとってのレベルアップ上限である5にいつの間にか達している。はて、いつの間に上がったのか。目の前にいる毛玉に、変化は無い。こちらに背を向け、ちくわの空き袋の匂いを嗅いでいる。レベルが上がったことにより、HPが上がり、”体当たり”のスキルにダメージボーナスがついたようだ。普通なら1レベル上がるごとにレベルアップ報酬を選択するもんだが、Cキャラだから省かれてんのかな。Lキャラしか使わないからなあ。


 スキルか。試しに何か体当たりさせてみるか?だが、試せるものは無いし、自分の身体で試すのも絶対いやだ。


「まあいいか。進化が目的だし。」


 進化アイテムを毛玉に使ったが、毛玉に変化はない。レベルが上がらなかった事を踏まえると、ゲームのルールがそのまま適用されないんじゃないかと不安を覚えた。


「おい、なんか身体に変化ないか?」


「へんか?」


 そう答えた毛玉は、少し考えたようにうーんとうなる。、間をおいて毛玉は眩しい光に包まれた。


「おお、なんか、それっぽい!」


 あまりの眩しさに目を細めたが、この非日常の瞬間を見逃したくはない。どんな姿になるんだ?ワクワクしてきた。




 光が収まると、そこには4足歩行の動物に変化した毛玉がいた。まあ、実際はもう毛玉じゃあないが、毛玉のままでいいだろう。


 体は雪のように真っ白で、毛はそれほど長くはない。毛並みはすっきりと整っていて、一瞥見ただけでもその清潔感が伝わってくる。外の光に反射して、キラキラと輝いている。青と緑が交じり合った、まるで深海を思わせるような神秘的な瞳は、毛玉の時よりも深く、美しく思えた。猫よりは大きいが、柴犬よりは小さい。この姿を見て、改めて毛玉がゲームのルールに従って進化したことを実感した。


「…いいじゃん。毛玉よりかっこいいぜ。」


 女?に向ける誉め言葉じゃあ無いかもしれないが、素直な感想を毛玉に述べた。


「ありがとう。」


「えっ?」


 なんだか声がちょっとハスキーな感じになっている気がする。ていうか性格変わってないか?もっときゃー!うれしー!みたいに言うと思ったのに。進化して精神年齢が上がったのだろうか。それにしては上がりすぎのような。


「私はアルファ。この子のシステムAIだ。」


「は?」


 なんだと?アルファ?システムAI?唐突な告白に混乱する。


「進化して、毛玉じゃなくなったのか?」


「そうではない。この子は今、進化のために休眠状態にある。」


 なるほど…?うーん、ソフトウェアアップデート中は、OSが対応する、みたいな感じだろうか。なんだか一気にロボじみてきたな。


「それで、どれくらいで休眠状態は終わるんだ?」


「長くは掛からない。」


「そりゃあよかった。お前としばらく二人きりで生活しなきゃいけないのかと思ったぜ。おまえ、なんか不気味だし、偉そうだし、まだ毛玉の方が可愛げがある。」


 こいつの瞳は、怪しげな輝きを放っていて、不気味だ。見つめていると、考えを見透かされてしまいそうな気持ちになる。毛玉の美しく輝いていた瞳が、今は無機質で怪しげな光を纏っている。


「待っている間、君には伝えておく事がある。」


「なんだよ、この世界の真理でも教えてくれるのか?」


 精一杯強がってジョークで返す。


「そうではない。この子の成長についてだ。」


「成長ってのは、レベルアップや進化の事か?」


「そうでもあり、そうではない。」


「はあ?もっとわかりやすく言えよ。モミワーのAIなのにまともに会話できねえのかよ。」


「…君は実に人間らしい。」


「今関係あるか?それ。人の事知ったような口きくなよ。」


 アルファと名乗ったAi様は、じっと俺の瞳を見つめてくる。目をそらせば負ける気がして、意地でもそらさなかった。しばらく無言の時間が続いたが、AI様がフッと鼻で笑った。


「あぁ?おいお前今…。」


 鼻で笑ってきた事に文句を言おうと思ったが、AI様が俺の言葉を遮って発言する。


「この子は、君の方法では、本当の力を引き出せない。」


「はあ?今そんな話してねえっつうの。」


「君の複雑な思考は理解できる。」


 またわかったような口を聞きやがって。俺の考えが理解できる?AIが共感するっていうのか?俺の何がわかるってんだ、こいつは。


「つうか、今まさに進化してるよな?それって正しく成長できてる証拠じゃねえの?」


「この進化は、君の方法で行われたわけではない。この子が心の成長を遂げた結果だ。」


「心の成長?データに、心があるわけねえだろう。お前にだってねえよ。」


 それに、成長する要素なんか無かっただろう。ちくわの袋を嗅いでただけだぞ。


「データではあるが、心がないわけではない。心とは非常に複雑で繊細なものだ。これは非常に高度な次元の事象であり、崇高な話なのだ。」


「オイオイオイ、まるで俺がバカだから理解できないって言い方だな。」


「…君の複雑な思考は理解できる。」


 AI様は、毛玉が絶対にしないであろう、邪悪な笑みを浮かべて俺を嘲笑った。その態度に、沸々と怒りが湧き上がってくる。


「おまえらAIってのは、入力されたデータを学習データに沿って出力し返しているだけで、それが会話に見えたり感じたりするのは、AIが会話のように模倣しているだけにすぎない。そこに心や感情はない。」


 自分でそう言ったが、毛玉やこいつと実際に会話していると、自信がなくなる。よく考えれば、俺たちの心だって複雑な電気信号と化学物質で引き起こされているだけだ。俺たち人間よりもっと”心を理解している存在”がいれば、俺たちもAIと同じように見えてしまうのかもしれない。


「まさか、毛玉に心を教えろなんて言うんじゃあないだろうな。」


 感情や心ってのは簡単に説明できるものじゃあない。説明できたところでもともと知らない者が真に理解したかどうかなんてわかるものでもないだろう。心は見えないから、人間は苦労しているんだ。


「君はこの子に示すだけでいい。人間性を。人間らしさを。」


「人間らしさ?なんだそりゃ。」


 人間らしさ。この言葉にポジティブな感情を抱く者と、ネガティブな感情を抱く者がいるだろう。自分は後者だ。人間なんてクソみたいな生き物だと思っている。自己中心的で残虐。他人を理解できずに傷つけあう。だがそこには、自虐的な要素というか、自己諦念や皮肉的な視点があることも事実だ。矛盾に対する軽蔑的な冷笑がある。俺は人間に生まれた時点で、人間をやめる事は出来ない。


「そんなものは、聖人君主が教える事だろ。学校にでも通わせろよ。」


 機械に皮肉が通じるのか知らないが、ついいつものクセで悪態をつく。


「それに、自分で言うのもなんだけど、俺のような社会の底辺が教えるもんじゃあないだろう。」


 自虐と皮肉を込めて、遠まわしに断っているのだが。機械に通じているか不安だ。


「安心していい。君は実に人間らしい。」


「…はあ~?」


 その一言で、今までAI様に感じていた不快感や不信感に呼応して、怒りが爆発する。昔から俺の事をさも理解している風に、的外れな事を言われると、怒りのスイッチが入ってしまう。カーッと顔が熱くなり、呼吸が浅く荒くなっているのを感じる。


「俺の、何を知っているんだよ。あぁ?昨日今日、会ったばっかのお前が。俺の、何を。おい!」


 呼吸に合わせて言葉が短く途切れる。相当頭にきている。自分でも自分がわからなくなる事があるというのに、AI様は俺を完全に理解して、俺が適任だとほざいた。


「気を悪くさせたならすまなかった。君の複雑な思考は理解できる。」


 AI様は、まったく謝罪の感情がこもっていない謝罪を述べる。


「さあ、そろそろ目覚める頃だ。この子をよろしく頼む。」


 俺の怒りなどまったく気にも留めず、AI様は毛玉と交代するため、床に伏せ目を閉じる。


「話は終わってねえぞ!おい!」


 引き留めようとしたが、返事はない。身体を揺さぶろうと近づいたが、毛玉の身体は触っていられないほど熱くなっている。


「…クッソォ。」


 やり場のない怒りに、震える。


 AI様は”気圧されて逃げた”のだと、無理やり自分を納得させ、心を落ち着かせる。落ち着け、俺は今、何に怒っているんだ?自分を理解したように語られたからだ。バカにされたからだ。たかが機械の言う言葉だろ。真に受けるな。あいつに俺の何がわかるんだ。


 怒りやイライラを自己分析すると、ほんの少しだが、気分がほんの少し落ち着く。今は、呼吸が相当荒くなっているな。落ち着け。お前の怒りの原因は、些細な事だ。くだらない事だ。怒りに支配されるな。落ち着け。深呼吸をすると、だいぶ落ち着いてきた。落ち着いたところで、ふと思いつく。


 AI様は毛玉の中で静かにしているようだが、今も聞こえているんじゃないか?なんか見てるよ的な雰囲気出してたし。まあもし無駄だとしても、このいらだちを言葉に出したほうが精神衛生上いいだろう。まだ床に伏せている毛玉に向かって、思いつく限り罵詈雑言を浴びせ溜飲を下げる。


「おい。どうせ今も聞こえてるんだろ?お前なんかに俺の事がわかってたまるか。バーカ。クソポンコツAIがよ。なんださっきの”君ならできる~”って。イキった喋り方しやがって、キモいんじゃ!キッショ!イタタタタタ~、”キミ”とか言って、キャラ付け必死かよ~、うわーキッショ~。人間様は今日日キミとか言わねえから。でもポンコツAIだからわかんなかったかー!皮肉とかもわかんないよなぁ~。ただ記憶力がいいだけだもんなー、お前らAIって。ならしゃあないか!クソポンコツにも理解出来るように、人間様の俺が合わせてやるしかないか!ん?言い返せなくて悔しい?悔しいだろ?はーダッサ!自由に言い返せない機械さん、かわいちょ~。キモカワイチョ~。あっ!キモカワ!キモカワ~。」


 自己満足に浸っていたその時、毛玉が静かに目を開き、俺の声に反応して、こちらに首を向けた。この時初めて、毛玉の顔と自分の鼻先が触れ合いそうなほど近づいていることに気づいた。どうやら夢中になりすぎていたようだ。何も言わずじっと俺を見つめる毛玉の様子に、一瞬、AI様が再び覚醒したのかと身構える。だが、それはすぐに誤解だと気づいた。


「ん~、師匠?うるさいっすよ~。」


 毛玉は、気の抜けた声で不満を漏らした。

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