第7話

 廃ビルの出口についた。この廃ビルの区画から出て、人通りの多い場所までは、まだだいぶ距離がある。素早く周りを確認して、飛び出す。同時に、スマホが震える。走りながら、スマホを確認すると、メッセージが来ている。


「どうした?逃げるのか、腰抜け。」


 クソ野郎からのメッセージだ。やはり相手からは見えているらしい。好きなだけ言ってろ。逃げれば俺の勝ちだ。


「屋上にメインイベントを用意していたのに、台無しだろうがよ。」


 ざまあみろ。相手の思惑の裏をかいたという事実に、少し自尊心が回復する。


「まあ、白い動物は確認できた。俺の勝ちだな。」


 負け惜しみだ。もう区画の出口は目の前だ。一言メッセージを送って、勝利宣言をしてから逃げてやろう。


「師匠!」


 毛玉が声をあげる。


「おまえな…。」


 まだ留まろうなんていうつもりか?と続けようとしたところで、毛玉が俺に思いきり体当たりをかましてきた。俺は大きく吹き飛び、区画の出口から離れてしまう。


 何をする、と毛玉へ文句を言おうとした矢先、その真っ白な身体は宙を舞っていた。突然の事に理解が追いつかず、青空に浮かぶ雲と並んで、きれいだなと思った。そして、俺が先ほどまでいた場所には、ゴブリンの2倍はあろうかという緑の巨漢が、立っていた。その手には、毛玉の大きさを優に超える、巨大な棍棒を持っている。




 宙を舞った毛玉は、受け身を取ることなく、地面に激突した。口から少量の血を流し、白目をむきながらぴくぴくと痙攣している。緑の巨漢は、近くで呆然としている俺に目もくれず、倒れている毛玉に近づいていく。


 こいつは、ゴブリンウォリアーだ。たしか、レベルは5。毛玉だけじゃ逆立ちしても勝てない。


 倒れている毛玉へとどめをさそうと、巨漢は棍棒を振りあげる。防御も回避もできない、今の状態で殴られたら、毛玉は死…。俺はとっさにスマホを操作して、毛玉をスマホにしまった。手ごたえが無かった事を不思議に思ったのか、巨漢は何度も何度もその場にこん棒を振り下ろす。轟音が鳴り響き、そのたびに地面が揺れる。


 巨漢から距離をとろうとあとずさった俺の背後から、男の声が聞こえた。


「やめろ。もういい。」


 その指示で、巨漢は動きを止め、こちらを向く。俺に狙いを定めたのかと一瞬身構えたが、その視線は、俺ではなく俺の背後に向いている。視線の方向へ振り向くと、そこには金髪の男が俺を見下ろして立っていた。




 金髪の男は、しばらく黙って俺を見つめていた。警戒しているのか?だが、ニヤっと笑うと、ぐぅっと俺に顔を寄せて口を開く。


「よぉ~。顔を合わせるのは初めてだな。」


 勝ち誇ったように、にやにやと薄ら笑いを浮かべている。


「だ、だれだ…?おまえ…。」


 情けない声で、わかりきった質問をしてしまった。その言葉に男のニヤケ面は、ますます気味が悪くなる。


「オレだよぉ~、冷たいなぁ~。仲良くメッセージを交わした仲だろぉ?ん?」


 クソ野郎。金髪だが、美女でもないし、はにかみ屋さんでもない。


「目的は、なんなんだ…。」


「おいおい~。それもわかってるくせにぃ~。」


 そう言って、人差し指で俺の鼻をつんと押す。


 目的は、毛玉を確認する…こと?だったら毛玉をぶん殴らなくても…。そうだ、毛玉は!?


 ちらりとスマホを確認する。ホーム画面には、ぐったりとした毛玉が表示されている。呼吸はしているようなので、死んではいないようだ。安堵したのも束の間、クソ野郎に蹴り飛ばされ、地面に倒れこむ。スマホは遠くに飛んで行ってしまった。


「なにすんだ、このやろう!」


「人が話してる時にスマホをイジるのは、関心しないなぁ。」


 お友達との楽しいお食事中ならそうだろうが、あいにくこいつに配慮する気遣いは持ち合わせていない。


 落としたスマホをクソ野郎が拾おうとしているので、慌てて手を伸ばす。


「くそっ!返せ!」


 と、伸ばした左腕に、ゴブリンの棍棒が容赦なく振り下ろされた。空気を切り裂く音がし、目の前で小規模な爆発が起きたのかというような衝撃で、俺の視界は一瞬白くなる。


 次の瞬間、俺はあまりの痛みに思わず大声をあげる。最初は、腕を地面とこん棒に挟まれた痛み。次は、骨が砕け、内側から肉に刺さるような激しい痛み。痛みで反射的に左腕を引き抜こうとして、それが傷に伝わった時の痛み。あまりの痛みに吐き気と涙が止まらない。挟まれた腕から先が、しびれたように感覚がない。


「ほらほらぁ~。大人がそぉんな情けない声で鳴かないの。」


 持ち上げたこん棒の下には、悲惨な惨状が広がっている。これだけの事をしておいて、クソ野郎はニヤニヤ笑っている。


 自分の左腕を痛みに耐えて、なんとか胸へ手繰り寄せる。これ、治るのか?二度と動かせないんじゃないか?もしかして、切断する羽目になるんじゃないか?それに、指が動かない。なんで?さっきまで動いてたのに?骨という支えがなくなった腕は、ぶらりと力なく垂れて、位置が収まらない。動くたびに燃えるような激しい痛みが襲い、腕が無くなるかもしれない恐怖で、涙が止まらない。


「うぅ~…。てめぇー!なにしやがる!う、腕がこんなになっちまったじゃねえかぁ~!」


 泣きながら不服を訴える。涙で視界が歪み、顔はよく見えないがクソ野郎の声は上機嫌だ。


「いやぁ、痛めつけるつもりは無かったんだが、お前がちょぉっと生意気な態度だからよぉ~。」


 俺のスマホをいじりながら、近づいてくる。


「んん~?やっぱり、本人じゃあなきゃ、ダメか?」


 頭をポリポリとかきながら俺にスマホを差し出す。


「ほら、さっさとこの死にぞこない、出してくれや。」


 モミワーでぐったりしている毛玉が、目の前に迫る。こいつをまた出せだと?出せばどうなる?とどめをさすのか?


「い、いやだ…!出せば殺すつもりだろ!」


 はぁ~と大きな溜息をつき、俺の右腕をグイっとひっぱる。支えのなくなった左腕が、だらりと地面に落ち、激痛が走る。


「まぁ、そうだけど。早くしろや。」


 右手の指を無理やり開かれ、俺の指で「出す」操作しようとしている。


「や、やめ…ろ!」


 痛みで全力が出ないとはいえ、クソ野郎の力は簡単に抗えない腕力だ。


「ううぅ、いいのか!俺たちをやれば、待機してるレジェンドキャラが襲ってくるぞ!」


 とっさにハッタリをぶちかます。だが、一瞬動きが止まるが、すぐにまたニヤケ面に戻る。


「いいねぇ~。ゾクゾクしちゃうよ。でも、他がいないことは、既にわかってるからさ。」


「いいや、わかっていないはずだ!お前は…。」


 直接見たわけじゃないだろう。そんなハッタリをかまして時間を稼ごうとするが、


「うるせぇ。」


 左腕を蹴られ、悶絶する。小突くような軽い蹴りだったが、それだけで目の前がチカチカして、息が止まりそうになった。


 結局、力で無理やりねじ伏せられ、毛玉はスマホから出てきてしまった。起き上がる気配はない。


「よし、ぶっ殺せ。」


 その合図に、ゴブリンウォリアーは待ってましたと言わんばかりに、毛玉へ思い切り棍棒を振り下ろす。


「毛玉!おい!ピコリン!!起きろ!ピコリン!」


 激しい衝撃に、土煙が巻きあがる。


「うわああぁ!」


 あいつは死んだらどうなるんだ?消えるのか?いや、ゴブリンの事を考えると、死体が少しだけ残って、その後に消える。つまり、俺は毛玉の死体を見なきゃいけないのか?嫌だ、嫌だ…。


「なんでこんな…。なんでだよ!」


「悪役はよぉ~、ダラダラ喋って、機を逃したりするだろ?オレはそういうのノーセンキューだからさぁ。」


 ゴブリンは毛玉の状態を確認することなく、俺の元に向かってくる。


「まぁ、オレは悪役じゃあないけどなぁ。」


 ゴブリンが棍棒を振り上げる。あれを俺に振り下ろす気か?そんな事したら、死んじゃうぞ?正気か?俺が、死ぬ…。嘘だろ。


「ううぅ…!」


 目をつぶって棍棒から目を離す。一瞬で死ぬのか?それとも、しばらく苦しむのか?インターネットで見た、グロい死体の画像が一瞬でいくつも頭に浮かび上がる。あんな風になるのか?今から…。


 ドンッと耳元で大きな爆発音がした。ああ、殴られたんだ。頭の上がめちゃくちゃ熱い。だが、痛みはない。なんだかまぶしい。つうか、本当に熱い。


「あぁっつ!!」


 クソ野郎も熱いらしい。わかる、かなり熱いよな。髪の毛焦げるぞこれ。いや、なんでだ?俺が殴られたから熱いんじゃないのか?恐る恐る上を向くと、ゴブリンの上半身が激しく燃え盛っている。


 ゴブリンは棍棒を振り上げた恰好のまま、ゆっくりと後ろに倒れ、しばらくして消えた。


 何が起こったのかわからない俺たちは、しばらく消えたゴブリンの場所をぼーっと見つめていた。その空白の時間に、クソ野郎の持つ俺の携帯を取り上げた者がいた。


「は…はぁあ!?」


 俺も驚いたが、一番驚いたのはクソ野郎だろう。先ほどまで瀕死だった毛玉が、俺の前に立っている。


「師匠!こっちです!」


「え?え?え?お前なんで?」


「いいから!早く!!」


「いや、俺は腕がな…。」


「ああもう!わかりました!」


 毛玉は俺の襟首を咥えて走り出す。毛玉が生きていた事はよかったが、引きずられて尻も背中も腕もめちゃくちゃ痛い。区画の出口へ引きずられている途中、2人の人影とすれ違う。1人はスーツの男性。1人は、痴女のような恰好をした女性。こちらを振り向かないが、後ろ姿だけでわかる。ルナだ。


「え?え?おいあれ、ルナだよな!?え!?ルナじゃん!」


「師匠!舌噛みますよ!」


 モゴモゴと俺を咥えながら毛玉が注意してくる。あの炎はルナの魔法だったのか?すごい威力だ。レベル5とはいえ、ゴブリンウォリアーを一撃で倒すなんて。


 区画の出口には、立派な黒塗りの車が停まっている。車の前には、短髪で気の強そうな女性が立っている。


「来たか!よし、乗ってくれ!」


「はい!」


 毛玉がいい返事をして、俺ごと車の中につっこむ。腕がドアの壁にぶつかって、痛みに悶える。


 車はすぐに走り出し、俺たちはどこかへ連れていかれる。

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