第3話

 出勤している上司や同僚たちに挨拶をして、自分の席に着く。しかし、挨拶に返事をしてくれる人は少ない。それについて今更、思うことはない。そういうものだと理解しているからだ。この会社で行われる朝の挨拶は、爽やかな一日の始まりを告げるものではなく、地獄の始まりを告げるものだ。この会社で働いていれば、そう考えるのが普通だろう。それを理解した上で、毎日元気よく挨拶ができる人は、極度の変人か、激務に耐えうるスーパーマンだけだろう。


 年中クランチタイムであるウチの会社は、朝8時半から、深夜23時まで昼休憩をまともにとる事もできずに、ほぼノンストップで働かされる。激務を理由に、社員はすぐに辞めていってしまうため、残っている皆の年齢は自分と近いらしいが、業務上の話以外はほとんどしたことがない。25歳の自分が、上から数えた方が早いらしいと聞いた時は、この職場の異常性を改めて感じた。




 激務を終え、弁当を購入しにコンビニへ立ち寄る。コンビニには半額シールのサービスがないから不満だ。それに俺が来る時間帯は、弁当の品ぞろえが悪い。品だしの時間を狙えればいいんだが、クソ業務時間のおかげでそうもいかない。


 あまり好みでない弁当をカゴにいれ、飲み物のコーナーに向かう。水を買おうと思ったが、明日は休みだし、酒も買おう。となると、アテも欲しい。もう一度、総菜コーナーに戻って吟味する。酒はそこまで好きじゃないが、アテは好きだ。あま~いジュースのような酒で、しょっぱ~いアテを流し込むのがたまらなく好きだ。俺の人生におけるささやかな楽しみの一つで、これを失くすと、あとはモミワーくらいしか楽しみはない。


 ああ、激務ですっかり忘れていたが、俺のモミワーは毛玉が支配しているんだった。あいつは今もこのスマホの中にいるのか?アプリを終了させてる間はどうなっているんだ?昼を食べさせていないので、空腹になっているのではないか?と心配しかけたところで、生き物に対する考え方をしている自分に呆れた。データなら腹など減るわけないし、宇宙生物なら俺の家に来た時のように、何か超常的なパワーでなんとかしているだろう。




 帰宅してひと段落したところで、モミワーを起動してみる。一瞬、こんな時間に起こすのは悪いだろうか?と考えたが、その考えをすぐに振り払う。また普通の生き物を相手にしているように考えてしまっているな。スマホに入ったりするやつが普通の生き物なわけがない。案の定、ホーム画面の毛玉は元気よく跳ねまわっている。


 バレないようにそーっと設定ボタンを押して、お気に入りキャラクターを変更しようとしたが、設定ボタンを押しても画面は切り替わらなかった。その代わり、「出す Y/N」の画面が表示される。そして、画面にタッチしたからか、画面の中の毛玉がこちらに気づく。


「あ!ししょう!」


 毛玉は無邪気に画面に近づいてくる。だが、近づける限界まで来ると、前に進めない事を不思議そうにしている。中には、見えない壁でもあるんだろうか。


 今朝の「しまう」と今表示された「出す」が意味するところを察する。本当にそんな技術があるなら、すごい事だ。ドキドキしながら「出す」のYを押す。すると画面には「Rendering in Reality,,,」と表示され、プログレスバーがすごい速さで進む。バーが満タンになった瞬間、スマホがまぶしく光る。突然の出来事に目をつぶってしまうが、足元のフワフワした生暖かい感触に驚いて目を開く。足元の毛玉はぴょんと跳ねて俺の足に体当たりすると「おなかすいたー!」と大きな声で生物たる欲求を口にした。


 本当に出た。どういう技術なんだ?モミワーのホーム画面は、もぬけの殻になっている。先ほどまでここにいた毛玉が、俺の足元に出てきた、としか思えない。




 しかし、空腹を訴えられても、ペットフードなどウチにはないし、そもそもこいつが何を口にして生きているのかわからない。「ねー、ししょう!おなかすいたよー!」と愚図る毛玉を尻目に、モミワーを操作する。すると驚くことに、自分の手持ちキャラクターはCキャラの「ピコリン」というキャラクター以外、まったくいなくなっている。オイオイオイオイ、なんでだ?俺のLキャラ達はどこにいったんだ?ルナは?セルヴァンは?俺のLキャラ最強パーティは?ワンパン構成のためにガチャを回しまくった、あのキャラクターたちは?泣きそうになりながら、ホーム画面に戻ったりと色々操作してみるが、ピコリン以外のキャラクターは相変わらず存在しなかった。どうして…。


 ピコリンをタップすると、キャラクターの説明が表示される。しかし、本来キャラクターの容姿が表示されているはずの欄は、ぽっかりとあいている。説明欄には「ピコリン/種族:アルター/街道でモンスターに襲われていたところを、君に助けられる。彼女はそんな君を師匠と慕い、英雄マルーンのようになる事を夢見て、君と共に歩んでいく。」と書いてある。これだけか?Lキャラのルナには、びっしりと生まれとか、好きなものとか細かい設定が書かれていた気がするが。運営のこいつに対する扱いが、少し理解できた気がする。


 ピコリンで検索すると、一部の熱狂的なファンがピコリンの情報をwiki形式でまとめていた。いわく、アルターという種族が暮らしている地域は、今回のアップデートで追加された新地域らしい。とはいえ、まだ実際に「アルターの村」のたぐいが実装されたわけではなく、各キャラクターの言及やピコリンの設定で登場しているだけにすぎないらしい。そのため、プレイヤーが仲間に出来るアルターという種族のキャラクターもピコリンだけとのこと。つまり、アルターは今回のアップデートで新規追加された種族ということだ。英雄マルーンも、ピコリンの設定に登場するのみで、今後のシナリオで登場する事が期待されているらしい。


 wiki内の「ピコリン交流掲示板」も覗いてみる。そこではある1人のユーザーが、ピコリンが他キャラの素材キャラクターとして扱われている事に激しく憤慨して凶弾している者がいた。激しいレスバトルを繰り広げている。こいつ、そんなに愛されるキャラクターなのか?たしかに容姿はふわふわで可愛らしいとは思うが。似たようなキャラはモンスターにも、他の種族にもいるだろ。多分。そういえば、Lキャラのルナを強化する時に、成長効率のいいCキャラが大量にいたような気がする。それがこいつだったのか。全然気にしていなかった。


「おまえ、ピコリンっていうのか?」


 口に出してみると、なかなか恥ずかしい名前だ。


「そうだよ!あたしピコリン!ししょう、おなかすいたよ!」


 データのこいつが食事を必要とするのか?そもそもどうやって食べるんだろう。手足も見当たらないし。色々考えていると、がぜん興味がわいてきた。何か試しに食わせてみよう。とはいえ、設定には食べ物の事など書いてない。猫や犬に玉ねぎを食べさせると、さいあく死ぬという話を聞いたことがある。死なれたら困るが、データだし大丈夫か?うーん、どうしよう。とりあえずあるもので探してみるか。弁当は食べてしまったから、あとはアテに買った、ジューシーフライドチキン、唐揚げ、軟骨、ちくわ、ポテトチップス。肉をこいつにやるのはしゃくであるし、ポテチは俺が食べたい。ちくわでもあげてみるか。


「おまえ、アルターは何食ってんだ?犬と一緒か?」


「いぬ?」


「まーいいや。ほら。おまえ魚は食えるのか?」


 そういって5本入りのちくわの一本を差し出す。毛玉はなんの躊躇もせず、俺の手ごとちくわを口にふくんだ。毛玉の口の中は、ねちゃねちゃして生暖かい。明らかに生物の口内だ。


「うわあ!!手ごと食うんじゃあない!」


 抗議しながら手を引っ張り出す。そんな俺をよそに、毛玉は口の中に残されたちくわを、むちゃむちゃと味わっている。飲み込むと、青緑の綺麗な目をカッと見開き、


「おいしー!!!」


 とクソでかい声で感想を述べた。深夜なんだから静かにしろよ。隣の大家さんが起きてしまうじゃあないか。そう注意しようと口を開いたが、


「こんなおいしいの、はじめて食べた!もっとちょうだい!」


 と目をらんらんとさせ、体当たりをかましてくる。やわらかでふわふわな身体からは想像できない重みを持った体当たりで、俺は轢かれたカエルのような声をあげて壁際まで吹っ飛ばされる。その衝撃で、残りのちくわが床に散らばった。これ幸いと、毛玉は落ちたちくわに飛びつき、器用に拾い上げてむちゃむちゃと食している。




「こんなおいしいもの…はじめて食べた…。」


 恍惚な表情で、毛玉はちくわの感想を述べた。ぶつけた腰をさすりながら、5本180円でこんなに満足できるなんて、ずいぶん幸せな奴だと思った。


「それで、お前はなんでゲームから飛び出してきたんだ?というか、どうやって?どういう技術なんだ?」


 率直な疑問をぶつけてみた。


「んー?んー…。」


 と毛玉は頭を抱えている。…頭?身体?


「そもそもお前、自分がゲームのキャラクターだってわかってるのか?お前の両親の事とか、設定に書かれてないけど、そういうのは説明できるのか?」


「…ゲーム?」


「わからないか?このモミモミワールドってスマホゲームのキャラクターなんだよ、お前は。」


 そういってスマホの画面を見せながら毛玉に説明するが、うんうんと唸るだけで、よく理解できていないようだ。うーん、”どういうパターン”なのだろうか。俺の仮説としては、あくまで毛玉はモミワーの世界の住人という設定であり、毛玉にとっては”現実世界に異世界転移してきた”ような感覚だと思っていたが。しかし、毛玉は自分の設定に記載されていない事はよくわかっていないようだし。かといって、運営に不都合なことはまったく聞こえないとか、フィルターがかかっているわけでもない。


「じゃあルナって知ってるか?お前と同じ、モミワーのキャラクターなんだけど。」


「しらなーい。」


 毛玉はプイッと俺から視線を外すと、コンビニ袋に興味を示して、ガサガサと一人遊びを始めた。


 なるほど、他のキャラも知らないのか。しかし、こいつの知能指数が低すぎて、回答がいまいち的を射ないな。信ぴょう性も低い。この事態は自分で探るしかないか。こいつが実際に存在している事だけは、間違いないわけだからな。


 そうだ。今俺の目の前には、ゲームのキャラクターがいるんだ。しかも超人気ゲームのキャラクター。(Cキャラだが。)こいつをSNSで公表すれば、かなりバズるんじゃあないか?


 さっそく自分のSNS(フォロワー数4)で、毛玉の事を投稿するために、毛玉がコンビニ袋と戯れている写真を、数枚撮る。本文は…。


「モミワーのピコリン、リアルゲットした件について #モミモミワールド#モミワー#モミワー好きと繋がりたい#ピコリン#毛玉#かわいい動物#ペットのいる暮らし#本物#リアルガチ#人生で一度くらいバズりたい#バズったら教えて」


 これで起きる事にはバズりまくってるだろう。フォロワーも10万人くらい行ったりして。いや、もしかしたら自分と同じ境遇のユーザーが名乗り出るかもしれないな。そしたらルナにも会えるかもしれない。


「とりあえず、寝るか。こんな時間だし。戻れ、毛玉。」


 まるでモンスターにボールを投げてたくさん捕まえるゲームの主人公のような気持ちで、モミワーの「しまう」を押す。想定通り、毛玉は光って消える。データ相手は楽でいい。毛玉がきちんとモミワーに入っている事を確認して、上機嫌でおやすみと行って床につく。


 遠足の前日のような、明日が待ちきれないというこんな気持ちは、社会人になってからは初めてだった。

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