第6話

 ゴブリンのところへ戻る。相変わらず2匹かたまっているが、集まったからといって談笑しているわけでも、お互いの死角をカバーしあっているわけでもない。さきほどは毛玉がヒートアップして大きな声を出していたが、それにも気づいていないようだ。ただただ2匹は突っ立っている。


「よし、1匹ならふいうち出来そうだな。もう1匹にはすぐバレちまうから、そこから普通の戦闘になっちまうが。」


「……。」


「とりあえず奇襲のあとは体当たりだ。パラメータ的ダメージの期待値は奇襲よりも体当たりの方が少し高いみたいだし。こっちで攻撃すべきだ。」


「……。」


「おい、聞いてんのか?」


「はあ。」


 いつもなら元気に返事するのに。あれ。もしかして怒ってる?


「お前、怒ってんの?」


「いいえ。」


 そう言いながら、こっちを見ようとしない。これは…多分怒ってるな。不機嫌さをこんなに表に出すなんて珍しいな。というか、初めてじゃあないか?初めて、の、怒り…。もしや?


 毛玉のステータスを確認すると、レベルが3に上がっている。おお!怒りを学んだのか?それとも不機嫌か?まあなんでもいい、この状況で戦闘力の強化は渡りに船だ。


「おい、そう怒るなって。ほら見ろ。俺のおかげでお前のレベルが上がったんだぞ。」


 毛玉は、スマホの画面をちらりと一瞥するが、すぐにゴブリンに視線を戻す。やれやれ、めんどくさい奴だ。まあ後でちくわでもやれば機嫌直すだろ。


「…そろそろ、いいっすか?行きますね。」


「ああ、かましてやれ!」


 毛玉はゴブリンにそろりと近づいて、一気にかみついた。すぐに残りのもう1匹が反応して、武器を構える。何か声をあげているが全然理解できない。ゲーム的に言えば、ゴブリン語を取得していればわかるはずなんだが、そんなスキルはない。どうでもいいけど、さっきよりも、毛玉の噛みつきがするどさを増している気がする。怒りによるものか、レベルが上がったからか。まあ、どっちでもいいや。


 毛玉とゴブリンが対峙する。毛玉の青緑色に輝く美しい瞳がゴブリンの目を凝視している。その眼差しは一点を見つめ、目の前の敵に全力を傾ける意志を秘めていた。一方、ゴブリンの目もまた、独特の鋭い光を放っていた。その目には獰猛さと、敵を討つ冷たい決意が滲んでいる。両者の間には、闘いを前にした猛獣のような、ただならぬ緊張感が張り詰めている。今までは一方的に蹂躙していただけだったが、初めてお互いの命をかけた戦いが、目の前で繰り広げられるのだ。思わず生唾を飲み込んだ。


「ビ、ビビるなよ!体当たりをかましてやれ!!」


 何より一番ビビっていたのは俺自身だが、奮い立たせるためにも、大声で指示を送った。俺の声を合図に、雄たけびと共に、毛玉がゴブリンへ向かっていく。ゴブリンは迎撃しようと持っていた槍を毛玉に向けるが、毛玉は器用に避けゴブリンに体当たりをしかけた。ゴブリンは大きく吹き飛び、壁に激突する。だが、まだ意識はあるようで、ふらつきながらも立ち上がる。


「いいぞ、かなり効いてる!もういっちょかましてやれ!」


 しかし毛玉は動かない。その間に、ゴブリンは槍を構えて毛玉へ突進してくる。


「おい、何してる!あぶねえぞ!」


「身体が…動かないっす。」


 毛玉は声を出すのも一苦労といった様子だ。


「はあ!?な、なに言ってんだ!」


「うぎ…。」


 迫る槍を避けるために、なんとか身体を動かしている。だが、ゴブリンの槍は毛玉を貫く。


「うわっ!!」


 悲鳴と共に、毛玉は槍に押されて壁際まで押し込まれる。


「だ、大丈夫か!」


「いっだぁあああぁぃ…。」


 ゴブリンごしで表情はよく見えない。足元には、血がポタポタと滴っている。


「だい、大丈夫…か?」


 血に怖気づき、同じ質問を繰り返してしまう。だが、大丈夫では無いという事は、はたから見ている俺でもわかる。毛玉から、耐えるような、うなり声が返ってくる。


 ゴブリンは勝ち誇ったように、下卑た笑いを毛玉に向ける。全体重をかけ、なおも槍を毛玉へ差し込もうとしている。


「ふぐぅううう…。」


 あんなに押し込まれているのに、貫通したりしないんだろうか。毛玉は痛みで泣いている。ゲーム的に言うと、今はHPにジワジワダメージが入っているんだろうか。ゲームではダメージを受けて終わりだが、現実の戦いでは、1ターンごとに攻防が切り替わるなんて事はないんだよな。そう思ったところで、場違いな事を考えてしていることに、自分を恥じた。今は毛玉をなんとかしてやらないと。


 手汗をぬぐおうと思った時に、鉄パイプを持っていた事に気づいた。そんな事も思い出せないほど、俺はひどく動揺していたようだ。これでゴブリンの頭でもぶん殴って、毛玉を救ってやろう。


 だが、頭ではそう考えているが、足がすくんで全く動けない。毛玉の悲鳴と血で、毛玉の痛みを想像する。それが自分へ降りかかった時を想像して、尻から背中にかけてゾワリとする。


「ぅぅうう!どけえええ!」


 俺がモタモタしている間に、叫んだ毛玉が、素早く身体を捻って槍をかわす。全体重を槍に乗せていたゴブリンは、前方に大きくよろけた。そこへ、毛玉の後ろ足による蹴り上げがゴブリンの腹部をえぐる。


 大きく吹き飛んだゴブリンが、俺の方に転がってきた。俺は情けない声を上げ、後ずさる。今ゴブリンが起き上がれば、俺にターゲットを変えるかもしれない。それに気づいた毛玉は、すぐにゴブリンと俺の間に立ちはだかる。


 毛玉は荒い呼吸をしているが、闘志はまっすぐとゴブリンへ向いている。真っ白で奇麗だった毛並みが、首のしたから左前足までが、血で真っ赤に染まって痛々しい。痛みがあるのか、左前足がガクガクと震えている。


 毛玉はゴブリンの様子を見ながら、左前足を引きずって、間合いを詰めている。ゴブリンはいまだ悶絶している。毛玉はゴブリンに動きがないと読んだのか、一気に間合いを詰めた。接近に気づいたゴブリンが、とっさに槍を掴もうと手を伸ばしたが、その手へ噛みつく。ゴブリンは空いた方の手で数回殴り、毛玉は引きはがす。ヨロヨロと立ち上がるゴブリンだが、その腕は、くっついているのが不思議なほど損傷している。毛玉もますます呼吸が荒くなり、目の焦点があっていない。足元には、血の水たまりが出来ている。お互いがギリギリの状態のようだ。


 何か声を掛けてやりたいが、なんて声を掛ければいいのか、わからない。頑張れ?いや、あいつはもう十分、頑張ってるだろ。負けるな?負けるななんて、負けそうなやつにいう言葉だ。あいつは絶対負けない。ぶちかませ?なんだそりゃ。クソ、どれも安っぽく聞こえるな。なんて、なんて言えばいいんだ?心配と焦りで、吐きそうになる。感情が混ざって、ぞわぞわと怒りに似た感情がわいてくる。


 とっさに、「お、おい!血ぃ、流しすぎだぞ!早く決めちまえ!」と、嫌味な言葉が出てしまった。言ってから、すぐ後悔する。本当はもっと労ってやりたいのに、もっと応援してやりたいのに。自分の語彙力と根性のなさに不甲斐なさを感じる。だが、俺のふざけた言葉にも、毛玉は健気に答える。


「わ……。…ふぅ〜…。わかり、ました…。」


 声がうまく出なかったのか、毛玉は一度大きく息を吸って、声を絞りだした。ふらついていた身体を、しっかりとゴブリンに正対させる。ゴブリンも槍を左脇に挟んで構える。また突っ込んでくる気のようだ。


 今まではふいうちでサクッと倒せていた相手が、対峙して初めて脅威に気づいた。ゲームではただの雑魚キャラだし、ワンパンで倒されるだけのモブにしか見えていなかった。そう思って、今まで毛玉に指示してきた。「村がゴブリンに襲われて~」なんて文章は、雑魚キャラにやられる舞台装置程度にしか思っていなかった。だが、普通の人間なら太刀打ちできずにやられるだろうという事は、今なら十分に納得できる。


 このまま毛玉が突っ込んでも、このケガじゃ素早い動きができそうにない。最初の攻撃の時に見せた、槍を交わして攻撃するという、あの動きはできないだろう。相打ちか、さいあく槍で迎撃されて、やられてしまうかもしれない。俺が何か手助けしてやらなければ。何か、と考えているふりをしているが、左手に握っている鉄パイプが存在感を放ち、俺をゴブリンに振るえと訴えかけてくる。だが、直接殴りかかるのは恐ろしくて、無理だ。毛玉があれほどのケガでも果敢に立ち向かっているというのに、俺は怖くて…。ゲームや物語に登場する俺なら、勇敢に立ち向かうんだろうな。


 …ゲームなら?そう思ったところで、モミワーを確認する。画面には、相変わらずホーム画面が表示されている。戦闘中やシナリオ進行中といった画面には切り替わったりしないようだ。つまり、残りHPがいくつ、なんて情報は、ゲームのように見ることは出来ない。まあ、今はそんなことはどうでもいい。レベル3のレベルアップ報酬を、まだ選択していなかった事を思い出した。ゲームでは1つのシナリオが終わってから、レベルアップの処理を行う。シナリオ中、ましてや戦闘中にレベルをあげることはできない。だが、今は自由に操作できる。


 レベル2になったときは、体当たりにダメージボーナスがついた。3になると、追加アクションが付与される。攻撃の後に更に移動や、隠れるを行うことができるボーナスアクションが追加されるようになる。まだこの辺のレベル帯は、基本的にCレアリティの時とレベルアップ報酬は変わらない。だが、俺たちの目的はそんなことじゃない。レベルをあげるとHPも上がる。つまり、ここでレベルをあげれば、少しマシな動きが出来るようになるんじゃあないか?


 俺がそんな事を考えている間に、両者は最後の攻撃を仕掛けるために駆け出した。先に動いたのはゴブリンだった。毛玉は一瞬、血に足をとられ、ふらついてからスタートする。このままじゃあまずい!


「くそおぉぉ!!」


 祈るようにレベルアップ報酬の選択画面を押す。すると、毛玉に付いた血が消え、元の美しい真っ白な毛並みへ戻る。毛玉は突然回復した自分の体に、一瞬驚いたようだったが、目にもとまらぬ速さで槍をかわすと、ゴブリンの首元に深く噛みついた。ゴブリンは槍をはなし、素手で引きはがそうとするが、毛玉が更に力を込めると、ダラリと脱力して消えた。




「ふぅ~…。やりましたね!師匠!」


 あれほどの死闘を繰り広げたのに、毛玉は屈託のない笑顔で駆け寄ってくる。俺はまだ、身体が震えている。敵は倒せたが、焦燥感のようなものが、頭の後ろでモヤモヤしている。


「あ、ああ。身体は大丈夫か?」


「それっすよ!なんか急に元気になりました!」


 毛玉は左前脚でダンダンと足踏みをして、調子を確かめている。


「お前をレベルアップさせたら、もしかしたらHPが回復するんじゃないかと思ったんだが。はぁ…。うまくいったみたいだ。」


 俺はただ見ていただけなのに、ものすごく疲れた。


「へぇー!さっすが師匠、すごいです!」


「いや、すご…。」


 すごいのはお前だよ、と言って頭を撫でるイメージをした。だが、純粋に俺を見つめる毛玉を見ると、気恥ずかしさと情けなさで言葉につまってしまう。


「ま、まあな。俺の作戦のおかげだ。」


 軽口を言ってからしまったと思ったが、毛玉はうんうんと笑顔で聞いている。


「それで、敵は見える範囲からいなくなりましたけど、どうしますか?」


 そうだ。ここでラスボスを倒したような気分になっていたが、まだ本命がいるのだった。次に戦うとすれば、人間の指示を受けるゴブリンか。さらにそれを2体や3体、同時に相手するかもしれない。


 さきほどまでは、脳内麻薬と非日常による高揚感、ゲームの延長程度として考えていた楽観視で恐怖が麻痺していた。だが今、現実を目の当たりにして、俺はすっかり怖気づいてしまった。


「か、帰ろうぜ。」


「え!帰るんすか!?」


 毛玉は心底意外といった風に聞き返してくる。


「もっと楽勝で勝てると思ったけど、こんなに苦戦してたら危険だ。」


「ここまで来てですか?もうだいぶ倒したじゃないっすか。もったいないですよ!」


「わかったわかった。正直に言う…。ビビっちまったんだよ。帰りたい。」


「ビビる?こわいんすか?なんで?」


「なんでって、わかるだろ!お前だって死ぬかもしれなかったんだぞ?ビビったろ?」


「いやぁ、全然っすけど。」


「は、はぁ?強がるなよ!」


「師匠は何が怖いんすか?ケガもしてないのに?」


「…煽ってんのか?」


 だが、その顔からは、煽ってやろうとか、からかってやろうとか、そういう感情は感じない。本当にわからないといった感じだ。


「師匠~。敵が残ってるなら、全部倒さなきゃいけないんすよ?」


 ほらほらと言った感じで、鼻先で俺を促す。


 こいつ、本当に怖くないのか?まだ恐怖ってのが学べていないからか?恐怖もいちいち学ばないとわからないのか?そんなもん、生き物が生きる上で絶対あるもんだろ?痛みがあるなら恐怖もあるだろ?怖いのに、俺のために立ち向かってくれたんだろ?


「…お前、痛いのは怖くないのか?」


「ええ?別に怖くないっすけど。いやだなーとは思いますけど。」


 マジかよ。少しだけ仲良くなれそうだと思ったが、また毛玉を遠くに感じる。やはりこいつは、不気味な宇宙生物だ。見た目こそ可愛い動物だが、中身は心なんてない、からっぽの機械なんだ。


 毛玉がいるから、と薄れていた恐怖が、”この状況を恐れているのは自分だけである”という孤独感で、更に恐怖を感じる。今にも泣きながら走り出しそうになる。パニック寸前だ。四方八方から敵に見られている感覚に陥る。


「い、いやだ。もうここに居たくない。はやく帰ろう。」


 武者震いが、恐怖の震えに変わっているのが、自分で分かった。


「ええ~?もうちょっとだと思うのにな~。」


 毛玉は、まるでちくわを取り上げられた程度のリアクションを返してくる。なんなんだこいつは。怖い。心底怖い。今まさに命の危機にあるというのに、こいつの行動原理は、ここまでやったのにもったいないという損得勘定で行動している。そこに命の尊さなどというものは微塵もない。自分はデータだから平気だとでも思っているんだろうか?俺の身は案じていないのか?


 毛玉を視界にいれたくないので、スマホにしまおうと思ったが、自分の安全を考えて仕方なく出しっぱなしにする。

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